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生産性・業務効率化

人は問題解決を行うときに「足し算」の発想に陥りがちで「引き算」という戦略を見落としがち

人間は何かしらの問題を解決する時に、既存の何かを「引き算」するのではなく、新しい何かを「足し算」しがちです。
ソフトウェア開発等においても、既存の機能を削除するのではなく、新しい機能を追加し続ける傾向があります。
そして、これがクリエイティビティを抑圧している可能性があります。

問題解決における「引き算」の発想についての研究

こちらの記事において、問題解決戦略における「引き算」の発想について、人々が見落としがちである、として考察が行われています。

https://www.scientificamerican.com/article/our-brain-typically-overlooks-this-brilliant-problem-solving-strategy/

記事の例では自転車が挙げられています。

自転車の乗り方を覚えるために、昔は補助輪や三輪車を使うのが一般的でしたが、近年ではペダルのな自転車であるバランスバイクを用いて、自転車に乗るためのバランス感覚を身につけることが増えています。

バランスバイクの利点を考えると、早々に従来の方法に取って代わって良いように思いますが、非常に長い時間を要しました。
他にも、「引き算」で解決していたはずの問題が多く存在している、と指摘されています。

研究者たちは「人は問題に直面したとき、既存の要素を取り除くよりも、新しい要素を加えた解決策を選ぶ傾向がある、心理学的な説明があるのではないか?」と考えました。

問題解決の発想が「足し算」に偏ることの確認

研究者たちはまず、このバイアスが存在するかどうかを確認するために、対照群を設けない観察研究を実施しました。

1つ目は、91人のボランティアに色のついた箱を追加、もしくは削除することで形を対称にするように求めました。
その結果、「引き算」の戦略により問題を解決した人はわずか18人(約20%)しかいませんでした。

また、ある大学における651件の提案の中で、既存のルールや慣行、プログラムの廃止を伴うものは、わずか約11%しか存在しませんでした。

また、エッセイや旅程を修正する課題においても、同様の結果が見られたそうです。

いずれの場合においても、大多数の人が「引き算/削除」ではなく「足し算/追加」を選択しています。

人々はなぜ「引き算」ではなく「足し算」の発想に頼るのか?

それではなぜ、人々は「引き算」ではなく「足し算」の発想に頼りがちになるのでしょうか?

この点を調べるために行われた実験では、「引き算」の発想は「足し算」の発想より、脳のリソースを要するからではないか、としています(発想のための努力がより必要)。

実験は複数のものが行われていますが、ある実験では、レゴ・ブロックで作られた不安定な屋根を安定させるために、ブロックを追加、もしくは削除するよう求められました。
このブロックは、10セントで1つ追加、削除を無料で行うことができます。

実験では、「追加するブロックは1個10セントだが、取り除くブロックは無料だ」と伝えられたグループと、「追加するブロックは1個10セントだ」とだけ伝えられたグループに分けられましたが、手掛かりを与えられたグループは、与えられていないグループよりも多く「引き算/削除」の発想を用いました。

他にも、左右対称のブロックを作る課題では、練習の回数が増えると「引き算/削除」の発想が増えること、他のタスクも同時にこなさなければならない場合には「引き算/削除」の発想が減ることがわかりました。

仕事をする上で「引き算」の発想ができているか?

従来も、起業や組織が単純化より、複雑化を選択する傾向があることが知られていました。

上述の実験を考慮すると、「足し算」より「引き算」の発想で問題解決を図っていた方が良かった事例が世の中には多いのではないかと推測されます。

研究者は、新しく何かを行う方が評価されやすいことや、すでに時間やお金、労力を費やしてしまったものに投資を続けるサンクコストのバイアスに陥っている可能性を指摘しています。

リソースが限られている現代だからこそ、改めて「引き算」の発想で問題を捉えてみるのは良いかもしれません。

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生産性・業務効率化

散歩/ウォーキングはクリエイティブな発想を生み出す

散歩中、唐突にアイデアが閃いた経験を持っている方は多いでしょう。
多くのクリエイティブな偉人も、散歩を好んでいた人は実際に大勢いらっしゃいます。
そして、散歩/ウォーキングがクリエイティブな発想を生み出す、ということは科学的にも正しいようです。

運動とクリエイティブな発想の関係

スタンフォード大学の研究者が運動とクリエイティブな発想の関係について調査しました。

https://news.stanford.edu/news/2014/april/walking-vs-sitting-042414.html

実験では176名の大学生や社会人を対象に、創造的思考を測定するためのタスクを実施しました。

実験では、トレッドミル(ランニングマシン)を使用した屋内での歩行、(車いすを利用した)屋内で着座したままの歩行、屋外での歩行、屋外での車いすを利用した歩行、という条件が設定されました。
また、着座したままや、歩いた後に車いす利用など、様々な組み合わせが設定され、創造性を測定するタスクが行われました。

創造性を測定するタスクは、(4つの実験が行われ、その内)3つの実験で発散的思考が行われました。
発散的思考とは、多くの可能性のある解決策を探ることで創造的なアイデアを生み出すための思考プロセスや手法のことです。
この実験では、与えられた物に関して、別の用途を考え、また他の被験者が発想していないものを新規性のある回答とするとともに、回答が適切であるかも評価されました。
4つ目の実験では、質問されたフレーズから複雑な類推を行うタスクが課されました。

その結果、3つの実験で、歩いている時の方が(例えトレッドミルであろうと)、創造的な成果が平均60%も増加することが示されました。
また、4つ目の実験でも、歩いている人の100%が1つでも斬新な例えを出せたのに対し、着座したままの場合、50%ほどの被験者が質の高い例えをだすことができませんでした。

つまり、どうやら散歩/ウォーキングはクリエイティブな発想を生み出すのは、科学的に正しいようだ、と言えそうです。

ただし「発散」に限る

ただし、上述の知見は留意点があります。

ブレインストーミングのような「発散」には効果があっても、「収束」や「集中」には効果がないようなのです。

研究では、被験者に単語連想課題(3つの単語を組み合わせて複合語を作る課題で、洞察力や集中力を測定するために使われる)を課した所、歩くグループは着座グループと同程度、もしくは軽度に悪い結果が示されました。

また、因果関係が不明である点や創造性の上昇効果が他の運動ではどうなのか?等、わかっていない点が多くあることにも留意が必要です。

ただ、別の研究でも、適度に疲労していたり気が散った環境の方が、「発散」の面でプラスであることが示されています。

https://www.scientificamerican.com/article/your-best-creative-time-not-when-you-think/

こちらの研究では、「少なくとも革新的なアイデアや創造的な解決策を求める人にとって、最高の状態でパフォーマンスを発揮することは過大評価されているかもしれません。」としています。


これらの知見を現実の仕事において適用するとしたら、「収束」や「集中」を要するタスクは、パフォーマンスが可能な限り良い状態に行い、「発散」に関連するタスクについては多少の疲労がある状態や気が散るような状態に行うことが良い可能性がある、と言えます。

1日のスケジュールの組み方に、一考を入れる価値があるかもしれません。

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ビジョン的思考

人は自分のための意思決定より、他人のための意思決定の方がクリエイティブになれる

クリエイティブになりたい、と願うビジネスパーソンは多いでしょう。
そのために、他人のための意思決定なのか?という観点はヒントになるかもしれません。
人は、何か問題が起きた時、自分のための解決ではなく、他人のため、という視点で考えるとクリエイティブになれる可能性があるようです。

古典的な問い:塔に閉じ込められた囚人

複数大学のチームは、4つの実験を通じて、他人のための意思決定が、自分自身のための意思決定よりもクリエイティブな解決策を生み出すか否かを調べました(Decisions for Others Are More Creative Than Decisions for the Self)。

https://journals.sagepub.com/doi/10.1177/0146167211398362

4つの研究では、他者のための決断が自己のための決断よりも創造的な解決策を生み出すかどうか、また、「解釈レベル(心理的距離と人々の思考が抽象的、または具体的であるか、関係を説明する尺度)」がこの関係を説明するかどうかを調べました。
研究1では、参加者は、自分が書く物語のために宇宙人を描いたり、他人が書く物語のために宇宙人を描いたりして、構造化された想像力の課題を行いました。
予想通り、他人のために宇宙人を描いた方が、より創造的な宇宙人が描かれました。
研究2aおよび2bでは、解釈レベル(心理的距離)を変数として操作した実験を行いました。
参加者は、親しい他者や自分自身のためよりも、遠い他者のために創造的なアイデアを生み出す傾向が強いことが示されました。
最後に、研究3では、古典的な洞察の問題を調べました。
他人のために決断する参加者は、問題を解決する可能性が高いことが示され、さらに、この結果は心理的距離によって媒介されました。
これらの結果は、以下のことを示しています。
人は自分のためよりも他人のために創造的になることを示し、自他の意思決定の違いを明らかにしました。

上述研究3の「古典的な洞察」とは、次のような問いを指しています。

「ある囚人が塔から脱出しようとしていた。
彼は独房の中で、安全に地上にたどり着ける長さの半分のロープを見つけた。
囚人が安全に塔から脱出するには、どのようにすればよいだろうか?」

(答え:ロープを半分に割き結べば、塔の長さになるので、安全に脱出できる。)

研究3だけフォーカスすると、137人の大学生が、追加の単位と引き換えに研究に参加することになりました。
この研究では、半分の参加者は、自分が塔にいることを創造して問題を解くように指示され、残りの半分は塔にいる誰かの代わりに問題を解くように指示されました。
また、解釈レベル(心理的距離)を測定するために、自分自身が塔とどのくらい離れていると感じているか?を7段階で答えてもらいました。

結果、圧倒的に「自分のため」より「他人のため」に問題に取り組む方が、答えに辿り着けることが示されたのです。

「他人のため」の方がより良く生きられる?

この研究は、人々は、物事や対象人物との心理的距離(空間的・時間的・社会的)があると感じる時、それらについて抽象的に考えることと関連していると考えられます。
(身近になるほど、具体的に考える。)

それが故に(抽象的に考えるが故に)、よりクリエイティブな思考が生まれる傾向にあるのでは?というのが論理的な推測です。

もちろん、世の中においては、具体的な発想が重要である場面も非常に多いことは確かです。
「具体と抽象」と言われるように、どちらも重要な観点だ、と捉えるのが適切でしょう。


なお、人は「他人の幸福を願うと自分自身の幸福度も上がる」ことが示されています。

https://link.springer.com/article/10.1007/s10902-019-00100-2

論理的解釈は色々あるとして、「他人のため」の方がより良く生きられる、という示唆は、それはそれで素敵ではないでしょうか。

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