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ビールを注がれると嬉しいか?~気遣いの本質~

あなたは飲みの席で、ビールを注がれると嬉しいでしょうか?
もちろん、嬉しいと思う人もいるでしょうが、当然にそう思わない、我慢しながら付き合っている人もいます。
今回は、気遣いの本質について、考えていきます。

飲みのマナーではビールを注ぐ、となっているが。

世の中には色々な見方、意見があります。

このタイトルですと、下記のような記事がそうです(外部記事)。

https://ameblo.jp/b-poplar-s/entry-11995377405.html
https://www.kirin.co.jp/entertainment/wine_academy/comic/winemanner/02.html

内容は、手酌はいけないよね、注いでもらったり、相手に注いだりしましょう、というものです。

これは一つの観点として正解だと思います。

一方で、別の解もあると考えています。

ストレートに相手に聞いた方が良くないですかね?

人によってはビールが苦手な人、他のお酒を飲みたい人、そもそもお酒が苦手な人がいます。
自分のペースで飲みたいから、手酌が良い人もいます。

人によって、何を快適に感じるか、全く異なるのです。

ここで考えて欲しいのですが、マナーや気遣いって、相手に喜んでもらうためにありますよね?

相手に、何かしらの我慢や負担を強いるものは、それはもう、マナーや気遣いと呼べないと思います。

この場合、ストレートに相手に聞いた方が良いと思うのです。

注ぎましょうか?

他に何か注文されますか?

手酌の方が良かったりしますか?

もちろん、言うタイミング、や言うトーンはあると思いますが、基本的には相手の好みを直接聞いて、それに合わせる方が良いと、私は考えます。
(聞かずに、相手の仕草等から察しろ、という意見も、またあるかと思います。)

別にビールを注ぐ話に限らない

この話は、別にビールを注ぐ、注がないの話に限ります。

世の中には多様なマナーや気遣いが存在します。

  • 乾杯の時のグラスの高さ
  • ラベルの向き
  • 注ぎ方
  • 注がれたら一口つける
  • 上座・下座
  • 手土産
  • へりくだる言葉遣いや態度
  • etc…

当然、宴席だけに限りません。
ほんの一例ですが、電話のメモ書きを紙で貰っても、捨てる手間があるので、メールやチャットでもらえた方が嬉しかったり、です。
(紙のメモでもらった方が、忘れないから嬉しい、という人も、当然にいらっしゃるでしょう。)

繰り返しますが、マナーや気遣いは、相手次第なのです。

相手にあわせて、適時カスタマイズを加えていくものなのです。

こちらの記事も参考にしてみてください。


以上、ビールを注がれると嬉しいか?と題して、気遣いの本質について考えていきました。

なお、結構なレベルで万能性が高い気遣いが、たった一つだけあります。

それは、相手を好きになる事です。

人は、自分に対して好意的な相手には、同様に好意を感じるものです。
(別の男女の話では無く、一般的な人間関係の話ですよ。)

へりくだりましょう、という話では無く、相手にポジティブな敬意と関心を示しましょう、ということです。

マナーや気遣いを考え始めると、人間関係の話ですので、答えのない問いで迷うことになってしまいますが、この基本的なことを常に意識しておけば、概ね間違いは無いように思いますね。

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本当に必要なビジネスマナーの考え方

今にはじまった話では無いのですが、世の中には謎のマナーが多く存在します。
また、時代の変化にあわせて、創作マナーも誕生していきます。
反発する人が多数な一方、盲信してしまう方もいます。
ここでは、本当に必要なビジネスマナーの考え方について見ていきます。

謎のマナーが続々と誕生

以前、当ブログでは電話における「もしもし」についての創作マナーについて、否定的な意見を発信しました。

「もしもし」という言葉は失礼だ、という一部の方がいらっしゃるのです。
それ以外にも、宴席における徳利、お祝いのお返し、トイレットペーパー、etc…で首をかしげるような創作マナーが数多く一部では出回っています。

昨今、新型コロナウイルスによる感染症拡大や、リモートワークやオンライン会議が増えたことにより、それらにあわせて誕生した謎マナー話題になっています。

私は幸いにも遭遇したことがなく、都市伝説では無いかと、期待を込めて疑っているのですが。

とりあえず、ここでわざわざとりあげるのも嫌なので、「Zoom マナー」などで検索してみてください。
常識感で考えてやった方が良いよね、というような内容もある一方、本当に笑うしかないような物も多く出てきます。

当然、反発も声も大きいです。

「頼むから勝手に『マナー』にしないでください。(中略)行政は、恐怖をあおっているだけです。売名行為の教授の言うことを信じてはいけません」(科学者)
 「マナーという柔らかい言葉にくるんで、メディアも一緒に、異分子排除。(中略)新マナーだ、とかいって押し付けるな」(Tomoyukiさん)

日経ビジネス「[議論]マスクの上にハンカチ? マナー講師に聞く気遣いの伝え方」より

ビジネスマナーは必要?

この点に関しては、そりゃあよく知らない人同士で仕事をする以上、相手への気遣い、配慮という観点で必要でしょう、としか言いようがありません。

実際、どういう趣旨で実施されたのかがよくわからないアンケートでは、ビジネスマナーは必要だ、とする方が90%はおり、世の中のマジョリティであることが示されています。

ではなんで、こんなに世の中の反響が大きいのか?といえば非合理的であり意味不明であるからに他なりません。
後、大体、マナー云々でうるさい方は、こちらに対してマウンティング行為をとってくる方が非常に多い事も多くの方が経験しているからでしょう。

本当に必要なマナー

社会生活を送っていて本当に必要なマナーは次の5点に限定されると考えています。
(これらもかなり包括的ではあるのですが。)

  • あいさつをする
  • 丁寧な言葉遣いをする(文章含む)
  • 清潔・身だしなみに気をつける(体臭,たばこの臭いも)
  • 時間を守る(仕事の期日を守ったり、や遅刻をしないなど)
  • 周囲と調整をする(休暇をとるための業務調整など、日々の体調管理含め)

これは別に私個人の考えではなく、アンケートでも示されています。

会議室での席次やタクシーの席位置、名刺交換などなど、気にする人はマイノリティです。
(問題なのは、マイノリティでも一定数存在することなのですが。。。)

ビジネスの現場である以上、最重要視されるのは「成果」です。
「成果」を出すために必要十分なマナーが守られているならば、それで良い
でしょう。
マナーに過剰な方とは、関係性を保つだけで消耗してしまうので、素直に距離を離すのが得策です。


以上、本当に必要なビジネスマナーの考え方について見ていきました。

マナーの本質は、相手に対して不快感を与えないこと。
相手への配慮や気遣いの話です。

マナーのためのマナーになってしまい、それに対して不快感を感じてしまう方とは、繰り返しますが、素直に距離を置くのが一番です。
また、相手がこちらに対して敬意を払っているのならば、多少の不作法にも寛容になった方がよいでしょう(一々、ストレスに感じていても仕方ないですし)。

「防衛策」としてのマナーになってしまっては本末転倒だ、ということは認識したいものです。

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「もしもしはマナー違反」は間違い!~作られた偽マナーに踊らされるな~

最近のマナー関連の本や解説サイトを見ていると、電話やWeb会議応答における「もしもし」という言葉が、ビジネス用途としては「マナー違反」とされているようです。
「申す申す」から来ている略語であり、上から目線だ、適切な言葉づかいではないから、らしいです。
しかし、これは明らかにマナー講師による「作られたマナー」です。

ここでは、なぜ「もしもし」はマナー違反ではないのか、そして「作られたマナー」に関して、解説していきます。

忙しい人向けまとめ

  • 「もしもし」は電話が日本で使われ始めた電話交換応答における「ルール」が起源
  • マナー違反だとする理由は、敬語ではないため、略語のため、若者言葉のだめ、の3点
  • どれも、ロジック的に破綻しており、ナンセンスな主張である
  • 世の中には、マナー講師が職業を失わないための「作られたマナー」が存在する
  • マナーの本質は、こちらの不手際によって「相手に不快感を与えない」こと
  • 相手の時間を奪わないようにする(電話しない、リモートで済むものはリモート)「礼儀2.0」を取り入れたい

「もしもし」の誕生経緯

まず、「もしもし」の誕生経緯から見ていくのが良いでしょう。

日本の電話の父的な人物として「加藤木重教(かとうぎしげのり)」という方がいらっしゃいます。
その加藤木氏に関して書かれた書籍には、次のような記載があります。

「もしもし」の誕生

1890年(明治23年)12月16日に東京の電話交換が始まった。
それに先だって電話交換の交換実験が行われた際の説明書きには
『ここにおいて受容者は、聴音器を両耳にあて、器械の中央に突出する筒先を口にあて、まず「おいおい」と呼びにて用意を問い合わせ「おいおい」の声を発して注意し、先方よりの承諾の挨拶あるを聴音器にて聞き取り、それより用談に入るなり』
とあるので、一番最初の問いかけの言葉は「おいおい」だった。
(中略)
この当時「おいおい」に対しての受け手の応答は「ハイ、ヨゴザンス」に決定されていた。もしもしとは「申す申す」が変化して出来た言葉だが、当初は男は「おいおい」女は「もしもし」だったらしい。
「もしもし」に統一されたのは明治35年頃と言われている。
この「もしもし」を考案したのは、電話を日本で設置する際に研修ということで、明治23年にアメリカに渡った加藤木重教だと云われている。
その時、アメリカの電話では「ハロー/Hello」と言う言葉を使っていたが、この言葉を説明する日本語がどうも判らない。
そこで、「もしもし」という言葉を必死に考え出したものが、現在まで続いている。

国立国会図書館「重教七十年の旅」

つまり、電話交換における定められた「ルール」であり、一種の「プロトコル(一種の儀礼)」であったのです。

なお、今現代ですと、知らない方が多いかもしれませんが、昔の電話は「電話交換手」という方が電話の中継業務を行っていました。
電話をしたい人とこの電話交換手が、円滑に電話応答を行うための「ルール」が必要だったのです。

「もしもし」はマナー違反だとするロジック

さて、それでは、ここ最近「もしもし」がマナー違反だとするロジックに関して確認していきます。

いくつかのマナー解説サイトを読んだものをまとめると、敬語ではないため、略語のため、若者言葉のだめ、の3点が主張になるようです。

  • 「もしもし」の語源は、「申す申す」が変化してきた言葉であり、敬語では無いため
  • 「もしもし」の語源は、「申す申す」の略語であり、略語は失礼にあたるため
  • 「もしもし」はいわゆる「若者言葉」であるため

しかし、「もしもし」の誕生経緯から入り、ロジックを検証する限り、この全ての主張は破綻していることは明確でしょう。

「もしもし」はマナー違反だとするロジックへの反証

まず、①の「敬語では無いため」ですが、「もしもし」が電話応答における定められた「ルール」であり、一種の「プロトコル(一種の儀礼)」であるため、そこにいちゃもんをつけること自体がナンセンスです。
そもそもの「ルール」から成立した慣習なのだ、ということは、前提として考えた方がよいでしょう。
既に、その用法自体に「ルールに則っている」という敬意を含有しているのですから。

②の「略語だから」ですが、ビジネスシーンにおいて、略語があふれていることは言うまでも無いでしょう。
略語は失礼だから使用してはいけない、ということならば、ビジネスコミュニケーションがかなり煩雑なものになります。
契約書の甲乙丙も略式なので、使っちゃいけないことになってしまいますね。

③の「若者言葉だから」ですが、これは電話交換の歴史を鑑みれば若者言葉に該当しないことは明確です。
100年以上の歴史がある用法であり、電話交換における口語のプロトコルなのですから。

つまり、どの主張もロジックが破綻しており、ナンセンスとしか言いようがないのです。

それでは、なぜこのようなナンセンスなマナーが出来上がってしまうのでしょうか?
それは「マナー講師」の存在が疑われています。

作られたマナー

マナー講師は、自分たちの職が無くならないようにするために、新しいマナーを発明していく必要があります。
それでAmazonや書店、マナー解説サイトで「新マナー」や「意外と知られていないマナー」、「誰も知らないマナー」、「日本人が知らないマナー」のような、タイトルの本や記事などが登場する形になります。
もう、意味不明です。
新しいとか誰も知らないんだったら、マナーでもなんでもないじゃん、、、

世の中にはこのような作られたマナーがたくさんあります。

比較的最近見かけた作られたマナーですと、下記のようなものがありました。
これらはまだ一部で、他にも存在しており、非常に頭が痛くなります。
×が作られたマナーです。

徳利の注ぎ方

×「お酒を注ぐとき、注ぎ口からお酒を注ぐのは『円(縁)を切る』から失礼」
〇「機能美として注ぎ口があるのだから普通に使えば良い(徳利製造メーカーより)」

緑茶はお祝いのお返しに贈ってはいけない

×「緑茶はお祝いのお返しに贈ってはいけない、葬式を連想させるため」
〇「問題ない、伝統的にお祝いのお返しに贈られてきた」

トイレットペーパーを三角におる

×「トイレ使用後にトイレットペーパーを三角におるのがマナー」
〇「トイレットペーパーを三角におるのは清掃終了のサイン、衛生的に使用者がおってはいけない」

江戸しぐさ

×「江戸しぐさ」
〇「江戸時代に、江戸しぐさというものは無かった」

出されたお茶を飲んではいけない

×「取引先で出されたお茶は飲んではいけない、相手の条件を全部飲むという意味になるから」
〇「いただきます、と言い飲んで、最後帰る際に、ごちそうさま、と言う」

訪問先でドアのノック回数は3回が正しい

×「ドアノック2回はトイレの回数と一緒だから失礼」
〇「2回で十分」

最後に

マナーの本質は、こちらの不手際によって「相手に不快感を与えない」ことであり、「作法」そのものには価値が無いはずです。
わけのわからないマナーを量産し、一部の人によるマウント取りのネタにしたり、働きづらさを助長するのは本質ではないでしょう。

マナーとは移り変わるもので、人の気持ちはロジックではなく感情で整理されるものでもあるため、「もしもしはマナー違反」だと言う人に「それは間違いですよ」と言うのも違います。
営業の場面などで、マナー違反だと勘違いしている人がいるかもしれない中、わざわざ使うリスクをおかすことも無いでしょう。
それでも、わざわざ助長させたいとは思いません。
相手が使ってきたとしても、こちらは気にしない、というスタンスが良いでしょう。

繰り返しますが、マナーの本質は、こちらの不手際によって「相手に不快感を与えない」ことにあると理解し、わけのわからない「作られたマナー」に踊らされないようにしたいものです。
その意味で、取り入れたい「作られたマナー」として、納得感の高さから次のツイートを紹介します。

礼儀2.0、いいですね。
これから使っていきたい言葉です。

(おまけ)「もしもしはマナー違反」はいつ頃から?

なお、「もしもし」がマナー違反だとする主張が出始めたのは2004年頃からです。
まだメジャーでは無いですが、聞く頻度が増えたのはここ数年でしょうか。

20代の方は、電話を使用する機会が増えたのが、仕事を初めてからになるでしょうから、かえって「もしもしはマナー違反」には違和感が無いかもしれません。

(おまけ)マナーの起源から考えると、、、

貴族とかそういう「地位」が存在した時代、マナーは、その地位の高さを示すもので、地位が高い人たちにとっては重要視されていたものでした。
ようは、高い教養、高いマナーを備えることが、貴族としての地位を示す、平民や自分より各が低い貴族に対する一種のマウント機能を果たしたのです。
その観点で考えると、次々に新しいマナーを発明し、もしくは取り入れ、それを知らない人たちに対して誇示をすることは、ある意味において正しいと言えます。

決して見習いたくは無いですが。

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