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孤独が好きな人は高い「知能」を持つ傾向がある、という話

興味深い研究があり、「知能」が高い人は一人、つまりは孤独を好む傾向がある、とされています。
多くの幸福に関する研究が、対人関係の充実と幸福に関連があることを示しています。
ただし、それは例外があるようで、「知能」という変数が影響を与えます。

最初に補足:「知能」の種類

最初に補足をしておきます。

知能には様々な要素があります。

  1. 論理・数学的知能
  2. 博物学的知能
  3. 視覚・空間的知能
  4. 内省的知能
  5. 言語・語学知能
  6. 身体・運動感覚知能
  7. 音楽・リズム知能
  8. 対人的知能

このような知能が存在する中で、上述の「知能」は1~5のいわゆる「IQ」的な「知能」を指しています。

つまり、以降の話で言う「知能」の高低は、頭が悪いとか良いとか、そのような話ではないということは留意ください。

孤独が好きな人は高い「知能」を持つ傾向がある、という研究

こちらの研究では、「知能」の高い人が友人等との付き合いを頻繁にすると、人生の満足度が下がる理由について説明しています。

https://bpspsychub.onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1111/bjop.12181

その観点は、進化心理学に基づいたものです。
「知能」は、ある特定の課題を解決するための能力であり、「知能」の高い人は集団の中で仲間たちの助けを借りずに問題を解決することができました。

一方で、「知能」の低い人は、問題解決のために仲間たちと協力をすることが必要です。

そのため、進化の過程で、「知能」の高い人は孤独を好み、「知能」の低い人は誰かと一緒にいる方が幸福を感じるようになっていきました(というのが研究の主張)。

「知能」と孤独、幸福の研究の概要

研究では、18歳から28歳までの15,197人にアンケート調査を行い、幸福度、知性、健康等について測定が行われました。
その結果、友人と付き合うと幸福になる、という傾向が示されました(人が密集している所にいると人は不幸になる、という傾向も併せて示されています)。

つまり、大多数の人にとって、友人との付き合いは幸福度の向上につながります。

ただし、上述の通り、「知能」の高さが例外を生みます。

詳細は「幸福のサバンナ理論/サバンナ幸福論/サバンナ理論」というキーワードで参照いただきたいのですが、現代の歪な社会構造(太古の時代には無かった人間関係の構造)では、不特定の知り合いでも無い人たちとの交流が求められます。
知り合い以上、友達未満のような関係性の浅い人間関係もです。

この環境は非常にストレスが多く(実際、都市部の方が地方よりもストレスが多いことが示されている)、高い「知能」は特定の方向に、この高ストレス環境に適応をしました。

それが孤独です。

「一般的に、高い知能を持つ人は、私たちの祖先が持っていなかった不自然な嗜好や価値観を持っている可能性が高いです。人間は友人関係を求めるのは極めて自然なことなのですが、その結果として知能の高い人は逆に友人関係を求めなくなる可能性が高いのです。」と研究者は言います。

ようは、自分を理解してくれる人が少なければ、一人でいることを好むのは自然なことなはず、ということです。

孤独はストレスのリセットにもなる

また研究により、「知能」が高い人は、交流関係から恩恵を受けていない(と感じている)にもかかわらず、「知能」が低い人よりも多くの人付き合いをしていることが示されています。

つまり、高い「知能」を持っている人は、孤独をストレスのリセット機能として活用しているのです。

高ストレス環境下にうまく適応する形で進化していると、研究者たちは言及しています。

加えて書くと、「知能」の傾向として、都市部の平均値の方が、地方の平均値より高いということもわかっています。
また、地方で産まれた「知能」の高い人は、その後都市部に移り住む傾向が高いこともわかっています。

忙しくて疎外感を受ける環境は、高い「知能」を持つ人にとって悪影響を与えない、ということです。


この研究は非常に興味深いものです。

誰かが一人でいるからと言って、その誰かが寂しい人だとか、本当に孤独だとは限らないのです。
加えて、高い「知能」を持っている人にとって、孤独は同時に高い生産性につながる時間を作り出します。

一方で、留意しなければならない点も多くあります。

上述の研究は、相関関係を示しただけであり、因果関係を示したものではありません。
人付き合いを好む人の「知能」が低い、とは限りませんし、そもそもとして知能には様々な種類があり、IQ的観点だけで語れるものではありません。

また、別の研究で、高い「知能」を持っている人は、同時に孤独の原因となるストレスを抱えやすい傾向があることもわかっています。

繰り返しますが、この話は良し悪しの話ではなく、傾向であったり、性質の話です。
「知能」に対する理解を深める題材として捉えると、世の中の見え方が拡がるかもしれません。

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ロジカルシンキング,フェルミ推定まとめ

「ロジカルシンキング,フェルミ推定」のまとめになります。

ロジカルシンキング

フェルミ推定

補足

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経営者は何故、目新しい施策に飛びつくのか?

経営者、特に若いベンチャー企業の社長で多いのですが、目新しい施策に飛びつく光景をよく見かけます。
それが科学的(統計学的)に効果がある、と示されていなくとも、どこか著名な経営者や企業が取り組んでいる事例、友人の経営者が取り組んでいる施策等を実施したがります。
何故、そのような行動に出るのでしょうか?

一流のアスリート程、似非科学を取り入れやすい

非常に興味深い事例があります。
それは、一流のアスリート程、似非科学を取り入れやすい、という話です。

https://theconversation.com/olympic-athletes-excel-at-their-sports-but-are-susceptible-to-unproven-alternative-therapies-165377

似非科学(えせかがく)とは、疑似科学(ぎじかがく)とも言い、科学的で事実に基づいていると主張しているにもかかわらず、科学的方法と相容れない言明・信念・行為のことです。
ようは、科学的に証明されていないにも関わらず、科学を装っているもの、が似非科学です。

上の記事では、一流のアスリートであっても、50%から80%の割合で代替医療を利用している、としています。
そして、その数字は一般人より多い、ということです。
(代替医療の例として、カッピング、カイロプラクティックの脊椎マニピュレーション、鼻ストリップ、ホログラムブレスレット、酸素ドリンク、レイキ(ヒーリングハンド)、クライオセラピー、キネシオロジーテープ(Kテープ)などがあげられています。)

代替医療は次の3つの特徴があるとしています。

  1. 強い主張と弱い根拠で販売されている。
  2. 「エネルギー」「代謝産物」「血流」などの科学的な響きを持つ言葉を使って、科学的な正当性を装っている。
  3. コントロールされていない、サンプル数が少ない、質の低い研究に基づいている。そのため、治療による実際の効果と、認識されているものや想像上のものとを区別することができない。

それでは何故、一流のアスリート程、似非科学を取り入れやすいのでしょうか?

研究者は、人間は「精神的な近道」を使い、迅速かつ不完全な解決を図るように進化してきたからだ、としています(これをヒューリスティックと言う)。

つまり、比較的少ない投資で大きな報酬が得られる(経済的ヒューリスティック)代替医療により恩恵が得られるならば、と贅沢なうたい文句の影響を受けやすくなっている、ということです。
ほんのわずかな成果の差が、勝敗をわける世界なので、当然と言えばそうなのでしょう。
(その他にも、純粋に経済的に厳しく、スポンサーの意向を汲まねばならない関係上、代替医療にも手を出しやすい構造があることが指摘されています。)

この構図は経営者にも当てはまるのでは?

そして上述の構造は、経営者にも当てはまるのではないか?と考えられます。

ベンチャー企業の場合、諸々のリソースが大企業に比べて非常に限られている場合がほとんどで、経営者の欲求として、「精神的な近道」を求めるのは自然な姿と言えます。

そのため科学的には方法論が確立されていない様々な施策に飛びつきがちになってしまうのではないでしょうか。
(OKR、1on1、オープンオフィス等々、色々と事例が挙げられます。)

代替医療の3つの特徴をもう一度見てみます(要約)。

  1. 強い主張と弱い根拠
  2. 科学的な響きを持つ言葉を使って、科学的な正当性を装っている
  3. コントロールされていない、サンプル数が少ない、質の低い研究に基づいている

どうでしょう?
著名な経営者や大企業が取り組んでいる様々な施策ですが、その根拠にまで当たって見ると、多くの事例がこの特徴に合致するのではないでしょうか?


少しでも高いパフォーマンスを、「精神的な近道」を、という気持ちは当然に理解できるものなのですが、それに飛びついた結果として待っているのは、リソースの浪費です。
結果を出すためにも、何か目新しい施策に取り組む前に、それがどのような根拠に基づいた施策なのか?それは科学的に効果が示されたものなのか?(経験則としても、長い蓄積がされたものなのか?)をきちんと検討するのが望ましいと言えるでしょう。

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クリティカルシンキング(批判的思考力)も重要だよという話

ロジカルシンキング(論理的思考)の重要性について、疑問を呈する人は少ないでしょう。
実際、数多くの研究により、ロジカルシンキングの能力の高さと、年収の高さや犯罪率の低さなどが関係することが示されています。
しかし、より良く生きる、という観点ではクリティカルシンキング(批判的思考力)の方が重要だ、という示唆があります。

クリティカルシンキングとは?

まず大前提として、クリティカルシンキングについて触れておきます。

批判的思考(ひはんてきしこう)またはクリティカル・シンキングとは、あらゆる物事の問題を特定して、適切に分析することによって最適解に辿り着くための思考方法である。批判の定義については論者によって異なるが、共通的には、単に否定的になるのではなく、自身の論理構成や内容について内省することを意味する。その方法論としては、考察対象をよく理解すること、間違った推論を起こす暗黙の前提を明らかにすること、証拠について評価したり、循環論法や人身攻撃など論理的な誤りを避けるための誤謬についての理解といったこと。
Wikipedia「批判的思考」より

「批判的思考」というと、ネガティブなイメージを抱くかもしれませんが、解説にある通り、単純に否定をする、というような話ではなく、きちんと論理的に物事を考え分析しましょう、というものです。

ロジカルシンキング(論理的思考)が、推論によるある種の答え(結論)を導く思考のプロセスなのに対し、クリティカルシンキングは論理的な正しさのみならず、物事の妥当性を導く点が特徴的です。

クリティカルシンキング(批判的思考力)に関する調査

カリフォルニア州立大学の研究者達がクリティカルシンキングとライフイベントに関する調査を行いました。

https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1002/acp.2851

教育者や企業は、学生や求職者のクリティカルシンキングの能力を評価することが重要であることに同意していますが、クリティカルシンキングの現実的な成果について検証された研究はほとんどありません。
Halpern Critical Thinking Assessment(HCTA)は、信頼性の高いクリティカルシンキングの測定法であり、複数の集団および学業成績の測定法で検証されています。
本研究では、HCTAのスコアが、教育、健康、法律、金融、対人関係などの広範な領域における現実の成果を予測するかどうかを検討しました。
米国の地域社会の成人(n=50)、州立大学の学生(n=48)、コミュニティカレッジの学生(n=35)を対象に、HCTAとライフイベントの行動目録を記入してもらいました。
全体的に、クリティカルシンキングのスコアが高い人は、低い人よりも否定的なライフイベントを報告しませんでした。

つまり、クリティカルシンキングの能力が高いと、人生における悪いライフイベントの発生頻度が低く、より良い人生を送れている、ということが示唆されています。


この研究は、ロジカルシンキングの重要性を否定するものではありません。

冒頭に記載の通り、ロジカルシンキングの能力の高さと、年収の高さや犯罪率の低さは関係があります。

このロジカルシンキングの能力を更に発展させて、クリティカルシンキングの能力も高められるとより良い人生を送れる可能性が高まる(かもしれない)という点が本稿のポイントです。

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人の意思決定は直近の体験や情報に引きずられる

論理的思考に長けている人は、持っている情報を総合的に判断し、最も合理的な意思決定を行っている、と考えているはずです。
しかしながら、いくつかの研究では、人の意思決定は直近の体験に引きずられる傾向がある、ということがわかっています。
つまり、無知が故に最適ではない判断を行う、とは限らないのです。

最良の判断より直近の体験

複数大学の研究チームにより次のような実験が行われました。

https://www.nature.com/articles/s41467-020-15696-w

今回の研究では、57人の参加者は、パターンを洞察し、そのパターンを利用することで報酬を増やすことができるというシンプルなコンピュータゲームをプレイしました。
研究チームは、参加者のマウスカーソルの動きを追跡して、パターンに気付いたかどうかを検出しました。

例えば、参加者は、画面の上半分に表示されている2つのシンボルのうち、左上か右上にあるシンボルを1つクリックし、カーソルを移動させます。
その後、画面の下半分にカーソルを移動させると、右下または左下にシンボルが表示され、そのシンボルをクリックすると、報酬が得られます。

参加者は、このゲームを何十回も繰り返し、高報酬が得られるパターンを学習していきます。
(研究者は、参加者のマウスカーソルの動きにより、パターンを学習したか否かを判断できる。)
そして、参加者のほぼ全員がパターンを学習することができました。

ここで重要な実験の鍵が、通常のパターンとは異なる挙動が10%~40%の間で発生するよう仕組まれていた点にあります(イレギュラー)。

参加者は、イレギュラーが発生した後は、通常のパターンにおける最も効率が良い挙動を行わずに、どちらのパターンが起きても対応できるようなマウスカーソルの動きを示しました。

つまり、人の意思決定は直近の体験や情報に引きずられる、ということが示されたのです。

総合的に考えたら、イレギュラーが起きる確率は高くなく、戦略的に通常パターンに最適化させた方が効率が良いにも関わらず、です。
(最も効率が良い通常パターンに最適化させた方法をとった参加者は全体の20%程度だった。)

直近のフィードバックに引きずられる

これだけだと、イレギュラーも含めた総合的なパターンまで学習しきれなかった可能性があります。

そこでカリフォルニア大学の研究チームが行った、別の実験も紹介します。

https://direct.mit.edu/opmi/article/2/2/47/2950/Certainty-Is-Primarily-Determined-by-Past

500人以上を対象とした実験で、参加者は架空の図形「Daxxy」について、モニター上に表示される様々な色の図形の組み合わせを見て「Daxxy」であるか否かを特定するタスクを行いました。
「Daxxy」を特定する手掛かりは、「Daxxy」であるか否かを選択した後に得られる、正解か間違いかのフィードバックのみです。
また、「Daxxy」であるか否かを選択するたびに、回答の自信度についても答えました。

その結果、参加者はフィードバックを総合的に判断し推測の精度を高めているのではなく、最後の4,5回の試行を、正しく認識できた否かを判断する材料としていることがわかりました。
これは、試行を重ねることにより推測の精度を高めていった、というものではなく、「Daxxy」がなんであるか正解できたか否かに関わらず、最後の4,5回の試行で自信度を高めていた、という点から示されたことです。

参加者は、過去の試行を推測の精度を上げることに役立てられなかったのです。


これらの実験は非常に示唆に富みますし、人々が恐ろしいバイアスに囚われていることを示しています。

優れた意思決定者になろうとするならば、人の意思決定は直近の体験や情報に引きずられる、という点を理解し、あくまでも総合的に判断するよう努める必要があります。

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EQ(心の知能指数)が高い人はフェイクニュースを見抜くのが上手い

世の中には誤報、そして悪意に満ちているフェイクニュースが溢れています。
一般的には分析的思考力が高いことが、フェイクニュースを見抜くために重要だ、と言われていましたが、どうやらEQ、心の知能指数も重要な要素であることがわかってきました。

https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0246757

従来の知見

フェイクニュースとは、根拠のない噂や意図的に人をだますようなプロパガンダの類で、古今東西、存在しており、特に為政者達にとって関心の高い事象でした。

近年、フェイクニュースの害悪性が特に語られるようになったのは、インターネットやソーシャルメディアの普及による、膨大な情報流通が背景にあります。

近年ではアメリカ大統領選挙や新型コロナウイルス感染症など、多くの場面でフェイクニュースが溢れていました。

これらのフェイクニュースが溢れる、もっと言うと大元の発信者が広める理由は、政治的な利益や経済的な利益、もしくはその両方を得る点にあります。

フェイクニュースは、センセーショナルで荒唐無稽な内容で、人々の関心を引き、世論の誘導や、広告収益を得るなどを行ってきました。
発信される情報は、よりセンセーショナルで、より荒唐無稽であるほど、人々の関心を強く引きます。

そのため、いくつかの研究において、分析的思考力が高い人はフェイクニュースの影響を受けにくい、という結果が示されてきました。

本稿においては、この分析的思考力のみならず、EQ、心の知能指数もフェイクニュースを見抜くための重要な要素だ、ということを解説します。

EQ(心の知能指数)とフェイクニュースの関係の研究

複数大学の研究チームは、次のような調査を行い、EQ(心の知能指数)とフェイクニュースを見分けられるか否かについて調査しました。

  • 参加者は87名(女性55名)で年齢は17歳から56歳と、幅広く参加した
  • 参加者は、アンケートを行い、EQ(心の知能指数)の測定を行った
  • また、参加者には健康、犯罪、移民、教育、気候変動など、さまざまなトピックのニュースを提示し、フェイクニュースを見分けられるかのテストを行った
  • ニュースは3つの本物のニュースと、3つのフェイクニュースが提示された

その結果、EQが高い人は、フェイクニュースを見抜くのが上手いことが示されました。

EQが高い人は、過度に感情的に誇張されたニュースに対して、敏感になれるのでは無いかと考えられます。


過去の研究により、EQは鍛えられることがわかっています。

EQが高いメンバーがチームにいると、チーム全体のパフォーマンスが高くなる、という知見もあり、フェイクニュースを見抜く力が身につく、というメリットだけでない点も指摘できます。

EQをトレーニングする、という観点の書籍も増えています。
改めて、EQを見直してみるのも良いかもしれません。

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ナルシストと後知恵バイアス~反省し学ぶために~

物事が起きたあとでそれが上手く行った時に「そうだと思っていた。」という発言。
もしくは、失敗した時に「こんなことになるとは誰も予想できなかった。」という発言。
聞いたことはないでしょうか?
後知恵バイアスというもので、ナルシストが陥りやすいバイアスの一つです。
そして、この後知恵バイアスに囚われると、反省し学ぶ能力が低下します。

ナルシストは自分のミスから学ばない

複数大学の研究チームは次のような実験を行いました。

https://journals.sagepub.com/doi/10.1177/0149206320929421
  • 学生、一般の労働者、管理職に対して自己愛の度合いを測るアンケートを実施した(例:「自分は特別な人間だと思う。」という言葉に共感するかどうか、を尋ねた。)
  • 研究者は参加者に対して全く別の実験だ、と説明し、関連する対面調査を実施した(アンケート調査が後の調査に影響しないように注意を払った。)
  • 対面調査では、架空の採用場面を設定し、採用与件(必要資格)を確認した上で、誰を採用するかを参加者が選択した
  • 続いて、その後の採用した人材のパフォーマンス評価を行い、採用判断が正しかったか否かをヒアリングした

この実験の結果、自己愛性向が強い、つまりナルシストは自分の予測の精度が悪かったとしても、異なる選択をすべきだったと認める傾向が弱いことが示されました。
また、上手く行った場合に“勝者の気分”になる傾向が強いことも示されました。
(上述の後知恵バイアスに囚われている態度を示した。)

ようは、ナルシストの傾向がある人は、上手く行ったら自分の手柄であり、上手く行かなかったら自分のミスではない、という反応を示す傾向が強いということです。

研究者は、この結果をもって、ナルシストは失敗を反省し、学ぶ能力が低下している、としています。

どう対処すれば良い?

頭の良い人たちならば、自覚して、適切な反省、適切なPDCAを回すだろう、そう感じたりしませんか?

実はそうとも限らず、ウォールストリートの金融の専門家達における金融危機への態度などを例に、一般的に頭が良い、優秀だとされる人たちでも、見られる傾向だとしています。

それではどう対処すれば良いのでしょうか?

まずは自覚をすることでしょう。

  • 自分は特別な人間だと思う
  • 自分は他の人よりも優秀である
  • 「やっぱりな」「だから言ったのに」と思うことが多い

このような設問に共感するのであれば、ナルシストの傾向が強い、ということです。

ナルシストは後知恵バイアスに囚われる傾向があるので、まずは自分がナルシストの傾向があるのかどうなのか、を適切に自覚することが最初の一歩でしょう。

そして、後知恵バイアスというものの存在を知識としてしっかりインストールしましょう。
(自分がナルシストの傾向が強いことと併せて)知っていれば、「あ、まずい。」と気が付ける確率が高まります。

そして、意図してセルフ・デビルズアドボケイトを実施すると良いでしょう。
(例:もし、自分が間違っていると仮定したら、何を変えなければいけない?)

このように対処すれば、反省し学ぶことが適切にできるようになるはずです。

ナルシストも決して悪いものではありません。
研究では、一般的な人よりも精神的に健康であり、幸福度が高いことが知られています(上手く行ったら自分の手柄で、上手く行かなかったら自分のミスではない、と考えるので当然ですね)。

ようは、自分の性格や思考の癖との付き合い方の問題ですので、適切に御していきましょう。

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「終わり良ければ総て良し」というバイアス~何故、ワクチンを忌避する人が出るのか?~

新型コロナウイルス感染症の対策の一つであるワクチンが普及しはじめましたが、このワクチンに対して忌避の反応を示す方は一定数存在します。
何故、このような反応になるのでしょうか?
ここには一つのバイアスが潜んでいると考えられます。
そして、このバイアスは日常全般、仕事にも影響を与えている可能性があります。

とある研究の存在

非常に興味深い研究があります。

https://www.jneurosci.org/content/40/46/8938

研究の概要は次のようなものです。

  • 28名の健康な男性(21歳~36歳)が参加
  • 参加者には固定の報酬に加え、タスクパフォーマンスに応じた変動報酬が与えられる
  • 参加者は壺に大きさ(価値)が異なるコインが連続して入っていく画像を見て、その壺の価値(コインの総額)を評価する試験を行った
  • 参加者は、壺の総額が同じであっても、最後に大きなコインが入った壺の方を高い価値があると評価する傾向が強かった。

この記事にとって必要となる情報をピックして箇条書きにしましたが、実験ではMRIスキャナーを用いて、脳のどの部位が活性化しているのか?反応のメカニズムは何なのか?という点についても研究・考察がされています。

上述の通り、参加者は、壺に大きさが異なるコインが1枚ずつ連続して入っていく画像を見て、その壺の価値を評価したのですが、最後に大きなコインが入った壺を高い価値があると評価しました。
壺の価値が同じであってもです。

ようは、ここには「終わり良ければ総て良し」というバイアスが存在するのです。

論文では「ハッピーエンドを不当に好む傾向」がある、と指摘しています。

「終わり良ければ総て良し」というバイアス

この「終わり良ければ総て良し」というバイアスは、日常生活の多くの場面に存在します。

例えば、何かしら外食をして、途中で出た料理があまり美味しく無かったとしても、最後に食べた料理やデザートが美味しければ、そのお店を「美味しいお店だ」と高く評価するでしょう。
同様に、楽しいお出かけだったとしても、帰りに雨に降られれば「酷い日だった」と感じるのでは無いでしょうか。

ビジネスでも同様です。

何かしらの投資アクションにおいて、トータルとして利益が出たかどうかが大事ですが、仮に投資リターンが同じであっても、尻すぼみな投資パフォーマンスであるよりも、右肩上がりのパフォーマンスの方が、高く評価される光景は珍しく無いでしょう。

望むと望まざるとに関わらず、意識するしないに関わらず、このバイアスは身近に存在し、私たちの思考に影響を与えているのです。

何故、ワクチンを忌避する人が出るのか?

何故、ワクチンを忌避する人が出るのか?という事に対しても、この研究から一定の示唆が得られます。

これまで長く自粛を続け我慢してきた中、そうは言っても真に安全なのかどうなのかがわからないワクチンを打つという行為は「終わりが良くない」行為と言えるでしょう。
上述のバイアスに囚われているならば、是非にも忌避したい行為となってもおかしくありません。
(もしくは、万が一強い副反応が出たら、それこそ「終わりが良くない」と思うでしょう。
自分だけはワクチンを打たずに、まわりがワクチンを接種して、安全を享受するフリーライダーになりたい、つまり、自分だけ「終わり良い」状態になりたい、という思考も考えられます。)

論理的に考えれば、安全性が非常に高いワクチンであることは、もう億単位で接種が済み数字としてわかっている話なので、忌避する理由はありません。
しかし、mRNAワクチンという新しいタイプのワクチンに対する「何となく」の恐怖感が、思考にエラーを与えている可能性は十分に考えられます。

なお、冒頭で紹介した研究では、壺の価値をニュートラルに評価した参加者もいました。
そのような参加者は、脳の活性化部位から、上述のバイアスに囚われず、合理的に思考を行った参加者であることが考察されています。


論文では、フェイクニュースや様々な広告等による印象操作についても、このようなバイアスが思考にエラーを与えていることを私的しています。

私たちは合理的思考能力を手に入れる必要があり、これらの知見はそのために非常に役立つはずです。
あくまでも慎重な思考のプロセスを辿り、物事のメリット・デメリットを整理し、より賢明な判断を下すことが重要でしょう。

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【今日のロジカルシンキング】いわゆる連帯責任について

東海大野球部の薬物問題で連帯責任が話題になっていますね。
今回は、この連帯責任について、ロジカルに考えると如何におかしな話なのか?を解説します。
言いたい事を一言でまとめると「抽象度を高くして考えると整理しやすいですよ」です。

コントロール不能な事にどこまで責任を負うか?

まず、一つ。
どこまで、コントロール不能(管理不能)な事に責任を負うのか?という話があります。

今回の場合、ある複数の個人が行った行為に対して、所属部員達全員が連帯して活動停止という処罰をうけた形になります。

何かしら教唆の事実があるのならば致し方無いですが(というより別の法的問題がある)、関知できない領域に対して責任を負うのは、そもそもとして無理筋、理不尽だよね、という話です。

これは一般的に言われている、おかしいよね、というロジックになるかと思います。

全人類が無限責任になる

次に、もう少し、論理構造で考えてみます。

ある個人が罪を犯したとして、法に則り罰を受けると。

それは何もおかしな話では無いですが、今回の場合は、その個人が所属する組織(と構成員)に対しても責任を負わせよう、という話です。

それを構造として解説したのが上記のツイです。

書いてある通りなのですが、連帯責任を良しとすると、全人類が無限責任になるんですよ。

完全な一個人で、社会と一切関わりなく生きている、という人はこの世に存在しません。
(まぁ、社会に関わりなく、の定義次第では、いくらでも理屈は捏ねられますが。)
つまり、誰かの責任を連帯して負うという話をしだすと、何かしらの責任事象について、連鎖的に波及し全人類が責任を連帯して負う形になってしまいます。

そんな、おかしな話、あってよいわけがないですよね。

連帯責任ロジックを社会に一般適用すると、社会が麻痺する

無限責任と同じような話ではあるのですが。

少しだけ切り口を変えて、役割に照らし合わせた連帯責任があるとします。

その構図のおかしさについて話をしたのが、上記のツイです。

例えば警察署員が薬物使用で逮捕されたとして、じゃあ、その所属していた警察組織って、どのような連帯責任を負うのが適切なんでしょうね?
そして、それが社会にとって良い事なんでしょうかね?

会社員とか、芸能人とか、マスコミとかでもありますが、じゃあ、その所属組織の機能を一々止めていたら、普通に社会機能が麻痺する、ってちょっと考えたらわかりますよね。
(そして、非常におかしな話なので、通常はそのような連帯責任が課せられる事は無い。)

教育機関だから???

何で、大学だけが適用されるのか?というと「教育期間だから」という話をされている方もいるようですが。
大学生って最低でも18歳以上で、公職選挙法では選挙権もあり、また20歳以上になれば法的に成人ですよね。
また、義務教育でもありません。
普通に個人が責任を追えば済む話だよね、って真っ当な思考をしていれば、わかりそうなもんですけれどね。


あげたらもっと何でおかしいのか?を列挙できそうな気もするのですが、とりあえずこの辺にしておきます。

何か、物事を考える時に、抽象度を高くして考えると良いです。

上記の例ですと、登場人物に対して個人xとか、組織X、事象A、B、Cというような形で、その論理構造を説明しました。
この思考法は、比較的万能性高く使えるのでオススメです。
最初は小難しく感じるかもですが、慣れれば当たり前に使えるようになるので、ぜひ試してみてください。

なお、法的な連帯責任については、社会規範を保つためや、経済の効率性のためには必要な事なので、その点については区別して考えて下さい。

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【今日のロジカルシンキング】思考のバイアスを除去するテクニック

「常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。」という言葉は、かのアインシュタインの言葉らしいですが、まぁ、この通りで、人間は様々な偏見、バイアスに雁字搦めになっています。
今回は、このバイアスから、ほんの少しでも逃れる思考のテクニックについて紹介します。

いくつか、私のツイートを元に話をしていきます。

関連事象か?

これは、ハフィントンポストで「産後女性の死因の一位は自殺。「産後うつ」と男性育休の関係、専門家が語ったこと。」という記事が出ていて、それに対してつぶやいたものです。

この話自体を軽視したいわけではなく、まず、事実ベースで考えませんか?という趣旨で発言をしました。

どういう事かというと、年齢階級別の自死要因を見ると、若年層の第1位から第3位は下記のようになります。

齢階級別の自殺者数の推移より「平成26年における死因順位別にみた年齢階級・性別死亡数・死亡率・構成割合」

つまり、記事の中では問題Aが問題Bの原因になっているから、問題Aに対してケアをしないといけない、という内容なのですが。

前提となるデータを元に考えると、問題Bは、問題Aが無くても起きるのでは?という仮説を設定することもできます。

繰り返しますが、当該テーマを軽視したい話ではなく、ようは問題Bの原因が本当に問題Aなのか?を考えないと、問題Bを解決できない可能性が出てきますし、そもそもとして問題Aが起きる原因が、問題C:産後環境(ワンオペとか)等々にあるのかも不明です。
空回りに終わる可能性が十分に考えられるのです。

これ、別の表現で言うと、相関関係なのか?、それとも因果関係があるのか?という話ですね。

因果関係があって、はじめて解決の糸口があると言えます。

冷静に考えましょう。

好き嫌いで判断していないか?

これはあれです。
某著名人と、とある餃子店とのトラブルの話です。
当事者じゃ無いので、真実は不明であり、何も語れないのですが。

とりあえず、非常に賛否がわかれつつ、全体感としては某著名人に対する批判が大きいというように見えます。
(これがノイジィマイノリティなのか、本当に大きいのかは不明。)

さて、ここでも冷静に考えてみると良いです。

例えば、某著名人を別の人に入れ替えて、仮に全く同じ事象が発生したとシミュレーションしてみるのです。
誰でも良いですよ。
普遍的に愛されている可愛らしい国民的アイドルとか、雰囲気の良い超絶イケメンアイドルとかをあてはめてみると良いかもです。

これで、賛成意見・反対意見が入れ替わる、もしくはウェイトがかわる、というような事があれば、元々の賛否判断のロジックに、何かしらの欠陥があると考えられます。

もっとストレートに言うと、「好き嫌いで判断していませんか?」という事ですね。

何かを判断する時に、好き嫌いが混じるのは別に構わないのですが、これを入り口でやると、思考の質はまぁまぁ落ちます。
日常生活でしたら特段そこまで問題は発生しないのかもしれませんが、ビジネスだと困りますね。
(まぁ、買いたいから買う、という事で家や車のローンで大変な想いをしている人も多くいますが。)

【複合Ver】関連事象か? & 好き嫌いで判断していないか?

今度は上記2つの複合パターンです。

なんでも、イオンのお葬式の広告で、位牌をプラパックに包装した写真の広告がデザイン賞を受賞したと。
それで、不謹慎だ、と炎上をする案件がありました。

https://macs.mainichi.co.jp/design/ad-m/work/8501.html

私も、基本的には不謹慎であると思っており、またデザイナーや会社側、賞の選定側に教養があれば、こういった広告を作る・選ぶ事は無かったと考えております。

さて、それはそれとして、これに対する賛同(擁護)意見として、「坊主だって戒名料で荒稼ぎし、高級車や料亭で散財しているじゃないか。」的な批判がありました。
(イオンのやり方を批判しているけれども、坊主達のモラルとかもどうかと思うよ、という事を言いたいのだと思う。正に、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、ですね。)

で、この意見の是非はともかくとして、やはりここでも冷静に考えた方が良いように思います。

つまり、坊主という属性(Y)が現代の常識感で言うと法外な金を取りがちで納得が行かない、という話と、今回起きた問題Aは別事象だ、という話です。
誰が、この問題Aを提起しようが、問題Aは問題Aとして議論し、解決が必要ならば解決を行うべきでしょう。

好き嫌いで、別事象を関連事象として接続させると、思考の質は劇的に下がります。

本件自体は、最終的には社会がジャッジするものなので、私からはこれ以上何も言う事は無いのですが。
何かしら、同様の案件が起きた時に思い出してみると良いかもです。
意外に良くある話ですよ。

例えば、嫌いなAさんが提案した企画Xに対して、その内容を考慮せずに否定・反対するとか。

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