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生産性・業務効率化

「自分にはやらない治療」が何故発生するのか?~医者のバイアス~

新型コロナウイルス感染症の拡大は、良くも悪くも人々の健康意識を高める結果につながりました。
そのような中、医者が「自分にはやらない治療」と題して、様々な主張をするケースも見かけるようになりました。
何故、このような現象が発生するのでしょうか?
医者のバイアスが関係していそうです。

自分にはやらない治療

米国でのとある研究で興味深い結果があります。

https://jamanetwork.com/journals/jamainternalmedicine/fullarticle/227069

概要は次のようなものです。

  • 臨床医に対して仮想のシナリオを提示し、その意思決定について調査した。
  • 仮想のシナリオは2つで、1つが大腸がんの治療法、もう1つが鳥インフルエンザの治療法。
  • いずれのシナリオについても、2つの治療法を提示。
  • 1つが副作用の発生率が高いが死亡率は低い、もう1つが副作用の発生率は低いが死亡率は高い、というリスクの性質が異なる治療法を提示した。
  • 結果は、患者には副作用の発生率が高いが死亡率は低い治療法を勧めた。
  • 一方、医者である自分自身に対しては副作用の発生率は低いが死亡率は高い治療法を選択した。

具体の数字をもう少し見ていきましょう。

大腸がんの選択肢を検討してもらった242名の医師のうち、37.8%が自分の死亡リスクが高い選択肢を選んだ一方、仮想患者に対しては、この選択肢を勧めるのは24.5%にとどまったそうです。
また、鳥インフルエンザの選択肢を検討してもらった698人の医師のうち、62.9%が自分の死亡リスクが高い選択肢を選んだ一方、48.5%のみが自分の患者にこの選択肢を勧めたとのこと。

ようは、全体の傾向として、患者に対しては、例え副作用が強くても最終リスクが低いものを選ぶ一方、自分自身に対しては最終リスクが高くても副作用、つまりは治療の過程が辛くない治療法を選択する傾向がある、ということです。

何故、このような現象が発生するのか?

論文では、医者としての「正しさ」と、個人としての「志向」が異なる点を指摘しています。

患者に対しては、医者として、副作用リスクを取り、死亡リスクを減らすことが「正しさ」であると判断します。

自分自身に対しては、副作用の辛さ、治療の過程の辛さを考えた時に、その「正しさ」が揺らいでしまう、とのことです。

(他にも、自分自身の経歴、つまり成果を重視したり、周囲の関係性を含めた利益相反も指摘されてはいます。)

つまり、治療過程を見ているが故のバイアスが発生し、判断軸が揺らいでしまう、と言えます。


ネット上には様々な情報が溢れており、表題のような医者による「自分にはやらない治療」の情報も簡単に入手できます。

上記のような知見を持っていると、このような情報に対して冷静に考えることができるはずです。

論文では次のような助言がありました。

「医者があなたのすべきことを考えているのか。それとも、あなたの状況であったとしてどうするか。これのどちらを考えているかによって、あなたが得るべきアドバイスは変わってくるでしょう。」

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フェルミ推定・ロジカルシンキング

【今日のロジカルシンキング】思考のバイアスを除去するテクニック

「常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。」という言葉は、かのアインシュタインの言葉らしいですが、まぁ、この通りで、人間は様々な偏見、バイアスに雁字搦めになっています。
今回は、このバイアスから、ほんの少しでも逃れる思考のテクニックについて紹介します。

いくつか、私のツイートを元に話をしていきます。

関連事象か?

これは、ハフィントンポストで「産後女性の死因の一位は自殺。「産後うつ」と男性育休の関係、専門家が語ったこと。」という記事が出ていて、それに対してつぶやいたものです。

この話自体を軽視したいわけではなく、まず、事実ベースで考えませんか?という趣旨で発言をしました。

どういう事かというと、年齢階級別の自死要因を見ると、若年層の第1位から第3位は下記のようになります。

齢階級別の自殺者数の推移より「平成26年における死因順位別にみた年齢階級・性別死亡数・死亡率・構成割合」

つまり、記事の中では問題Aが問題Bの原因になっているから、問題Aに対してケアをしないといけない、という内容なのですが。

前提となるデータを元に考えると、問題Bは、問題Aが無くても起きるのでは?という仮説を設定することもできます。

繰り返しますが、当該テーマを軽視したい話ではなく、ようは問題Bの原因が本当に問題Aなのか?を考えないと、問題Bを解決できない可能性が出てきますし、そもそもとして問題Aが起きる原因が、問題C:産後環境(ワンオペとか)等々にあるのかも不明です。
空回りに終わる可能性が十分に考えられるのです。

これ、別の表現で言うと、相関関係なのか?、それとも因果関係があるのか?という話ですね。

因果関係があって、はじめて解決の糸口があると言えます。

冷静に考えましょう。

好き嫌いで判断していないか?

これはあれです。
某著名人と、とある餃子店とのトラブルの話です。
当事者じゃ無いので、真実は不明であり、何も語れないのですが。

とりあえず、非常に賛否がわかれつつ、全体感としては某著名人に対する批判が大きいというように見えます。
(これがノイジィマイノリティなのか、本当に大きいのかは不明。)

さて、ここでも冷静に考えてみると良いです。

例えば、某著名人を別の人に入れ替えて、仮に全く同じ事象が発生したとシミュレーションしてみるのです。
誰でも良いですよ。
普遍的に愛されている可愛らしい国民的アイドルとか、雰囲気の良い超絶イケメンアイドルとかをあてはめてみると良いかもです。

これで、賛成意見・反対意見が入れ替わる、もしくはウェイトがかわる、というような事があれば、元々の賛否判断のロジックに、何かしらの欠陥があると考えられます。

もっとストレートに言うと、「好き嫌いで判断していませんか?」という事ですね。

何かを判断する時に、好き嫌いが混じるのは別に構わないのですが、これを入り口でやると、思考の質はまぁまぁ落ちます。
日常生活でしたら特段そこまで問題は発生しないのかもしれませんが、ビジネスだと困りますね。
(まぁ、買いたいから買う、という事で家や車のローンで大変な想いをしている人も多くいますが。)

【複合Ver】関連事象か? & 好き嫌いで判断していないか?

今度は上記2つの複合パターンです。

なんでも、イオンのお葬式の広告で、位牌をプラパックに包装した写真の広告がデザイン賞を受賞したと。
それで、不謹慎だ、と炎上をする案件がありました。

https://macs.mainichi.co.jp/design/ad-m/work/8501.html

私も、基本的には不謹慎であると思っており、またデザイナーや会社側、賞の選定側に教養があれば、こういった広告を作る・選ぶ事は無かったと考えております。

さて、それはそれとして、これに対する賛同(擁護)意見として、「坊主だって戒名料で荒稼ぎし、高級車や料亭で散財しているじゃないか。」的な批判がありました。
(イオンのやり方を批判しているけれども、坊主達のモラルとかもどうかと思うよ、という事を言いたいのだと思う。正に、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、ですね。)

で、この意見の是非はともかくとして、やはりここでも冷静に考えた方が良いように思います。

つまり、坊主という属性(Y)が現代の常識感で言うと法外な金を取りがちで納得が行かない、という話と、今回起きた問題Aは別事象だ、という話です。
誰が、この問題Aを提起しようが、問題Aは問題Aとして議論し、解決が必要ならば解決を行うべきでしょう。

好き嫌いで、別事象を関連事象として接続させると、思考の質は劇的に下がります。

本件自体は、最終的には社会がジャッジするものなので、私からはこれ以上何も言う事は無いのですが。
何かしら、同様の案件が起きた時に思い出してみると良いかもです。
意外に良くある話ですよ。

例えば、嫌いなAさんが提案した企画Xに対して、その内容を考慮せずに否定・反対するとか。

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生産性・業務効率化

反対意見も無視せずに聞こう

今回は「反対意見も無視せずに聞こう」というテーマで書いていきます。
先日、このようなツイートをしました。

組織のトップはエコーチェンバー現象に陥りやすい

今の時代、様々な言論・意見が飛び交い、各方面の見方・考え方を簡単に知れるようになっています。

一方、身近な生活ではどうでしょう?

情報化社会が進むにつれ、自分自身を取り巻く人たちは、多様な人たちではなく、自分自身と同種の、似た人たちになっていませんか?

家族は必然的に似通ってきますし、会社組織は結局の所、似た者同士の集まりになります。
そしてSNSでは更に似た者同士の集まりが強化されていきます。
(わざわざ、自分と違う人種の人たちと、積極的に繋がろうとする人って少数派ですよね?)

このような「似た者同士」の人たちに囲まれていくと起きるのが、エコーチェンバー現象です。
(閉鎖コミュニティに長く閉じこもっていると、同じような意見しか飛び交わなくなり、また自分自身の意見も肯定されやすくなる。このような環境において、自分自身の意見や主義主張・思想信念が正しいと思い、他の意見を認めず、排除するようになっていく現象のこと。)

そして、このエコーチェンバー現象は、優秀なはずの組織のトップ(社長とかですね)でも起きえます。

なぜならば、上のツイートでも触れた通り、わざわざ組織のトップに、反対意見を物申そうとする人はマイノリティであり、組織のトップには賛成意見の人ばかりで占められるからです。

組織のトップは、能力が高く、プライドも高い分、自分自身の考えが正しいと思いこみやすい性質もあるので、実はエコーチェンバー現象に陥りやすいポジションだったりするのです。

反対意見を無視してよいか?

さて、最近の言説として、「反対意見を言う人は、人の足を引っ張りたいだけだから、無視した方が良い。距離をおいた方が良い。」という話を聞きませんか?

ネットで大体のことができる世の中ですので、一つの組織だけでなく、別の働き方でも稼ぐことができます。
(起業などの)チャレンジの事例も共有されるようになり、チャレンジリスク自体も小さくなっています。

しかし、世の中の変化に対応できない、考え方をアップデートできない人は一定数存在します(それは別に悪くはない)。
そして、新しい事にチャレンジしようとすると、旧い考えの人や保守的な人たちから、何かしらの反対をされるのです。

このような背景もあり、「反対意見は無視して良い」という主張が目立つようになりました。

しかしです。
ここで冷静に考えてみましょう。

仮に、本当に自分自身の考えが間違っていたらどうでしょうか?
自分自身が欲しい、見聞きしたい情報だけを集めていて、実は情報の偏りが発生していたとしたらどうでしょうか?

誤った、偏った情報を元に行われた意思決定は、当然に間違っているリスクが高まります。

その意味で、反対意見を無視する事はリスクである、むしろ反対意見を元に考えをブラッシュアップした方が、元の自分自身の考えの質が高まる、と考えられるわけです。

そうは言っても反対意見を集めるのは難しい、どうする?

しかし、現実問題として、「反論OK」としても、率直な反対意見をもらえるとは限りません。
相手も一定躊躇しますし、やはり聞く側としても、気持ちの良いものではありません。

そこで有用なテクニックがデビルズアドボケイトというものです。
「あえての反論」とも呼びます。

「本当は反対じゃないんだけど、あえて、あえてで反論を述べるとしたら~~~」という形で、クッションを挟むのです。
会議のファシリテーター(もしくは会話の主導者)も、デビルズアドボケイトを促すのが良いです。
(つまり、コミュニケーションをとる人たち同士でデビルズアドボケイトというものが共有されていると良いですね。)

これなら、少しは気持ちよく反論を述べ合うことができます。

それでもやっぱり反論を言うのは難しい、聞いているとそれなりにもやもやして仕方が無い、とならば一人会議での利用です。

自分で自分に反論するなら、まぁまぁニュートラルにできるはずです。
是非、お試しあれ、です。

こちらの記事も参考にして下さい。

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生産性・業務効率化

成功事例をそのまま真似しても意味がない~生存者バイアス~

生存者バイアス、という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
世の中には、大企業が導入している最新の制度、成功者がやっている習慣、等々、様々な成功事例があふれています。
これらは、体系化されているものであったとしても、生存者バイアスにとらわれている場合が珍しくありません。
今回は、成功事例をそのまま真似しても、あまり意味が無いよ、ということを考えていきます。

生存者バイアスとは

生存者バイアスまたは生存バイアスとは、何らかの選択過程を通過できた人・物・事にのみを基準として判断を行い、通過できなかった人・物・事は見えなくなるため、それを見逃してしまうという誤謬である。選択バイアスの一種である。

生存者バイアスの例として、ある事故の生存者の話を聞いて、「その事故はそれほど危険ではなかった」と判断するという事例がある。それは、話を聞いた人が全て「生き残った人」だからである。たとえ事故による死者数を知っていたとしても、死んだ人達の話を聞くことはできず、それがバイアスにつながる。

Wikipediaより

この解説にある通りではあるのですが、本記事での生存者バイアスとは、成功者が語ったことが成功事例になってしまう、ということです。

逆の表現をすると、死人に口なし、ですね。

そして、世の中には、様々な成功事例、成功手法の情報があふれています。
ベンチャー企業や、成長志向の高い方が、こぞって、それらの情報に触れ、活用することに取り組んでいます。

これで、果たして同じように成功することができるのでしょうか?
そんなわけ無いですよね。

(ここでの成功の定義は、とりあえず、企業であれば売上・利益がのびること、個人であれば収入が増えること、をイメージしています。
個々人により、成功の価値観や、シチュエーションによる定義は異なりますが、それらはいったん脇に置いて考えて下さい。)

成功企業、成功者の事例をそのまま真似しても、あまり意味がない

筆者が最近、この点を指摘した事例が、先進的なベンチャー企業を中心に取り入れられているOKRや1on1です。

OKRをはじめて知った時に感じたことは、上記記事でも記載をしていますが、結論から言って「OKRでできることって、別にOKRである必然性がない」という点です。

ストレッチ手法であり、適切に運用すれば効果があるであろう、ということはわかるのですが、別の方法。
例えば、ストレッチ目標を置いたKPIに、その他のイノベーション手法を組み合わせれば、それでも問題が無いはずです。

また、どこまで行ってもツールですので、そのツールの運用に習熟する必要があります。
逆に言うと、習熟していない状態で形だけ導入しても、現場が混乱するはずです。

1on1も同様です。

何か気になったことがあれば、1on1の場を持つまでも無く、その場で指導すれば良いはずですし、
コーチングとティーチングをごっちゃにしてマネジメントを失敗している管理職なんて珍しくありません。

結局、信頼感と現場を良く見れているかどうかが問題であり、つまるところ管理職の力量次第なのです。

1on1を導入してうまくいっている会社は、1on1を文化や得意手法としている、というだけで、別に1on1をしなければ企業の成長、現場のマネジメントができない、ということにはならないはずです。

(これらの手法を取り入れていても、消え去っていったスタートアップ/ベンチャー企業が山ほどあるのは、容易に想像ができますよね?)

まとめ

この2つの話は、ほんのごくごく一部の事例です。

他にも、下記の記事が参考になりましたので、見てみると勉強になるかと思います(外部記事)。

https://blog.hubspot.jp/survivorship-bias

重要なのは、成功事例や手法があったとして、

  • その本質は何か?
  • 運用の難易度はどれくらいか?
  • どのようなシチュエーション,環境で適合するのか?

ということを、しっかりと見極めることでしょう。

形から入るのが決して悪いとは思いませんが、導入すること自体が目的化してしまっているベンチャー企業を多々見ます。
まあまあありふれた話題ではあるのですが、ここに警鐘として書き留めました。

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ビジネスと心理学

改めて考える正常性バイアス~新型コロナウイルスはどこまで脅威か?~

新型コロナウイルスの拡大にあわせて「正常性バイアス」という言葉が広がっています。
どうも「軽視しすぎている」ということらしいです。
ここでは、正常性バイアスについて解説すると共に、より怖がるべきものがあるのでは?という話を書いていきます。

なお、ここ数日は新型コロナウイルスに関連して記事を書いていますが、当ブログでは医療系のブログを志向しているのではなく、あくまでもビジネス系のブログを志向しています。
それでは、なぜ新型コロナウイルスに関連した記事を書くのかというと、経済への影響度合いが極めて高いからです。
世の中に対して、早く経済が回復し正常化するために、冷静でかつ正しい情報を発信することが重要と考え、微力ながら現在の方針としています。

忙しい人向けまとめ

  • 正常性バイアスは、ネガティブな出来事を軽視したり無視したりするなど過小評価すること
  • 正常性バイアスは悪い事ではなく、人間の防衛機構の一種
  • 不都合な状況で正常性バイアスが働くと、最悪の事態に陥るリスクがある
  • 新型コロナウイルスは脅威だが、やはり人々は過剰反応をしている
  • 人々はただの風邪やインフルエンザに対して正常性バイアスがかかっている
  • 日常的に感染症に対する対策をしていれば、新型コロナウイルスは怖くないはず
  • 経営の現場でも正常性バイアスが見られ、クレームや事故、ハラスメント、過度なコスト感覚などで経営危機のリスクを高めている
  • 今の状況を教訓に、正常性バイアスに対して理解すると共に再考をすると良い

「正常性バイアス」とは?

自分にとって予期しない出来事に直面したり、都合の悪い情報を目耳にしたとき、どのような反応を示すでしょうか?
正常性バイアスにかかっていると、上記のようなシチュエーションの際、「ありえない」という先入観や偏見が働き、その予期しない出来事や都合の悪い情報を無視したり過小評価したりします。
つまり、予期しない出来事や都合の悪い情報を「正常な範囲内のこと」と認識するのです。

この文章だけ読むと、良くないことのように見えてしまうかもしれませんが、これは人間の防衛機構の一種となります。

何かネガティブなことがあるたびに、いちいち反応していては、脳のリソースが消耗しています。
精神的に疲れ、場合によっては鬱などになってしまうかもしれません。
つまり、正常性バイアスはネガティブなこと、つまりストレスに対しての防衛機構であり、精神の安定を図る心の作用なのです。

しかし、この正常性バイアスが、それこそ不都合な状況で働いてしまうと問題が発生します。

例えば、災害時です。
災害時に、「大したことない」と判断し、避難が遅れたらどうなるでしょうか?
結果論でしか語れない事ですが、場合によってはパニックを起こし、我先にと逃げ出した方が生存確率は高いかもしれません。
つまり正常性バイアスが非常時にはマイナスに働き最悪な事態を招く場合もあるのです。
矜持の問題ですが、それでも私はパニックを起こしたいとは思いませんけどね。

さて、それではこの正常性バイアスと新型コロナウイルスについて、どのような言説が出ているでしょうか。

感染症と正常性バイアス

メディア報道や各種ブログ記事を見ていると、「日本人は正常性バイアスにとらわれている。新型コロナウイルスを軽視しすぎている。」という言説を多々見かけます。
この言説の内、「日本人は正常性バイアスのとらわれている。」という部分に関してはアグリーできます。
どういうことでしょうか。

感染症は指数的に拡大する

まず、そもそもとして感染症というものがどのように拡大していくかを考えます。

厚生労働省「人口動態統計」より

この図表は、月別のインフルエンザの死亡者数推移です。
この図表の通り、感染症というものは、指数的に拡大する性質をもっています。
そのため、日々の報道で「感染者数が最多」「爆発的に拡大」とされていますが、感染症というものは、そもそも論として報道されているような動きをするものなのです。
なお、インフルエンザの感染者数推移は次の通りで、100万人~200万人となります。

感染症・予防接種ナビ「【感染症ニュース】インフルエンザ 推定患者数は約144,000人と5週連続して減少 全国の学校の休校の影響により流行は収束傾向となると予想」(2020年3月4日)より

一方、新型コロナウイルスの患者数(感染者数では無いことに留意)は4月10日現在で約3,500名(死亡者数は88名)となっています。
拡大の推移を見ている限り、ちょうど爆発的に急拡大していく右肩あがりのふもと部分にいると考えられます。
そしてそれでも、まだ例年のインフルエンザの推移よりは脅威度が低いのです。
なお、インフルエンザは予防接種が普及しており、治療薬も確立していることを併せて言及します。

あくまでも私の感覚で述べるならば、人々は新型コロナウイルスに対して過剰に反応しており、ただの風邪やインフルエンザに対して正常性バイアスがかかっている、と感じるのです。

免責

誤解の無いように述べると、私は脅威度が低いから良い、もっとストレートに言うと人命を軽視したいわけではありません。
感染拡大が抑制できているのも、政府や医療関係者の多大なる努力の成果であることは認識しています。
また、意識が高まったことによる、人々の行動の変容の結果も、一定影響していることも推測しています。
私の主張としては、「新型コロナウイルスは全く怖くない」ではなく、「警戒の設定が過剰」「より怖がるべきものがある」です。

正常性バイアスにとらわれるな~ただの風邪やインフルエンザをもっと怖がれ~

上述の通り、インフルエンザの感染者数は100万人から200万人と、膨大な数にのぼります。
そして、こちらの記事でも書いている通り、肺炎による死者数は10万人と非常に大きな人数です。

繰り返し主張をすると、肺炎につながりうるただの風邪やインフルエンザを、人々はもっと怖がるべきなのです。
そして、私が見る限り、例年、このただの風邪やインフルエンザに対して、怖がっている人を目立って見かけません。
新型コロナウイルスの脅威をわかっているのであれば、普段日常から、ごくごく身近にある感染症により警戒をすべきなのです。

政府の初期行動に関しては言いたいことは諸々あるにせよ、アンコントローラブルな要素が大きいので脇に置きます。
個人で必要なことは決まっています。

  • 外出後の手洗いうがい
  • 公共施設や商業施設に設置されている消毒液の使用
  • 感染症が拡大しやすい時期のマスクの着用と使用したマスクの廃棄
  • 逆に感染症が拡大しづらい時期での感染症を気にしない生活(過度な衛生対応はかえって免疫力を低下させる)
  • 免疫力向上のための適度な運動
  • 免疫力向上のための栄養バランスのとれた食事
  • (インフルエンザに限定して)予防接種

こういった当たり前の行動をどれだけの人がとっているのでしょうか?
身近な脅威に対して正常性バイアスが働いていませんか?

そして、正常性バイアスは感染症だけでなく、経営での現場でも起きています。

正常性バイアスは経営にも悪影響を及ぼす

事業を起こし、会社を経営している方は、非常に頭の良い方が多いです。
(もちろん、微妙な方も大勢いるのですが、相対的に賢く尊敬できる人が多いよね、ということ。)
そんな頭の良い方たちでも正常性バイアスにとらわれている場合を多々見受けられます。

クレームや事故を過小評価していないでしょうか。
1つのクレームを軽く扱った結果、SNS上で急拡散し、工場の一時閉鎖にまで陥った食品メーカーがありました。
作業環境が危ない状況を放置した結果、従業員が死亡する事故が発生し、廃業に追い込まれた事業所もありました。

社内で起きているハラスメントを放置していないでしょうか。
いわゆる「ブラック」という言葉が一般化し、企業内のハラスメントも急拡大するようになりました。
訴訟をうける企業や関連するニュースは珍しくない社会になりました。
先日も、とある有名企業の人事課長によるハラスメント問題がSNSを中心に急拡大していました。

災害や犯罪になんて早々巻き込まれない、コスト増になると思って、保険未加入という状況になっていないでしょうか。
個人情報を取り扱っているのに、漏洩保険に入らず、一回の個人情報流出事故で倒産になった企業がありました。
新設した社屋が火災に巻き込まれ、保険に入っておらず多大な損害をうけた企業がありました。

トータルコストを減らせるからと言って、固定費を増やしていないでしょうか。
固定費が増えれば売上が減少した時に、赤字のリスクが大幅に高まります。
今回の新型コロナウイルス騒動においても、固定費が高い、製造業や飲食業の多くが危機的状況に陥っています。

リスク管理や経営管理は、経営におけるディフェンスの性格が強いものになりますが、これを軽視することは正常性バイアスにとらわれている可能性があると理解するべきでしょう。

怖れるべきものを怖れる、怖れなくても良いものを怖れないようにするために、改めて今の状況を教訓に正常性バイアスについて再考をするのが良いでしょう。

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