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生産性・業務効率化

理不尽クレーム電話を減らす方法

クレームは商品やサービスの品質を向上させる重要な示唆となることが多く、宝の山と言えます。
しかし、中にはどう考えたって理不尽な内容のものも多いのが実際です。
日本の事なかれ主義で辛い思いをしている方も多い、理不尽クレーム電話。
今回は、理不尽クレーム電話を減らす方法を解説します。

なお、商品やサービス、関連するサポートの体制がしっかりしていることが前提です。
あくまでも、理不尽な内容のクレーム電話を減らす方法です。
ですので、WEBサイトでのQAの充実とか、そもそもとして商品管理をしっかりするとか、そういうのは当たり前にやりましょう。

忙しい人向けまとめ

  • 録音する旨を伝えると、ひるんでしまい、無茶苦茶なことを言いづらくなる
  • 自動音声応答で最初に伝えるなどの方法がよい
  • フリーダイヤルをやめると、電話代がかかるのを嫌がり、電話自体が減る
  • そもそもとして、電話自体を廃止すれば、クレーム電話がなくなる
  • WEBサイトの問い合わせフォームやチャットフォームの設置など、別にわかりやすく問い合わせ対応ができるようにすればよい
  • 電話というコミュニケーションツールは無駄なので、廃止を含めて検討した方が良い

録音する旨を伝える

録音は有用

こちらの記事でも簡単にふれましたが、録音はクレーム電話を減らすのに有用です。

まず当たり前の話ですが、言った言わないをなくせます。
コミュニケーション上の衝突でよく起きるのが、言った言わないですが、これを防げるのです。

そして、電話が録音されてるとなると、ひるんでしまうのでしょう。
わーっと何かをまくし立てたり、罵詈雑言を浴びせたり、無茶苦茶な要求をしてきたり。
そういう理不尽なクレーム電話を減らせるのです。

証拠が残らない状況だと、無茶苦茶なこを言えるというのも卑怯な話なのですが、間違いなく録音は効果があります。

録音が嫌だという方への対応は?

中には録音は嫌だという方もいらっしゃいます。

そういった方への対応は、例えば次のような方法があります。

  • 「会社の方針」と伝える
  • 「お客様のご意見を正確に伝えるため」と伝える
  • 「録音できないような内容であれば対応できかねます」と断る
  • 「ご希望であれば、データを差し上げます」と伝える、ただし手間が増える可能性があるので微妙

自動音声応答で伝えるのがリーズナブル

しかし、もっとイージーな方法は、自動音声応答で電話録音する旨を最初に伝えることです。

「この通話は、お客様への対応の品質向上のため、録音させていただいております。」

このように、録音音声で冒頭で伝えてしまえば、それでことは済みます。
イージーかつリーズナブルな方法ですので、早々に導入してしまいましょう。

フリーダイヤルをやめる

理不尽クレームをする人は、損をしたくないと思っている人が多い

理不尽クレームをする人は、自分自身は損をしたくない、と思っている人が多いです。
そのため、フリーダイヤルをやめると、途端に理不尽クレーム電話が減ります。

フリーダイヤル、つまり通話にお金がかからない無料の電話窓口だと遠慮なく通話ができるので、いくらでも時間をかけて言いたい放題言ってきます。

問い合わせにお金がかかってしまう、という状況を作りましょう。

改めて、クレーム電話が減ることによる効能

上の録音でも言えることなのですが、クレーム電話が減ると次のような効果があります。

  • 長時間通話の減少
  • 残業時間の減少
  • 経費削減(フリーダイヤルの負担分が減る)

併せて、従業員の人数が少ない場合は、本質的な営業活動にまわせる時間が増えるので、業績向上にも寄与する場合もあるでしょう。

日本は事なかれ主義で、如何にトラブルが起きないかという考えで、負担を現場に押し付けがちです。
しかし、クレーム電話が減れば、業務の効率化ばかりか、状況によっては業績向上効果もあるので、現場仕事と考えずに真剣に考えた方が良いでしょう。

フリーダイヤルが無いことに対するクレームにはどうする?

「そっちからかけなおせ」と言って、連絡先だけ伝えて切る方が想定されます。
そういう方には、折り返し連絡しつつ、冒頭で「録音する」旨を伝達しましょう。
多少は冷静な会話が期待できるはずです。

「フリーダイヤルを導入しろ」という方には、「そのような声があったことを社内で共有させていただきます」と返し、事実上のスルーをきめるのが良いでしょう。

別のフリーダイヤルの窓口を探し、そちらにかけてくる粘着質な方もいらっしゃいます。
例えば、受注専用の窓口とかですね。
そういう場合への対応は、電話での受注の廃止が良いです。
今の時代、インターネット経由でいくらでもできるはずなので、古い方法を改めることを検討するのが良いでしょう。
お問い合わせ窓口への誘導も手間がかかりますし、純粋に無駄です。

いっそのこと電話自体を廃止する

そして、一番の方法は、いっそのこと電話自体を廃止する方法です。
当たり前ですが、電話が無ければ、電話は鳴りません。
HPから、電話番号を消してしまいましょう。

今の時代はインターネット上でいくらでもやり取りができます。
問い合わせフォームやチャットフォームを用意し、簡単にかつわかりやすい場所に問い合わせ窓口が設置してあれば、通常は十分なはずです。
実際、最近は電話問い合わせ窓口を廃止している企業も増えてきました。

また、電話代行業者も増えてきました。
一次受付は代行業者が担当し、重要な電話だけ折り返し対応するようにすれば、効率が劇的に向上します。

例えば、リンク先の代行業者ですと、管理機能がSlackと連携できるようになっており、電話があったらSlack上に通知が飛んでくるように設定できます。

fondeskのSlack通知イメージ

最後に

今の時代、基本的に電話でやり取りをしなければいけないようなことなど、ほとんど無いはずです。
電話というコミュニケーションツールは、非常に無駄なので、早々に廃止を含め、検討をした方が良いです。
特に最近の若い方たちは、電話を使う場面が少なく、苦手意識を持っている方が多いです。
離職率防止という観点でも電話廃止は有用ですので、これも含めて検討をする価値があります。

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こんな情報収集は損をする!~本当に役に立つ情報の考え方~

誰しもがインターネットを使い、情報収集を気軽にできるようになった時代。
そんな時代だからこそ、情報収集の考え方一つで、得もするし損もします。
損をしない情報収集、本当に役に立つ情報について考えていきます。

忙しい人向けまとめ

  • 役に立つ情報とは、利益をえるための時間軸で評価される
  • 一般的には「すぐに役に立つ情報」、つまり目先の時間軸で捉えられる
  • 目先の役に立つ情報ばかりを追い求めると、情報に右往左往し、損をする
  • 長期的目線に立って情報収集をすることにより、得をする可能性がある
  • 人は興味のある対象しか覚えられないので、自分の好奇心を育てることが必要
  • 人生の時間は有限で、情報の量は無数なので、自分の人生軸の明確化が重要

役に立つ情報とは

そもそも役に立つ情報とは何でしょうか?

おそらく多くの人にとっての役に立つ情報は、「今、困っているこのことを解決したい」「知りたいこの情報を調べたい」という見方での情報では無いでしょうか。

これは決して誤りではありません。
リアル現実に、目先の困りごとを解決できるので。

1年後、5年後、10年後に役に立つかもしれない、という「かもしれない」で情報を収集することは、ほとんどの場合、無いでしょう。
つまり、役に立つ情報とは、利益をえるための時間軸で評価されるものなのです。

そして、損をする情報収集とは何か。
それは、この時間軸が短いこと、目先の役に立つ情報ばかりを追い求めること
なのです。

目先の役立つ情報ばかりを追い求めることが如何に損か

目先の役立つ情報ばかりを追い求めることで損をする例

今、マスクや消毒液を買えない、もしくは買えるけど高くて困っている人が大勢います。
毎年、冬はインフルエンザをはじめとして、風邪をひきやすい季節です。
このことを意識していれば、事前の備蓄ができ、マスクや消毒液を入手できずに困ることが無かったかもしれません。
(当たり前に物が入手できる時代に酷な話ではあるでしょうが。消費量が多い時期にまとめ買いしておくと安く手に入りますし、毎回買う手間暇も減ります。)

ここ最近ようやく解消されましたが、ティッシュペーパーやトイレットペーパーが入手しづらくなりました。
マスコミの報道の性質や、オイルショックの時に何が起きたかを知っていれば、行列に並ぶなどという行動に出ずに済んだかもしれません。
(純粋に必要なのに、タイミング悪く不足してしまった方はかわいそうですが。)

マスクや消毒液が不足していても、マスクというものは予防効果としては弱く、消毒に関しても手洗いうがいをきちんとできていれば十分に代替効果があることを知っていれば、焦ることは無かったはずです。
PCR検査というものは設備も試薬も必要で、また臨床検査技師という専門家の方も必要である、ということを知っていれば、全数検査を主張するようなことをせずに済んだはずです。

今回起きている騒動のほとんどは、目先の情報にばかり目が行った結果、右往左往して起きたことがほとんどです。
病気というものは非常に身近なもののはずなのに、リアルに感染症にかかった、自分の健康が害されるリスクが高くなった(ように感じた)という、逼迫した状況になって、ようやく情報を収集するので、行動が遅れ、焦り、誤った意思決定を下しやすくなってしまうのです。

日常生活だけでなくビジネスにおいても同様

これは何も感染症の話だけではありません。
ビジネス上についても同様です。

今目の前の生産性を高める事ばかりに注目した結果、衛生管理を怠り、異物混入により工場閉鎖に追い込まれた食品工場がありました。
問題が「起きるかもしれない」ということには目を向けず、労務環境の改善や、情報管理を怠った結果、裁判沙汰になった企業がありました。

将来のリスクを減らす、将来の成長を見据える。
そのような情報には目を向けず、目先の役に立つ情報ばかりを追い求めた結果、このような状態になってしまうのです。

長期的目線に立って情報収集をすることで得をする例

得をする可能性

将来を見据える、つまり長期的目線に立って情報収集することは、すぐの利益にはつながりませんが、得をする可能性があります(あくまでも可能性です)。

目先の費用負担は飲み込み、コミュニケーションや業務フローのIT化に向けて取り組んでいた企業にとって、今回のリモートワークへの移行はスムーズだったでしょう。
そして、今のこのSNS時代において、社会から賞賛されるプロセス、バズりについて知っているからこそできたPRがあります。
早々に時差勤務やリモートワークに移行してPRした結果として、ホワイト企業として賞賛された企業が何社か存在しました。
後発組は、同じような取り組みをしていても、影が薄くなってしまいます。

ウーバーイーツなど、宅配の時代が来ると知っていた飲食店経営者は、店舗サイズを絞り、宅配に対応した店舗設計・業務設計・商品設計をしていました。
そのため、売上の減少を最小限に抑える共に、固定費の少なさから生存可能性を高めることができるでしょう。
逆に、このタイミングだからこそ宅配を強化し(プロモーションの強化など)、業績を伸ばしたところも存在するはずです。

そして純粋に将来を見据えて計画を練っているが故に、成長のスピード感をあげることも指摘できます。
場当たり的に対応するのではなく、ミッション・ビジョンの実現のために、見えている最短距離で進むが故に、他者に比較して速く成長できる、業績を伸ばすことにつながるのです。

将来を見据えた情報収集のメリット

つまり、目先の役に立つ情報ばかりでなく、将来を見据えて情報を収集していると次の得があるのです。

  • 柔軟にかつ迅速に変化に対応できる
  • チャンスが訪れた時にチャレンジができる
  • 成長速度があがる

それでは、具体的にどのような考え方でいればよいでしょうか?

じゃあどうすれば?

人は興味のあることしか覚えられない

まず大前提として、人は興味のあることしか覚えられない、ということを抑えておく必要があります。
となると、興味の対象を増やしていくしかありません。
自分の中の好奇心を育てていくのです。

好奇心の育て方

チャレンジとアンテナ

とりあえず、何でもよいので、色々なことをやってみるのが良いでしょう。

新しいことに何かチャレンジするのです。
何でもよいので、何かテーマを決めてアンテナを立ててみるのです。

そうすれば自然と多様な情報が集まってきます(意識している、つまりアンテナを立てているので)

その内、実際にやってみた結果として、失敗した、やっぱり興味が湧かなかった、ということがわかるでしょう。
これは儲けものです。
どういうチャレンジをしたら失敗をしたのか、自分にとってどういう領域が興味が無いのか、が明確になるからです。
こういったことは、やってみなければわからないものです。
第一印象でものごとを判断せず、とりあえず聞いてみる、調べてみる、やってみるのが大事なのです。

難しいチャレンジであったとしても、今の自分でできる簡単なことからはじめてみるのも良いでしょう。
例えば新しい領域を勉強するという場合、「もしドラ」のような漫画からはじめる、つまりハードルを下げるのもよいでしょう。
つまづいてしまうと、そこで興味も途切れやすいので、興味が途切れないような工夫をするのも大事です。

今までやってきたことのやり方を変えてみる

これまでと違うやり方を考えてみるのも有りでしょう。

例えば、事務作業において手作業でやっていた部分を、Excelの関数やマクロを活用して作業時間を短縮できないか試してみるのです。
そして、このための方法を考えたり、調べてみたりするのです。
知識・技術というものは、将来にわたって活用しやすいので、情報の質としては非常に高いです(目の前の困りごとの解決にも役立つので、二重にお得です)。

通勤において、違う駅で降りて、一駅歩いてみるのもよいでしょう。
今まで知らなかったお店の存在を知ることができるかもしれませんし。
人の導線の理解につながるため、リアル店舗を出す際に役立つかもしれません。

単調な生活は楽なものですが、将来の可能性を狭めてしまいます。
確立したHowだからこそ、一度壊してみるのは、非常に高い価値があります。

住む場所や付き合う人を変えてみる

そもそもとして、自分自身を取り巻く環境を変えてみるのも良いでしょう。

リモートワークで仕事ができているフリーランスの方でしたら、いっそのこと海外に移住してみるのはどうでしょうか。
新しいチャレンジとあわせて、これまでとは違う新しいコミュニティにも所属してみるのはどうでしょうか。

得られる情報の種類が大きく変わるため、それが仮にすぐには役に立つ情報ばかりではなかったとしても、将来の可能性を広げる種になるかもしれません。

人生軸の明確化が重要かな

結論、自分の人生軸、やりたいこと、実現したいこと、面白いと思うことを明確化するのが重要なのでしょう。

自分の人生軸が明確化されていれば、目先の役に立つ情報ばかりでなく、自分の軸に沿った情報を興味を持って収集することが、しやすくなるはずです。

人生の時間は有限です。やらない言い訳を考えている時間は無いはずです。
一方、世の中の情報をすべて知ることは不可能です。
だからこそ、将来を見据えた考え方が重要になるのです。

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速読のウソ・ホント~本当に役立つ読書の方法~

リモートワークが増えた結果、本を読む時間が増えた人も多いのではないでしょうか。
そんな中、読書術、特に速読に興味がある方もいらっしゃると思います。
ここでは、速読のウソ・ホントと題して、速読の真実を解説していきます。

なお、ここではいわゆる「ビジネス書」を対象にしており、小説や漫画のような、速読そのものが無粋になるような本については対象としていません。
また、一部、速読を否定するような記載をしていますが、特定の組織や団体を批判したり、名誉棄損するような意図も無いこと、留意ください。

忙しい人向けまとめ

  • 眼球運動や潜在意識を活用したような速読法の効果は、基本的には科学的に否定されている
  • 速く本を読めたとしても、それが理解度にはつながらない
  • 本を速く読むためには、身も蓋も無いが、前提となる知識や経験の絶対量が必要
  • 知識や経験の絶対量を増やすために、専門書の精読や、幅広く各領域の本を多く読むことが必要
  • 読書の目的は、あくまでも問題解決にあると理解し、手段として効率を高める考えが重要
  • 楽な方法など存在しない、辛くなければ効果はない、のでひたすらの積み重ねが重要

いわゆる速読とは

速読とは

速読とは、文字通りの意味で、文章、特に本を早く読むためのテクニックです。
ちまたには、何かしら速読に関して解説された書籍が転がっています。
そして、この速読法は1つではなく、複数の方法論があります。
まず、速読法の種類に関して見てきます。

速読法の種類

速読法を分類すると、ざっくり次の3つの種類が存在します。

  • 眼球運動を活用した速読法(この種の速読法を一番良く見かける印象)
  • 潜在意識を活用した速読法(右脳を使った、とか表現される場合もある)(フォトリーディングとか)
  • 純粋な読書法としての速読法

結論を言ってしまうと、前者2つの眼球運動や潜在意識を活用した方法は効果がありません。

速読のウソ・ホント

詳細はこちらのカリフォルニア大学の論文に譲るのですが、ざっくり解説すると眼球運動や潜在意識を活用した速読法には次のような問題点があります。

まず、眼球運動についてです。
読書をしていて、文字を一つ一つ目で追っていく読み方や、読み戻し(前に戻って、同じ文章をもう一度読む)は、読む速度を遅くする要因であり、眼球をすばやく動かしたり、視野を広げてページ全体を見渡すような読み方が速いよ良いよ、というのが眼球運動を活用した速読法の主張です。

しかしながら、読書における目の動きの重要性は10%以下であるため、この眼球運動部分のトランザクションを改善したとしても、読書速度全体に与える影響は極めて軽微です。

次に潜在意識を活用した速読法についてです。
本のページを例えば「写真」のように読み取り、右脳や潜在意識を活用して情報を処理することにより、常識では測れない速度で本を読むことができるよ良いよ、というのが潜在意識を活用した速読法の主張です。

これも、そもそもとして人間の脳は、文章の内容や全体の構造を読み解き、再構築しながら理解を深めていく構造になっており、右脳や潜在意識を活用する、という方法自体に科学的な無理があります。

速読法に関する大会が主催されているようですが、この速読法大会の成績優秀者に実験が行われました。
その結果、速読法大会の成績優秀者による速読でも、サンプルとして提示された本の内容を全く理解できていなかった、という明確に速読法を否定する実験結果が出ました。

好意的に解釈して「本を速く読むことはできる」のでしょうが、結局のところ「理解度は低い」と言えるでしょう。

速読法の解説を読んでいると、「素質が無い人には習得しづらい」「人によって合う合わないがある」と擁護するような文章も見受けられます。
速読法に関して興味がある方は、この種の方法論との付き合い方は考えた方が良いでしょう。

それでは、全ての速読法はインチキであり無意味なのでしょうか?

純粋な読書法としての速読法

そうではありません。
上述のカリフォルニア大学の論文でも触れられていましたが、読み手側の知識量に応じて速読の効果が変わります。
有効な速読のコツは存在し、それが「純粋な読書法としての速読法」です。

純粋な読書法としての速読法には2つの考え方があります。

  • 純粋な知識量・経験量の増大
  • 目的の明確化

この2つについて見ていきます。

なお、読書は勉強の一形態ですので、理解を深めるために、こちらの記事も参照ください。

早く本を読むための考え方①~純粋な知識量・経験量の増大~

基本的な考え方

身も蓋もないですが、結局のところ、本を読む速度は知識や経験の絶対量に左右されます。
全くもって知らない領域の本は、読む速度が劇的に遅くなりますし、逆に理解度の高い領域の本はすらすら読めるでしょう。
拳の厚さ位ある、ヘビー級の専門書は、読む速度が遅くなることは明らかに想像ができますよね。
同様に、小学生の教科書は、流し読みでも内容を理解できるのも想像ができるかと思います。

ようは難易度設定が重要なのです。
学習における難易度設定としては、現状の理解度・学習レベルより、少々程度難易度を高く設定するのが良いという研究があります(上の記事を参照ください)。

では、自分の専門領域に関する話と、自分自身の幅を広げるための専門外の領域にわけて、純粋な知識量・経験量の増大について考えていきます。

自分の専門領域 ⇒ 少数の本を徹底的に読み込む

自分の専門領域に関しては、少数の専門書を徹底的に読み込むのが良いでしょう。

例えばマーケティングを担当業務としている方でしたら、「コトラー&ケラーのマーケティング・マネジメント」のような専門書です。
ビジネスの各領域には、何かしら権威的な専門書が存在するはずです。
この専門書を数冊選定し、徹底的に繰り返し繰り返し読み込むのです。

併せて、業務の中で、覚えた内容を活用していくのが良いでしょう。
アウトプットは、良質な学習効果をもたらします。

新任担当者の場合は?

まだ経験も知識も浅い新任の担当者の場合は、各領域の入門書からはじめるのは当然に良い判断です。
専門外の方でも理解できるような薄めの入門書を選び、まずはそれを8割ほど理解する。
この入門書は複数冊を買う必要な無く、1冊だけで良いです。
まずは、適当でも良いので選んだ入門書を8割ほど理解するまで、繰り返し読みましょう。

その次に、少々厚めの本、実務よりな本を選ぶと良いでしょう。
各業界で活躍されている方が執筆している良書があるはずです。
先輩方におすすめの本を聞いて2・3冊ほどを選定し、今度はこれらを8割ほど理解するまで、繰り返し読みましょう。

真面目な方でしたら、2・3ヶ月ほどでここまで十分に到達できるはずで、仕事も覚えられるようになるはずです。
ここまで来たら、上述の専門書の精読フェーズに移れば良いです。
優秀な方でしたら、2・3年ほどで、諸先輩方と肩を並べるくらいに仕事が出来るようになるはずです。

専門外の領域 ⇒ ひたすら多くの本を読む

幅を広げるための専門外の領域に関する読書については、ボリュームが大事です。
可能な限り、ひたすら多くの本を読みましょう。

ビジネスの領域は多岐にわたります。
ヒト・モノ・カネという分類で考えた時、ヒトなら「組織・人事」「リーダーシップ」、モノなら「マーケティング」「経営戦略」「オペレーション」、カネなら「アカウンティング」「ファイナンス」という領域があり、更にそれぞれ細分化された領域が存在します。
これらについて、順番ずつテーマを決めて読んでいくと良いです。

本の選定に関しては、上述「新任担当者の場合は?」に準拠し、まずは専門外の方でも理解できるような薄めの入門書を1冊選んで、6割~8割ほど理解できることを目標に設定するのが良いでしょう。
理解に関して、あまりこだわりすぎず、ある程度ざっくり理解したら、次のテーマに移る方が吉です。
ビジネスというものは一つの領域で完結しているのではなく、複数の領域が複合的に絡み合っているので、入門書レベルでも読み漁っていく内に、段々と点と点がつながり、理解度が高くなっていきます。

テーマを一巡したら、少々厚めの実務よりの本を選定するフェーズに入ります。
そして、同じく6割~8割ほどの理解度目標を設定し、各領域の本を順々に読んでいきます。

3年~5年も続ければ、幅広い領域で、各領域を専門に担当している方々と協業ができるようになるはずです。
「人を動かすためには、その領域のことを知らなくても良い、人を動かすスキルがあれば良い。」という人がいますが、正確性に欠けます。
その領域のことを専門に担当としている方よりは知らなくても良いですが、全くの知識0では話にならないです。
ある領域の知識を6割~8割ざっくり理解するまでは比較的容易ですが、8割より先の世界は修羅の世界です。
そしてこの修羅の世界で生きているのが「専門家」であり、この領域に立て、と言っているのではありません。

せめて、人の上に立つのであれば、ざっくり6割~8割理解レベルまでは到達すべきでしょう。

早く本を読むための考え方②~目的の明確化~

基本的な考え方

次に目的の明確化についてです。

まず大前提として、人は興味の無いことは理解ができない・覚えられない生き物です。
ですので、漠然と本を読むのではなく、毎回毎回テーマを決めて取り組むのが効率的です。

時間軸にわけて見ていきます。

【短期的視野】今、困っていることに関して知りたい

短期的視野、これはわかりやすい話でしょう。
今、何か困っていて、このお困りごとを解決したい、知らないことを知りたい、という状況です。

この「解決したいこと」「知りたいこと」を明確化し、それをピンポイントで調べるのです。
多くの方が無意識にやっているはずです(ググることすらしない人たちも一定数存在しますが、、、)。

つまり、本を全部読もうとせず、タイトルや前書き後書き、目次部分を読んで、自分のニーズに合致する部分のみを読むのです。
本は最初から最後まで全部読まなければいけない、という考えは捨てましょう。
「解決したいこと」「知りたいこと」がクリアできたなら、それで読書目的は達成しているのです。
辞書を最初から最後まで全部読もうとする人って、ほぼほぼいないですよね?

また、この観点に立った時に、眼球運動やフォトリーディング的な読書法が役に立つ可能性が想定されます。
タイトルや目次から、自分の知りたいことがどこなのかわからない本は多いですし、辞書的な専門書でも索引が親切でない本も多いです。
この際、一定程度、あたりをつけて読む形になると思いますが、理解は捨てて、ざっくり何が書いてあるかを見ていく読書法がここで機能しうるのです。

ようは、読書法はあくまでも手段なので、目的のために有効活用しましょう、ということですね。

【長期的視野】将来的に役立つであろう知識を習得したい

次に長期的視野にたって、将来いつか役立つであろうことのための読書です。

基本的には上記「早く本を読むための考え方②~目的の明確化~」の通りです。
注意点が2つあります。

  • 専門領域を深堀りしすぎない
  • 自分の専門領域からかけ離れすぎない

専門領域を深堀りしすぎない

専門領域といものは、深堀をすればするほど、段々と実務からかけ離れていくものです。
繰り返しますが、人は興味がないことは理解も記憶もできない生き物です。
実務からかけ離れたことは、興味からもかけ離れる可能性が高いので、専門領域の深堀は読書の効率を著しく落とすリスクが高いです。

ある程度の知識がついたと思ったのならば、インプットよりアウトプット(実務での活用など)の比重を高めましょう。
アウトプットの方が学習効率は高いので、一定レベルのインプットができたのならば、実践での習得が良いです。

その内、つまづいたり、疑問点が出たりするので、その時に専門書に立ち戻れば良いです。

自分の専門領域からかけ離れすぎない

営業の人がマーケティングを学ぶのは良いでしょう。
関連性が高いので、実務にも役立たせやすいはずです。
しかし、概要のインプットで十分なはずで、個別具体のHowに入り込んだ学習は、優先度が低いはずです。
マーケティングを学ぶにせよ、例えば「Webマーケティング」の概要が学べれば良いはずで、「Googleアナリティクス」の解説書を読む必要は無いのは、わかりやすいと思います。

専門領域からかけ離れすぎると、深堀と同様で、興味の領域から外れやすいことが指摘できます。
加えて、アウトプットをする場面が減ってしまうので、併せて学習効率を落としてしまいます。

最後に

以上、速読について見てきました。

まとめ的に、より根源的なことを書くと「楽な方法など存在しない」です。
速読術を習得すれば、本をたくさん読めて、知識もたくさん得られて、収入もアップして、ヒャッハーできる!なんてことはありえません。
順序が逆で、膨大な量の知識や経験を背景として、結果論として本が速く読めるようになる、です。

「楽してダイエット!」がそもそもとして無理があるように、辛くなければ効果がないのです。
心配しなくて大丈夫です。
努力も慣れれば、「今はもう痛みさえ愛おしい」状態になれます。

物事の理解とそこからの問題解決と目的を明確化し、その上で効率を重視する、あくまでも手段だと速読を捉えるようにしましょう。
それができたら、後はひたすらに積み重ねるだけです。

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生産性・業務効率化

寂しさは組織にも人にも良くない~リモートワークでの孤独の解消~

リモートワークを行う人が急激に増えてきました。
そのような中、ちらほら聞くのが「寂しい」という言葉です。
今回は、孤独は組織のパフォーマンスを下げるし、寂しさを感じている人の健康を害することにもつながることを解説していきます。

忙しい人向けまとめ

  • 孤独感は認知機能や行動力の低下を招く
  • どの立場・階層に関わらず組織パフォーマンスを低下させる
  • 風邪様症状の悪化をはじめ、心身への悪影響にもつながる
  • 寂しさへの心身含めた感受性は遺伝子によって左右されると示唆されており、慣れなどで解決できない可能性がある
  • 他者との積極的なコミュニケーションが重要、会議では雑談もする
  • 運動も忘れずに、肥満対策にもなり、気分も向上する

孤独を感じているメンバーが増えると組織パフォーマンスが低下する

孤独という分野は、特に宗教領域を中心に古来より研究(探求)がされてきました。

科学的な研究においては、例えばシカゴ大学の研究によると、孤独を自覚した人において、明確に認知機能や行動力が低下することが示されていました。

ACADEMY OF Managementに寄せられている研究においては、従業員の孤独感が増すと、タスクの処理やチームの中での役割、従業員間での関係性構築能力が低下するという研究も報告されています。
こちらは、約800名の管理監督者を含む規模の大きめな研究であり、職場における孤独感が、組織パフォーマンスに与える悪影響が大きいことに対する、確からしいエビデンスと言えます。

これは、従業員の中でも立場の低い方に限らず、CEOのような最高位の役職者についても同様だという研究がでています。
組織内の立場が上位になっても必ずしも孤独が解消される、つまり社会の中でのつながりができるかというとそうではない、というのです。
最高位の役職者の半数が孤独を感じていて、そのうちまた半数が孤独感が原因で組織パフォーマンスに影響を与えているようです。

孤独は健康にもよくない

孤独に対する研究は、認知機能に関するものや、組織パフォーマンスに関するものだけでなく、健康をテーマにしたものも多くあります。

米ライス大学における研究では、孤独を感じる状況において、風邪を引いた場合、その症状が悪化することが示されました。
こちらはホテルにおける隔離状況で、人為的に風邪様症状を起こしており、実験の品質としては非常に高いものになります。

風邪が悪化するような“まだ”軽微な悪影響だけではありません。
孤独は、喫煙や飲酒の増加などの自己管理能力の低下や、うつ症状の発症、自殺願望を抱くなど、人生に関りうる深刻な影響報告されています。
孤独な人は、アルツハイマー様症状を発症する可能性が、通常の人の2倍以上であることも示されています。

孤独に対する耐性は遺伝子に決まっている可能性

一方、ひとりでいても平気な人たちもいます。
この違いは何でしょうか?

英ケンブリッジ大学の研究によると、孤独による心身への悪影響は遺伝子によって左右される可能性が示唆されました。
こちらは約50万人分の遺伝子バンクをベースに研究されており、まだ基礎的な研究ではありますが、現時点における最高クラスの基礎研究といえます。

つまり、孤独は慣れやトレーニングによって克服できない可能性があるのです。
まだ研究は必要ですが、寂しいのが駄目だという人が、孤独に対する耐性をあげる努力をすることが良い結果にならないかもしれないのです。
科学的な真実は不明ですが、別の方法を模索する方が吉といえます。

コミュニケーションをとろう!

それでは、孤独感の解消のためには何をすればよいのでしょうか?

オレゴン健康科学大学の研究によると、孤独感の解消のためには、顔を突き合わせてのコミュニケーションがよいという結果が示されています。
こちらの研究では、SNSを介したコミュニケーションでは効果が薄いことがあわせて示されていますが、例えばZoomのような会議ツールでのコミュニケーションに関しては、研究がありません。
デジタル上でのコミュニケーションにおいても、顔を見るコミュニケーションならば孤独感の解消に効果がある可能性があります。

また、デジタル上でのコミュニケーションでも他にやれることは多くあります。

Slackのようなチャットツールではスタンプや絵文字などを活用し、感情を伝えるようにしよう。
文章中心のやりとりでは、感情が伝わり辛く、冷たく受け止められてしまうものです。
フランクすぎる位でちょうどよいのではないでしょうか。

また、会議では積極的に雑談をしましょう。
雑談が人間関係構築に寄与することは、多くの研究によって示されています。
無駄にだらだらとやるのは、純粋に時間の無駄なのでおすすめしませんが、会議の冒頭5分など、会議の参加者みんなで雑談で盛り上がるのはアイスブレークにもなります。

他には、最近の流行ではバーチャル飲み会(WEB飲み会)などもあげられます。
画面越しでも良いので、少しでも顔をつきあわせるコミュニケーションをとりましょう。

最後におまけを2つほど。

上で孤独が心身に与える影響は遺伝子によって左右されるという研究を示しました。
こちらの研究では、孤独に関連する遺伝子と肥満に関連する遺伝子が隣接していた、という調査が併せて示されています。
因果関係の程は不明ですが、肥満はコミュニケーション不良を加速させる可能性があるので、肥満防止・解消のための運動はした方がよいでしょう。
(もちろん全員ではありませんが、太っている人はコミュニケーションが苦手な人が多いのは、感覚値として納得できると思います。)
運動は、うつ症状などの予防や改善にも効果があるので、併せておすすめできる理由が存在します。

また、動物を飼うと孤独感が解消されるという研究もあります。
日本の住宅事情や、独身の家庭ですと、動物を飼うのが難しい場合は多いですが、もし、動物を飼育できる環境にあるならば孤独感の解消のためにはプラスになります。

寂しさは大丈夫な人はとことん大丈夫なものですが、駄目な人にとっては心身に深刻な影響を与えうるものです。
他者とのコミュニケーションによって解決できるものなので、自分自身の中で解決・完結させようとせず、積極的に周囲とつながる努力をしていきましょう。
孤独に慣れる努力よりは、はるかに実がなる可能性が高いと言えます。

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生産性・業務効率化

もしかしたら日本は生まれ変われるかもしれない~リモート化がグローバル化に繋がる~

日本は島国気質であり、グローバル化への対応も諸外国に比べて相対的に遅れています。
これがもしかしたら変化するかもしれない、とここ最近思い始めています。
それはリモート化により、コミュニケーション・コンテクストに変化が起きるからです。
リモート化を企業のレベルアップにつなげたいと考えている方向けに解説していきます。

忙しい人向けまとめ

リモート化により起きる変化

  • リモート化により日本でローコンテクスト文化が浸透する
  • これによりグローバル化への対応が自然と進む
  • なぜならば、欧米のコミュニケーションはローコンテクスト文化だから

コンテクストとは

  • ハイコンテクストとは「空気を読む」「察し」の文化、日本の特徴
  • ローコンテクストとは、言葉そのものでコミュニケーションが行われる文化、明確で正確な指示が必要
  • 日本のハイコンテクスト文化が、グローバル化への対応の妨げになっていた

リモート化対応で必要なこと、起きること

  • リモート化にはローコンテクストコミュニケーションへの移行が必要
  • 「顔が見えない」「言葉以外で伝えようがない」から
  • ローコンテクストコミュニケーションにより、情報の保存性や共有性が向上する
  • ロジカルに考える癖も身に付きやすい環境に置かれる
  • 生産性が向上し、グローバル化への対応も進むかもしれない

ローコンテクストコミュニケーションのポイント

  • 「言語化」「可視化」「定量化」を明確に正確に行うこと
  • そして、個々人の感情への配慮

リモート化によりコミュニケーション・コンテクストに変化が起きる

リモート化があちらこちらの会社で進み、どのように感じているでしょうか?
コミュニケーションがやりづらい、つい電話であったり、テレビ会議を多用したり、なんとか今まで通りに近いコミュニケーションをとろうとしてはいませんでしょうか?

何故、このようなことが起きるかというと、日本はハイコンテクスト文化のコミュニケーションが浸透しているからです。
一方、Slackのようなビジネス・チャットツール上でのコミュニケーションは、必然的にローコンテクストになりやすい環境でのやりとりになります。

そのため、全ての企業や、順応できる企業でもいきなりは無理でしょうが、日本のコミュニケーション文化がハイコンテクスト文化から、ローコンテクスト文化に変化していくのでは?と考えました。
そして、このローコンテクスト文化の浸透は、日本人が今まで苦手としていたグローバル化への対応にもつながる、と考えました。

三段論法的に言うと、リモート化により日本でローコンテクスト文化が浸透する、これによりグローバル化への対応が自然と進む(なぜならば、欧米のコミュニケーションはローコンテクスト文化だから)、というロジック構造です。

コンテクストとは

そもそもとしてコンテクストとは?という話をする必要があるかと思います。

コンテクストとは一言で書くと「コミュニケーションを取り巻く様々な状況」のことです。
コミュニケーションを取り巻く様々な状況とは、時間や状況、場所などの、つまりは「TPO」のことです。

ある人ともう一人別の人が会話をするとき、様々な状況がその二人を取り巻いています。
例えば、話す場所や時間帯、周囲にいる人々、その時々の気分やタイミング、二人の関係性などです。
こういった様々な状況を考慮せずにコミュニケーションを取る人に対して、日本では「空気が読めない」と揶揄をします。

このような、「空気を読む」行為、TPOから多くの情報を得ようとするコミュニケーション文化のことを「ハイコンテクスト」と言います。
つまりは、「察し」の文化ですね。
ビジネス上でのやり取りでは、曖昧な指示などが飛んだ場合、これがローコンテクストです。

一方、TPOなどのコンテクストよりも、実際に表現された言葉から意味や情報を得ようとする文化のことを「ローコンテクスト」と言います。
言葉通りのコミュニケーションになるわけですね。
ビジネス上でのやり取りでは、明確で正確な指示が必要になります。

ハイコンテクストなコミュニケーション文化は、日本のような長い歴史をもち、かつ人々の流動性が少ない国で見られる光景です。
日本以外ですと、中国や韓国を中心としたアジア諸国、アフリカ系コミュニティや各国の先住民系コミュニティがハイコンテクスト文化を持っています。
一方、欧米は人々の流動性が高く、歴史の分断が大きい傾向が強く、ローコンテクスト文化が浸透しています。
イタリアやラテン系、アラブ諸国などは中間位です。

異文化コミュニケーションを行う場合、ハイコンテクスト文化に所属する人は、ローコンテクスト文化の人たちに対して、できるだけ明確で正確に多くの言葉を使ってコミュニケーションをとる必要があります。
曖昧な表現では伝わらないのです。
ローコンテクスト文化の人がハイコンテクスト文化の人にコミュニケーションをとる場合は、ハイコンテクスト側からすると「ストレートに言うなぁ、、、」とは思うことが多いですが、とりたいコミュニケーションの内容自体はとれるので、あまり問題はありません。
(これは、あくまでもマクロ的な全体感、傾向の話なので、個別コミュニケーションでは該当しないことは当然に多い。)

リモートワークで大事なローコンテクストコミュニケーション

リモートワークで大事なのはローコンテクストコミュニケーションです。
これは、お互いに「顔が見えない」「言葉以外で伝えようがない」からです。
(実際には、オフィスワークでも必要なはずなのだが。)

中高年の方でリモートワークに苦手意識や場合によっては嫌悪感を抱くのは、このローコンテクストコミュニケーションが不得手だからなのでは、と推測しています。
中高年の方の会話はどうしてもハイコンテクストになりがちで、そのため社歴であったり世代やグローバルの壁を越えにくいのでは、そしてそれはリモートにも影響している可能性があります。
これにより、ついつい電話をしたくなったりしないでしょうか?中高年の方。

これは、電話を嫌がる傾向が強い今の若者たちにとっても、組織にとっても悪影響を及ぼします。
コミュニケーション内容の保存性や共有性の観点から、非生産的であるからです。

逆にいうと、コミュニケーションをローコンテクストにすることにより、そして最新のデジタルツールを活用することによって、日本企業はその生産性をあげることができるのではないでしょうか?
日本では長らくハイコンテクストコミュニケーションがとられ、それを汲み取ることを良しとされてきました。
ロジカルで明確なコミュニケーションは軽視されてきました。
そのため、多くの日本企業が社外とのリレーションシップを苦手としており、特に海外対応、つまりはグローバル化対応を阻む要因になってきたと考えています。

Slackのようなチャットツールでは明確に空気感は伝わらないですし、Zoomのような会議ツールでは、多少は空気感が伝わりますが、対面コミュニケーション以上には伝わりません。
リモート化に対応するためには、事前に情報を整理しロジカルに考えるなど準備をし、ローコンテクストに語る必要があります。
なあなあの会話でやってきたことが通用しなくなるので、必然的にロジカルに考える環境に身を置かれることになります。
ローコンテクスト文化ですと、背景の異なる第三者とのコミュニケーション上の認識のズレが起きづらくなるのです。

ハイコンテクストコミュニケーションをとりたい、という欲求を抑え、ローコンテクストに移行すれば、日本企業の生産性は向上し、またグローバル化への対応も進むはずなのです。

ローコンテクストなコミュニケーションをとろう

最後にローコンテクストコミュニケーションをとるための指針を書いていきます。

プロジェクトの生産性を高めるローコンテクストコミュニケーション

  • 方針、ポリシーを言語化し、メンバーが同じものを見れるようにする
  • タスクを可視化し、いつまでに何をやらなければならないか定量化する
  • 情報をオープンにしメンバーが自分でデータをとれるようにする
  • リモート会議を減らしテキストベースで完結させる
  • 働く時間を明確化しメリハリをつける

チームの生産性を高めるローコンテクストコミュニケーション

  • ローコンテクストコミュニケーションを心がける
  • きちんと挨拶をし、その日の調子を伝える
  • ポジティブ面もネガティブ面も含め、フィードバックをする
  • 絵文字やカジュアルワードで、感情が読みやすいテキストにする
  • 積極的に雑談する

ポイントは「言語化」「可視化」「定量化」です。
ローコンテクストであることを前提に、ビジネス上でのやり取りを、明確に正確に言語化して物事を伝えるようにしましょう。
煩雑なコミュニケーションをとらなくても、メンバーが情報をとれるように、できるかぎり情報のオープン化につとめましょう。
そして、「言語化」「可視化」されたコミュニケーション・情報については、極力「定量化」を行うように心がけましょう。

また、個々人の感情にも気を配るようにすることも大事です。
ローコンテクストコミュニケーションは冷たく受け止められがちです。
(欧米の人も、ストレートに伝えすぎると、結構傷つく。コンテクスト部分がゼロなわけではない。)
テキスト発信に関して、何かしらスタンプなどリアクションを行う、できれば返信を行う、感謝の気持ちはストレートに伝える、特にポジティブフィードバックについては積極的に伝える。
このように、テキスト上でのやり取りに感情を込める習慣化が大事です。

このリモート化を、致し方なく対応するものではなく、一つのチャンスだと捉えていきたいものです。

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生産性・業務効率化

「もしもしはマナー違反」は間違い!~作られた偽マナーに踊らされるな~

最近のマナー関連の本や解説サイトを見ていると、電話やWeb会議応答における「もしもし」という言葉が、ビジネス用途としては「マナー違反」とされているようです。
「申す申す」から来ている略語であり、上から目線だ、適切な言葉づかいではないから、らしいです。
しかし、これは明らかにマナー講師による「作られたマナー」です。

ここでは、なぜ「もしもし」はマナー違反ではないのか、そして「作られたマナー」に関して、解説していきます。

忙しい人向けまとめ

  • 「もしもし」は電話が日本で使われ始めた電話交換応答における「ルール」が起源
  • マナー違反だとする理由は、敬語ではないため、略語のため、若者言葉のだめ、の3点
  • どれも、ロジック的に破綻しており、ナンセンスな主張である
  • 世の中には、マナー講師が職業を失わないための「作られたマナー」が存在する
  • マナーの本質は、こちらの不手際によって「相手に不快感を与えない」こと
  • 相手の時間を奪わないようにする(電話しない、リモートで済むものはリモート)「礼儀2.0」を取り入れたい

「もしもし」の誕生経緯

まず、「もしもし」の誕生経緯から見ていくのが良いでしょう。

日本の電話の父的な人物として「加藤木重教(かとうぎしげのり)」という方がいらっしゃいます。
その加藤木氏に関して書かれた書籍には、次のような記載があります。

「もしもし」の誕生

1890年(明治23年)12月16日に東京の電話交換が始まった。
それに先だって電話交換の交換実験が行われた際の説明書きには
『ここにおいて受容者は、聴音器を両耳にあて、器械の中央に突出する筒先を口にあて、まず「おいおい」と呼びにて用意を問い合わせ「おいおい」の声を発して注意し、先方よりの承諾の挨拶あるを聴音器にて聞き取り、それより用談に入るなり』
とあるので、一番最初の問いかけの言葉は「おいおい」だった。
(中略)
この当時「おいおい」に対しての受け手の応答は「ハイ、ヨゴザンス」に決定されていた。もしもしとは「申す申す」が変化して出来た言葉だが、当初は男は「おいおい」女は「もしもし」だったらしい。
「もしもし」に統一されたのは明治35年頃と言われている。
この「もしもし」を考案したのは、電話を日本で設置する際に研修ということで、明治23年にアメリカに渡った加藤木重教だと云われている。
その時、アメリカの電話では「ハロー/Hello」と言う言葉を使っていたが、この言葉を説明する日本語がどうも判らない。
そこで、「もしもし」という言葉を必死に考え出したものが、現在まで続いている。

国立国会図書館「重教七十年の旅」

つまり、電話交換における定められた「ルール」であり、一種の「プロトコル(一種の儀礼)」であったのです。

なお、今現代ですと、知らない方が多いかもしれませんが、昔の電話は「電話交換手」という方が電話の中継業務を行っていました。
電話をしたい人とこの電話交換手が、円滑に電話応答を行うための「ルール」が必要だったのです。

「もしもし」はマナー違反だとするロジック

さて、それでは、ここ最近「もしもし」がマナー違反だとするロジックに関して確認していきます。

いくつかのマナー解説サイトを読んだものをまとめると、敬語ではないため、略語のため、若者言葉のだめ、の3点が主張になるようです。

  • 「もしもし」の語源は、「申す申す」が変化してきた言葉であり、敬語では無いため
  • 「もしもし」の語源は、「申す申す」の略語であり、略語は失礼にあたるため
  • 「もしもし」はいわゆる「若者言葉」であるため

しかし、「もしもし」の誕生経緯から入り、ロジックを検証する限り、この全ての主張は破綻していることは明確でしょう。

「もしもし」はマナー違反だとするロジックへの反証

まず、①の「敬語では無いため」ですが、「もしもし」が電話応答における定められた「ルール」であり、一種の「プロトコル(一種の儀礼)」であるため、そこにいちゃもんをつけること自体がナンセンスです。
そもそもの「ルール」から成立した慣習なのだ、ということは、前提として考えた方がよいでしょう。
既に、その用法自体に「ルールに則っている」という敬意を含有しているのですから。

②の「略語だから」ですが、ビジネスシーンにおいて、略語があふれていることは言うまでも無いでしょう。
略語は失礼だから使用してはいけない、ということならば、ビジネスコミュニケーションがかなり煩雑なものになります。
契約書の甲乙丙も略式なので、使っちゃいけないことになってしまいますね。

③の「若者言葉だから」ですが、これは電話交換の歴史を鑑みれば若者言葉に該当しないことは明確です。
100年以上の歴史がある用法であり、電話交換における口語のプロトコルなのですから。

つまり、どの主張もロジックが破綻しており、ナンセンスとしか言いようがないのです。

それでは、なぜこのようなナンセンスなマナーが出来上がってしまうのでしょうか?
それは「マナー講師」の存在が疑われています。

作られたマナー

マナー講師は、自分たちの職が無くならないようにするために、新しいマナーを発明していく必要があります。
それでAmazonや書店、マナー解説サイトで「新マナー」や「意外と知られていないマナー」、「誰も知らないマナー」、「日本人が知らないマナー」のような、タイトルの本や記事などが登場する形になります。
もう、意味不明です。
新しいとか誰も知らないんだったら、マナーでもなんでもないじゃん、、、

世の中にはこのような作られたマナーがたくさんあります。

比較的最近見かけた作られたマナーですと、下記のようなものがありました。
これらはまだ一部で、他にも存在しており、非常に頭が痛くなります。
×が作られたマナーです。

徳利の注ぎ方

×「お酒を注ぐとき、注ぎ口からお酒を注ぐのは『円(縁)を切る』から失礼」
〇「機能美として注ぎ口があるのだから普通に使えば良い(徳利製造メーカーより)」

緑茶はお祝いのお返しに贈ってはいけない

×「緑茶はお祝いのお返しに贈ってはいけない、葬式を連想させるため」
〇「問題ない、伝統的にお祝いのお返しに贈られてきた」

トイレットペーパーを三角におる

×「トイレ使用後にトイレットペーパーを三角におるのがマナー」
〇「トイレットペーパーを三角におるのは清掃終了のサイン、衛生的に使用者がおってはいけない」

江戸しぐさ

×「江戸しぐさ」
〇「江戸時代に、江戸しぐさというものは無かった」

出されたお茶を飲んではいけない

×「取引先で出されたお茶は飲んではいけない、相手の条件を全部飲むという意味になるから」
〇「いただきます、と言い飲んで、最後帰る際に、ごちそうさま、と言う」

訪問先でドアのノック回数は3回が正しい

×「ドアノック2回はトイレの回数と一緒だから失礼」
〇「2回で十分」

最後に

マナーの本質は、こちらの不手際によって「相手に不快感を与えない」ことであり、「作法」そのものには価値が無いはずです。
わけのわからないマナーを量産し、一部の人によるマウント取りのネタにしたり、働きづらさを助長するのは本質ではないでしょう。

マナーとは移り変わるもので、人の気持ちはロジックではなく感情で整理されるものでもあるため、「もしもしはマナー違反」だと言う人に「それは間違いですよ」と言うのも違います。
営業の場面などで、マナー違反だと勘違いしている人がいるかもしれない中、わざわざ使うリスクをおかすことも無いでしょう。
それでも、わざわざ助長させたいとは思いません。
相手が使ってきたとしても、こちらは気にしない、というスタンスが良いでしょう。

繰り返しますが、マナーの本質は、こちらの不手際によって「相手に不快感を与えない」ことにあると理解し、わけのわからない「作られたマナー」に踊らされないようにしたいものです。
その意味で、取り入れたい「作られたマナー」として、納得感の高さから次のツイートを紹介します。

礼儀2.0、いいですね。
これから使っていきたい言葉です。

(おまけ)「もしもしはマナー違反」はいつ頃から?

なお、「もしもし」がマナー違反だとする主張が出始めたのは2004年頃からです。
まだメジャーでは無いですが、聞く頻度が増えたのはここ数年でしょうか。

20代の方は、電話を使用する機会が増えたのが、仕事を初めてからになるでしょうから、かえって「もしもしはマナー違反」には違和感が無いかもしれません。

(おまけ)マナーの起源から考えると、、、

貴族とかそういう「地位」が存在した時代、マナーは、その地位の高さを示すもので、地位が高い人たちにとっては重要視されていたものでした。
ようは、高い教養、高いマナーを備えることが、貴族としての地位を示す、平民や自分より各が低い貴族に対する一種のマウント機能を果たしたのです。
その観点で考えると、次々に新しいマナーを発明し、もしくは取り入れ、それを知らない人たちに対して誇示をすることは、ある意味において正しいと言えます。

決して見習いたくは無いですが。

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生産性・業務効率化

「視座を高める」だけで良いのか?~3つの目を持て~

ベンチャー界隈で生息していると、たびたび耳にするのが「視座」という言葉です。
一般的には、視座は高い方が良いと言われますが、それは本当でしょうか?
ここであえて疑問を提示し、本当の意味で有益な「視座」を得るための考え方を検討します。

忙しい人向けまとめ

視座について

  • 視座とは「物事を見る姿勢や立場」のことで、一般的には「高い」方が良いとされる
  • 「視座が高い」と、問題を発見でき、選択肢を多く持て、ゴールに至る効率があがる
  • ただ、「視座が高い」だけでは不足があり、「鳥の目」「蟻の目」「魚の目」の3つの目を併せ持つ必要がある

3つの目について

  • 鳥の目 : 大局的に見る
  • 蟻の目 : 現場から見る
  • 魚の目 : トレンド変化に着目

視座とは?

辞書的には「物事を見る姿勢や立場」という意味の視座ですが、その言葉通り、物の捉え方・問題意識って人によって違うよね、という前提から考えられます。

良く語られる例えで言うと、ビルの入り口に立っている人では遠くは見通せませんが、ビルの屋上に立っていれば遠くを見通せる、ゴールへの最短距離を俯瞰して見える、と語られたりします。

別の例えで言うと、直近の新型ウイルス騒動において、普通の人たちは「怖い」「マスクが買えない」「学校が休みになって育児が大変」と考えますが、これが企業経営者でしたら「今後の業績の見通し」「会社としての対応方針」「銀行や株主との調整」などについて考えます。

これは下記のイメージで考えれば、ポジション的にも表現しやすく、立場が変われば、物の見え方は大きく異なってくるよね、というのがわかりやすいと思います。

視座 役 職

↑高 社 長
|  部 長
|  課 長
|  係 長
↓低 平社員

つまり、ビジネス的観点での「視座」の使い方では「高い」ことが良しとされています。

しかし、それは本当でしょうか?
視座が高いことが、本当に良いことなのでしょうか?

視座が高いことは実際に良い

視座が高いと、より上位レイヤーの立場にたって問題を捉えることができます。
自分個人のことではなく、事業や会社の立場にたって、やるべきことを策定し実行できるのです。
広く遠くを見ているので、発生しうるであろう問題を予期できる場合もあり、また成果をだすまでのプロセスも複数立案でき、成果を出す、ゴールにたどり着くまでの効率が爆あがりします。

逆に視座が低いと、自分中心に物事を考えてしまいます。
仕事が忙しければ愚痴を言い、まわりの人のことを考えずに、自分自身だけの領域で部分最適化を実行します。
誰かが休む(病欠だったり、産休だったり、色々な理由が考えられる)と「自分の負担が増える」と不満を見せ、チームの雰囲気を悪くし、自分が休みたい状況において休みづらくする、自分の首を絞めてしまう状況を作る場合もあります。

これだけ見ると、確かに視座は高い方が良いように見えます。
実際、視座は高い方が良いです。

これは何も仕事の話だけでなくプライベートにおいても同じで、会社で出世したくない、と考えている人も、視座は高い方が良いことが多くあります。
ゴールにたどり着くまでの効率が爆あがりするのは、自分自身の自己実現に対しても言えるからです。

自分が持っている知識や経験、置かれた環境、自分自身がやりたいこと、人生の幸せ。
そういったことを高い視座で俯瞰して見れれば、現在地点からゴールまでの距離を、最短に縮め、自己実現を果たせる可能性があがるのです。

ただし、、、「高い」だけの視座は危険

とある大学生A君がいます。
A君はボランティア活動に熱心で、若いのにビジネス書をたくさん読み、起業家などが主催するセミナーなどにも足を運ぶ、勉強家です。
将来は起業をし、世の中を良くしたいと考えています。
しかし、まわりの意識が低い、「視座が低い」人たちを見下す傾向があり、友達は少ないです。

とあるベンチャー起業家Bさんがいます。
若くして起業し、世の中を良くしたいと思い、壮大なミッション・ビジョンを掲げ、ごくごく少人数の創業メンバーと共に頑張り、何とか今までに無いサービスをローンチしました。
セールスのミーティングでBさんがいつも言うのは「それはミッション・ビジョンに照らし合わせて、どうなんだっけ?」。
顧客はまだついていません。

とある大企業社長C氏がいます。
誰しもが知っている多店舗展開をしている会社です。
いわゆる「ブラック」企業として。
C氏は店舗を効率よく運営する手法として、「ワンオペ」という人件費を最小化できる方法を考え実行しました。
会社の業績は爆あがりしました。
短期的には。
ある時、時流の流れか、社会から叩かれ、従業員は去り、きれいな形のある店舗が大量に営業できない状況に陥りました。
当然、業績も急下降です。

これらは、若干の編集は加えているものの、どれも実在の人物を参考にした例です。

物事を高い視点で見て、社会を良くしよう、会社の業績を良くしよう、と思うのは結構なことなのですが、それだけではダメなのです。

A君に足りないのは(不足だらけなのですが)、結局の所、本人の実務経験であったり、そのどうしようもないコンプレックスに向き合わない精神です。

Bさんに足りないのは、いいから足を動かして顧客をとる、という圧倒的な行動力です。
どんなに崇高な志を持っていたとしても、吹けば消えてしまうような会社では何の説得力も影響力もありません。

C氏に足りないのは、時流を読む力であったり、現場を見ない、もっとストレートに言えと経営者としての能力不足です。
きっと、部課長としては優秀だったのかもしれません。
(人は、無能になるまで出世を続ける、と言いますしね。ピーターの法則。)

それでは、視座が高いだけではダメなのならば、何が必要なのでしょうか?

鳥の目、虫の目、魚の目

答えはケースバイケースで人によって違うものなので、一概には言えません。
しかし、別の観点を提示することはできます。

それは、「鳥の目」「蟻の目」「魚の目」の3つの目です。
(「魚の目」は「うおのめ」と呼びますね。)

鳥の目とは、鳥のように上から俯瞰して物事の全体感を掴む、ようは「マクロの視点」です。
上述していた、「高い視座」に近いものがありますが、微妙に違います。

蟻の目とは、蟻のように小さな目で、目の前にある物事の状況を見る、ようは「ミクロの視点」です。
「低い視座」に近いと思ってしまう人がいるかもしれませんが、全然違います。

魚の目とは、「潮の流れを読む」、つまり時代や市場の流れ、トレンドの変化に着目する視点です。
「魚眼レンズ」からイメージして、世の中を今までに無い切り口から見る場合に使うたとえとして、言及されることもあります(こっちを超音波視覚的な感じから、コウモリの目、と言ったりする人もいますね)。

上であげた、A君、Bさん、C氏に、この3つの目があったらどうでしょうか?
A君が、鳥の目、自分を客観的に見る視点を持てば、態度を改め、応援し協力する人をたくさん得られるかもしれません。
Bさんが、蟻の目、ひたすら足を動かし、汗をかき、顧客を獲得する貪欲な動き方をすれば、マーケットの声をたくさん拾え、サービスのブラッシュアップにつなげられると共に、実際に顧客を獲得できるようになるかもしれません。
C氏が、魚の目、時代の変化を掴み、これまでの現場経験を振り返り、今必要なことを再度考え直せば、もしかしたら業績悪化を防ぐことができたかもしれません。

この「鳥の目」「蟻の目」「魚の目」の3つの目は、「視点」の話であり、「高い低い」の話はしていません。
「視座は高い方がよいが、それだけではダメで、この3つの目を併せ持つことが重要だよ」というのが私の提案です。

最後に

以上、「視座が高い」ことだけでは不足があり、「鳥の目」「蟻の目」「魚の目」の3つの目を併せ持つことが必要という、「視座の高さ」に関する私の提起でした。

最後に、視座の高さだけでは不足があるよ、と言いつつ、視座を高めるトレーニング方法を一つ紹介します。

私が卒業したビジネス・スクールでは、「もしあなたが、〇〇〇の社長だったら、どうしていくか?」というケーススタディを、約100本こなす課題が与えられます。
過去のケーススタディではなく、今実際に課題を抱えている企業を題材に、未来どうしていくか?をひたすら取り組むのです(「リアルタイム・オンライン・ケーススタディ(RTOCS)」と呼ばれていました)。
学生は2年間に渡り毎週毎週、他の講義の課題もある中、ハードシンキング、ハードシングスをすることになります。

お手軽に取り組めるトレーニング方法なので(全然お手軽じゃない)、興味がある方はやってみてください。

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生産性・業務効率化

集中力を鍛えることに対する一つの意見~タイガーウッズを参考に~

忙しい現代社会において「集中力」は多くの人の関心のまとです。
Webで「集中力」と検索をすると、「集中力を高める」であったり「集中力を鍛える」というワードがサジェストされてきます。
書店にいけば、DAIGO氏による「自分を操る超集中力」というタイトルの本をはじめ、各種「集中力」に関する本が並んでいます。
ここでは、この「集中力を鍛える」というテーマに関して、一つの意見、切り口を解説していきます。

集中力は常に忙しいひとたちの関心の対象

仕事でも勉強でも、頑張る人にとって欲しいものに「集中力」があげられるでしょう。

「集中力」については多くの人が言及していて、例えば、「目標を設定する」であったり、「あえて難しい仕事に取り組む」であったり、「締め切りを設けることにより自分を追い込む」ことにより集中力を高めている人もいます。
そして、多くの場合にあげられる集中力を高める方法として出てくるのが「気が散らない環境を作る」ことです。

気が散らない環境とは例えば、スマートフォンの電源を切る、騒音が少ない環境で仕事をする(耳栓やイヤホンをするも含む)、布団を片付けたり家からソファのようなくつろげるものを排除したりする、などの方法です。
これは一定、科学的に合理的であると言えます。

こちらの記事でも書きましたが、オープンなオフィス環境は、気が散る要素が増え、他人からの邪魔も入りやすくなるため、生産性が明らかに低下することが示されています。
気が散る要素を削ることは、科学的には正しい集中力を高める方法なのです。

ここでは、この集中力に関して、すぐには効果がない、おそらく多くの人にとっては役に立たないであろうことを、あえて書いていきます。

私の過去の環境

私が一番長く勤めた会社は、ありていに言って「従業員自身の努力や貢献」に強く依存していた会社でした。
また、社会活動や環境貢献にも強い関心をもっており、コストを削減した分は、第一にお客様に還元すべきであり、加えて、社会活動や環境貢献のような領域にまわそうとするポリシーも持っていました。
これに関しては、良い悪いの話ではなく、こういう会社だった、というだけの話です。

では、具体的にどのようなオフィス環境だったか、というと、まず机が狭かったです。
どれくらいの狭さだったかというと、隣の人と満席のカフェの距離感、というとイメージがしやすいかもしれません。
当然、書類仕事には向いていない環境でした。

水光熱費に対する意識も高かったので、夏は暑く、冬は寒い、夜は暗い環境でした。
生産性、クリエイティビティ、という意味において、だいぶ厳しいというのが率直な感想です。

これらは、会社の方針であり、基本的に異を唱えることができません。
自分の力で変えることのできない、アンコントローラブルな領域でした。

その環境下において、どうやって私が集中力や生産性を高めていったのか?を改めて考えたときに、あるストーリーを思い出しました。
タイガーウッズと、タイガーウッズの父親の話です。

なお、当該会社の話を聞くと、あまり良くないイメージを持たれてしまうかもしれませんが、私はその会社のことが好きで、結局8年ほども勤めてしまいました。
ですので、繰り返しますが、良い悪いの話ではない点は留意ください。

タイガーウッズは如何に集中力を身につけたのか?

タイガーウッズは、誰しもが知っている一流のゴルフプレイヤーです。
当然、彼も人ですので浮き沈みがあることも誰しもが知っているでしょう。
それでも、非常に高い集中力をもっている人であることは確かです。

このタイガーウッズと、タイガーウッズの父親について、有名な逸話があります。

「タイガー・ウッズの父親は、タイガーの練習中、わざと大きな気が散る音を立てたり、視界に入って邪魔をした。それでタイガーは強靭な集中力とメンタルを身に着けた。」というものです。

プレイ環境は一定でなく、一緒にまわる競争相手のプレイヤーや観客も必ずしもマナーの良い人たちばかりではないでしょう。
外部環境に関して、実際の試合の場面では、アンコントローラブルな領域は多いのです。
そのため、タイガー・ウッズの父親は、あえて邪魔をし、気を乱すことに対する耐性を身に着けさせた、ということです。

この話を、上で書いた会社にいた時に読んで、「環境を変えられないのであれば、自分が変わるしかない」と思いました。
最初は「ぶっちゃけ理不尽だな、、、」とは思っていたのが正直な所ですが、意識し続けると慣れてしまうのも人間の性質です。
半年もすれば、外部環境、特に騒音や横やりによって自分自身の集中力が乱されることがほとんどなくなっていたのです。

まとめ

今この記事を書いているのは自宅のオフィスです。
子どもは小学生と未就学児の2人がおり、まあまあやかましく、一般的にはあまり仕事に集中できる環境ではないと思います。
が、これで私の集中力が乱されることはありません。
長い期間、集中力という観点において、厳しい環境に身をおいてきた結果として、外部に影響されない集中力が鍛えられていったのです。

「すぐには効果がない、おそらく多くの人にとっては役に立たないであろうこと」と書いたのは、結局のところ、入り口が精神論であり、一朝一夕で身につく類のものではないからです。
科学的にも立証されておらず、あくまでも「経験則」にすぎません。
そのため、人に強くすすめることもしません。
ですが、自分自身の体験と実感値から、これは効果があると考えているのも確かです。

「集中力」に対して悩み、鍛えたいと考えている人は、参考にしてみてください。
半年もすれば慣れるはずです。

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生産性・業務効率化

エルゴノミクス(人間工学)製品はオフィスの生産性をあげるのか?

近年のベンチャー企業オフィスにおいて、エルゴノミクス(人間工学)に基づいた製品を導入する例が増えてきました。
「生産性をあげるから」が理由のようですが、本当に生産性はあがるのでしょうか?
具体的な研究から示唆される内容をもとに、考えてみます。

忙しい人向けまとめ

  • エルゴノミクス製品の使用により、快適感が向上する人がいる
  • 不快であるとする人も同割合でいて、「慣れ」「トレーニング」が必要
  • 疲労度の軽減にはあまり効果がない
  • 快適感や疲労度に関しては「バイアス」の影響が大きい
  • 素直に、睡眠・運動・リラックスをすることが重要
  • エルゴノミクス(人間工学)と「生産性」に関する研究はほとんどない

エルゴノミクス(人間工学)とは

エルゴノミクスとは、ハードウェアやソフトウェアなどについて、快適で使いやすい道具にするための設計やデザインのことで、人間工学と訳されます。

元々は産業分野における、人が扱う機械の使いやすさから発祥した研究分野ですが、近年のITの発展に伴い、扱いやすいコンピュータ機器のデザインとして、よくその言葉を聞きます。
一般的には、エルゴノミクス製品を使うことにより、眼精疲労や肩コリ、腰痛、むくみなどが軽減され、ストレスに悩まされにくくなる、とされています。

オフィス・デザインにおいては、従業員が使うデスクやチェア、キーボード、マウス、ディスプレイなどのオフィス・ファシリティについて検討されたり、組織全体としての生産性や創造性の向上を目的に、クリエイティビティなデザインと共にエルゴノミクス製品を取り入れるオフィスが増えています。

エルゴノミクス(人間工学)製品の有用性について

エルゴノミクス製品の有用性について、研究されたものを探したので、いくつか紹介します。

早稲田大学の研究(学生による実験)では、エルゴノミクス製品を使用することにより、筋活動量が有意に減ることが示されています。
生産性評価はされていませんが、エルゴノミクス製品の試用による疲労度の軽減が示唆されるほか、例えばノートパソコンのような作業がしにくい環境において、慣れにより疲労が蓄積しているにも関わらず、疲労を感じにくくなっていることが示唆されています。

慶応義塾大学の実証実験(広告的実験であることと、当時のリンクは無く、記事のみ)では、エルゴノミクス製品に対する慣れが進むほど、エルゴノミクス製品の方が使いやすくなることが示されている他、疲れにくくなった、という意見が出ています。
主観的評価であることと、疲労度評価がされていないことは留意です。

他にもあるにはあるのですが、主にエルゴノミクス製品を生産・発売しているメーカー発のものが多いことがわかりました。
主に「疲労度」にアプローチをあてたものが中心で、「生産性」にアプローチしているものはほとんどありませんでした。

なお、この種の研究で行われる生産性評価は、タイピングにおける打鍵数の比較や、何かものを仕分けるなどの単純タスクが中心であり、実際のオフィス環境で行われる作業内容とは乖離している場合が多いことは留意する必要があります。

エルゴノミクス製品は本当に有用か?疑問の提示

エルゴノミクス製品には「慣れ」が必要

上述、慶応義塾大学での実証実験でも一定示されていましたが、エルゴノミクス製品には「慣れ」が必要です。

米コーネル大学の研究では、エルゴノミクス製品を揃えたワークステーション環境を用意し、非エルゴノミクス環境下との比較で、その有用性が調査されています。
調査の結果、約33%ほどの従業員がエルゴノミクス製品を快適であるとしているのに対し、ほぼ同数の約33%ほどの従業員が不快であると回答しています。
勤務時間中に、首、肩、背中、手首などに不快感が報告されており、作業活動を妨げている、というのです。
つまり、快適である、と、不快である、がほぼ同数だったのです。

同研究では、エルゴノミクス環境に対して、トレーニングを積ませると、新しいワークステーション環境に適合し、問題が「軽減」されることを併せて示しています。
つまり、「慣れ」が必要であり、「教育コスト」がかかるのです。

姿勢と身体の痛みは、あまり関係がない?

オーストラリアで行われた研究では、「姿勢の悪さ」と「首の痛み」についてその関係が調査されており、座った時の姿勢と首の痛みには関係がないことが示されています。
むしろ、若い方においては、「気分」との関連性の方が大きいことが示されました。
(そうか、悩みや心の痛みは、やはり身体に影響を与えるんだね。)

こちらの研究では、もっと辛辣に、エルゴノミクス製品のような、姿勢を正す器具類の使用によって、身体の痛みを防げることは、ほぼほぼ有用でないか、まったく有用でないと、しています。
研究では、「バイアス」の影響が大きいことが言及されています。
全体として質の高い研究が少なく、エルゴノミクス製品の有用性について判断がしづらいこと、さらに質の高い研究が必要なこと、が併せて言及されています。
本研究は2018年に発表されたもので、かつメタ研究であることもあり、現時点における比較的信頼性の高い研究と言えます。

なお、別の観点での研究においてはすでに発生している痛みの軽減に関しては、エルゴノミクス製品が有用である、と示唆されています。
こちらもメタ研究であり、現時点における信頼性としては、高い報告と言えます。

疲労度軽減には素直に睡眠・運動・リラックスが有効

これまで見てきた通り、エルゴノミクス製品は人によって快適感の向上につながることが示されている一方、比較的多くの人に対して「慣れ」「トレーニング」が必要であることが示されました。
「疲労度」に関しては、軽減するとする研究もあるものの質が低く、メタ研究ではあまり効果が無い、というのが現時点での意見となっています。

エルゴノミクス製品を生産・販売している企業による広告的な研究が多い事や、エルゴノミクス製品そのものを使用していることに対する「バイアス」的なものが多いのでは?というのが研究をメタ・レビューしてみての感想です。
ただ、まだエルゴノミクス・研究は意外なほど量が少なく、十分な研究がされていない、というのが現実です。
さらに研究が進み、真に生産性を向上させるデザインが発明されることは十分に考えられます。

英ハートフォードシャー大学によるメタ研究では、エルゴノミクス製品に関して上述のような研究に触れつつ、こう意見を述べています。
睡眠、運動、リラックスをすること。

身もふたもない。

最後に私見

繰り返しますが、エルゴノミクス製品と生産性に関しては、研究がほとんどありません。
私見になりますが、「慣れた」環境が結局の所、生産性の向上(というか維持)には効果的と考えます。

一般的に普及しているスタンダードなキーボード、マウス、デスク、チェア。
オフィスにおける生産性投資に関しては、そういったもので十分であると考えられ、かつスタンダードなものはコストを明確に抑えられます。

現在の人不足からくる採用難対策として、ハイセンスでクリエイティビティのあるオフィスにすることは一定有用かもしれませんが、オフィス・ファシリティにまで、過剰に持ち込む必要はなさそうです。

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生産性・業務効率化

ゲームは悪影響をおよぼすのか?~ゲーム依存は非科学で、本当は頭が良くなる~

「ネット・ゲーム依存症対策条例」が話題になっています。
ゲームで遊ぶと依存症になってしまい良くないよね、というのが理由の条例です。
これに対して、この論拠が非科学であること、そしてゲームで遊ぶと実は頭が良くなること、について解説していきます。

忙しい人向けまとめ

  • ゲームによって依存症になることはほぼない(ついでにゲームによって暴力的になることもない)
  • ゲームは認知機能(IQ的なもの)を向上させる
  • ゲームはモラルやチームワークなど、社会性を向上させる

ゲームの何がいけないのか?~条例の根拠~

香川県で「ネット・ゲーム依存症対策条例」が可決された、というニュースは既に多くの方がご存じかと思います。
内容としては、18歳未満を対象に、ゲームの利用時間を1日60分まで、休日は90分までとし、スマートフォンは中学生以下が21時まで、それ以外は22時までとする目安を設け、家庭内でのルール作りを促すものです。
学習目的での利用については制限はありません。
条例違反に対する罰則規定はありません。

これ自体に関しては、選挙によって選ばれた方々によって構成された県議会が審議の上で決定したことなので、口をはさむ立場にないと考えています。
考えてはいますが、それはそれ、これはこれで、やはりこのサイトのポリシーからすると「科学的にはどうなのか?」については言及するべきだとも考え、本稿を執筆した次第です。

さて、ポジショントークとなってしまう可能性もあるので、ニュートラルに私自身について告白をすると、私はまあまあなゲーマーでした。
今でこそ、仕事が忙しいのでほとんどゲームをやる時間がなく、あまり手を付けられていないのですが、学生時代はかなりの時間的リソースをゲームに投入していました。
ですので、以下は、ポジショントークとかもしれない、という前提で読んでいただければと思います。

さて、当該条例のパブコメを読む限り、条例名の通り、「依存症」がいけないよね、ということで制定された条例です。
ここのリンクで、パブコメを一通り読めます。
ニュートラルに事実を記載すると、パブコメで提示された全2,686の意見者数の内、賛成が2,269、反対が401、提言等その他が16と、実に約84%が賛成となっています。
(一部報道で「賛成票」という書き方が見受けられますが、パブコメは別に投票では無いので、「票」という書き方はどうなんでしょうね?)
パブコメ内では賛成意見と反対意見に関して、その意見の概要がまとめられており、見てみると、賛成意見はPDF「1ページ」、反対意見はPDF「80ページ」となっています。
つまり、ニュートラルに事実だけを提示するのならば、意見者のうち約84%が賛成の立場であり、賛成意見は全体意見のうち約1%ほどのボリュームという内訳になります。

さて、次に「依存症」部分に関して、考えていきます。

依存症に関しての検証

もろもろ調査をした結果、こちらのサイトがよくまとまっていました。
ただ、こちらのサイトもニュートラルに、サイトの性質的にポジショントークであるかもしれないことは、前提として読むのが良いでしょう。

まず、基本的にゲーム依存になる人の割合は少なく、約91%の人はゲームをしても全く問題がなかったとされています。
純粋にゲームよって依存症になってしまった割合は、約1.7%と、全体の一部であること、また仮に依存性が見られたとしても自然治癒する人がほとんどであることも言及されています。

国別にも影響度が異なり、社会環境など、別の要因の可能性が高く示唆されます。
つまり、「他に依存できる対象が多い」と、その他の対象に依存する可能性が高いということです。

また、香川県が論拠とした科学研究についても異議が出ており、例えば病気としての取扱い(IDC-11上では、あくまでも「状態」であり、「病気」とは定義していない)や、ドーパミン仮説(楽しいことをしていればドーパミンが放出されるのは当たり前であり、これはゲームに限らない)について、反証が出されています。

その他諸々、規制の論拠に対して、一つ一つ反証がでています。
そして、ゲームに依存してしまう人は、ゲームが規制されたとして、別のことに依存するだけでは?とし、「依存症」という観点において、規制での対処は難しいと結論付けています。

ゲームは人の脳機能を向上させる!

さて、これまで規制に関する話と、依存に関する、ネガティブよりな話をしてきました。
それでは、ゲームにはポジティブな効果は全く無いのでしょうか?

実はあり、各種の研究が人の脳機能を向上させるとしています。

例えばこちら、ニューメキシコ州にある研究所Mind Research Networkの研究によると、ゲーム(テトリス)をすると脳の一部が厚くなり、またその活動効率も向上したとしています。
「知的活動」が実際に脳の構造に影響を与え、認知機能も向上したのです。
(ただ、こちらに関しては「ゲームに対する習熟が脳の構造に反映されただけ」とも読み取れることは留意。)

こちらはゲームではなく、インターネットそのものですが、カリフォルニア大学の研究によると、インターネットを使用すると、脳の活動が活発になり、特に中高年において認知機能の改善に役立つかもしれない、としています。
理由としては、読書などの知的活動は「インプットだけ」ですが、インターネットは自ら検索する行為や、「どこをクリックするのか?」という判断もあるため、脳を使う機会が多いから、とされています。
ロジックとしては非常に頷けます。

IQ的側面だけでなく、社会性に関してもプラス効果があるという研究もあります。
英ボーンマス大学の研究によると、日常的に多様なゲームをする人は、そうでない人に比較し、モラルが高いのでは?という結果を示しています(より正確に言うと、モラルが高い行為を判断する能力が高いという結果)。
道徳的な観点における正誤を問うアンケート調査において、ゲームをする人のスコアが一様に高かったと言うのです。
また、同調査において、ゲームがチームワークを促進する効果についても示唆しています。
近年のゲームは、インターネット上での運営である場合が多く、ゲーム内のギルドやフレンドなど、コミュニティが形成されます。
その結果、チームワークをはじめとする社会性の醸成につながるのでは、としています。

社会性だけでなく、判断力にもプラスの効果があるとされています。
米ロチェスター大学の研究によると、アクションゲームには、人の判断力を向上させる効果があることが示されています。
アクションゲームによる「トレーニング」を積んだ被験者は、そうでない被験者に比較して、判断力(スピードと正確性)を測るテストにおいて、25%ほどスピードが向上性、正確性についても損なわれなかったとのことです。
研究者は、ゲームは、ゲームそのもののスキルだけでなく、運転や道に迷わないなど、様々な場面で日常生活に役立つ可能性があると話しています。

さらに、いわゆる「障害」に関してもプラスの効果があるという研究があります。
米カリフォルニア大学の研究によると、ゲームで遊ぶことにより、認知機能が改善し、障害が和らいだとしています。
ゲーム自体が障害の治療となる劇的な効果は無いにせよ、認知障害への対応のオプションになる可能性が示唆されているのです。

これらの研究はほんの一部です。
ゲームにより、純粋に脳のスペックが向上し、社会性も身に着けられ、場合によっては障害が和らぐ効果もある。
ゲームによるプラスの効果、ポジティブな効能がこれだけ示されているのです。

繰り返しますが、本稿は「ポジショントークかもしれない」というは前提においておいてください。
それがニュートラルだと思います。
しかしそれでも、研究を収集する限りはポジティブな効果に関するものが多いことは言及します。

(参考)ゲームは人を狂暴にするのか?

今回の条例では話題にあがっていませんが、「ゲームは人を狂暴にし、暴力的にする」という意見もあります。
これはどうなのでしょうか?と言うと、結論確かな根拠はありません。

アメリカ心理学会によると、暴力的なゲームと、現実世界における暴力行為には因果関係がない、科学的な証拠は不十分、としています。

英ヨーク大学の研究においても、ゲームで遊ぶことが、暴力的になることに関して、つながりはない、と明確に否定しています。

これらも多くの研究の、ほんの一部ですが、非常に多くの研究が、ゲームと人の狂暴性に関して、明確に否定する立場をとっています。

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