「ロジカルシンキング,フェルミ推定」のまとめになります。
タグ: ロジカルシンキング
仕事の生産性についてまとめ
「仕事の生産性について」のまとめになります。
生産性Tips
ホワイトノイズ
マルチタスクの弊害
勉強の生産性
休憩のTips
人事採用・労務環境・福利厚生施策
オープンオフィス問題
「直感」には魅惑的な響きがあります。
自分自身の内側から出る考えは、まるで本当の自分自身を反映しているかのように感じます。
そして、それは心理学的には正しいことのようです。
ただし、直感は多くのエラーにつながりやすく留意点もあります。
自分自身の直感に従うと自分らしくなる
近年の研究によると、熟考して出した結論より直感で出した判断の方が「本当の自分」を感じ、そしてそれは自信につながるようです。
つまり、直感は人の内面的な意味で本質的な働きである、という考えと関連しているようです。
科学的に「本当の自分」というものが存在するか否かは不明ですが、人がどのように感じるかを測定することは可能です。
研究者たちは4つの実験を通じて、「直感」と「本当の自分」との関連について調査を行いました。
1つ目の実験は消費財の購買実験です。
90名の被験者を対象に2台のDVDプレイヤーのとちらを購入するかを選択してもらいました。
そしてその際に、「直感で選ぶ」グループと、「熟考する」グループ、そして「指示なし」の対照グループの3グループに分けられました。
選択後、被験者には自分自身の決断がどれだけ「本当の自分」を反映しているかが尋ねられました。
その結果、「直感で選ぶ」グループは、「熟考する」グループそして対照群よりも「本当の自分」が反映されている、と回答したことが示されました。
2つ目の実験はマグカップを選ぶ実験です。
88名の被験者を対象に旅行用マグカップを白黒写真かカラー写真かで提示し、マグカップの材質や洗浄のしやすさなどの機能的な側面についての説明が行われました。
その結果、カラー写真で説明されたマグカップを選択した被験者の方が決断に「本当の自分」が反映されていると回答する傾向が強いことがわかりました。
(他にも、体験的に商品を説明された場合にも同様の結果が出た。)
つまり、ここではビジュアル感で思い切って選ぶか、機能を熟考して選ぶかが影響している、ということです。
3つ目の実験ではAirbnbでの部屋の選択です。
215名の被験者を対象に、Airbnbでどのアパートに宿泊するか、選択を行いました。
ここでは、直感グループも熟考グループも、「本当の自分」を感じるという結果が示されました。
この点について研究者は、特定のタイプの商品については、どのような選択の方法であっても「本当の自分」について語っているように感じるのでは、としています。
(確かに、Airbnbで部屋を選ぶ場合、写真が重要な判断要素なので、熟考したとしてもビジュアルで決断する側面が多いようには感じます。)
最後4つ目の実験では、レストランを選んだ上でそれを人に紹介するか、という実験です。
60人の被験者を対象に、食事をするレストランを選び、それをSNSで公開するか、また友人や家族に紹介するためのメールアドレスを研究者に提供するか、を尋ねました。
その結果、直感グループの方が、SNSで公開する割合もメールアドレスの提供数も増加することが示されました。
以上の実験から、人は直感で判断する方が「本当の自分」を感じ、そしてそれが自信につながる、ということが示唆されます。
留意点もある~直感での判断はエラーが多い~
直感のポイント3つ
しかしこの話はあくまでも本人がどう感じるか?という話であり、現実世界での直感は多くのエラーを含みます。
こちらの記事ではノーベル賞受賞者である行動経済学者が直感での判断について解説を行っています。
直感は辞書的には「どのように知ったのかを知らずに知ること」と定義されているが、それが誤りである、と指摘しています。
何故ならば、直感は多くのエラーを含むからであり、正しくは「なぜそうするのかを知らずに知っていると考えること」と定義すべきだ、と。
その上で、直感が如何にエラー判断を下しやすいのかを説明した上で、正しい直感の使い方について説明しています。
そのポイントは3つです。
- 何らかの規則性があり、それを学習することができること
- 反復的に練習すること(経験を積んでいること)
- 正誤のフィードバックが即時に受けられること
規則性については、チェスを事例に説明がされています。
チェスでは法則性が確かにあり、ベテランが下した直感は信頼性が高いということです。
そしてそれを支えるのが2つ目のポイントである「経験」と3つ目のポイントである「即時のフィードバック」です。
この3つのポイントが満たされた時、優れた直観力を身につけられる、としています。
多様性がある事象や明確でない場合にも留意
また、上述の実験においても研究者は次の指摘をしています。
「経験の多様性が優先され、それほど明確に決まっていない物を検討する際には熟考する必要があります。」とし、例えば投資商品を選ぶ際には、直感ではなく熟考した方が良いとしています。
以上の知見から、直感は自分自身のマインドに自信を与えるものの、その使い方には十分な注意を払うべきだ、ということがわかります。
現実的に損害がない、もしくは少ない事象(例えば、ちょっとした消費財を購入する、とか1日限りの宿泊先を選ぶ、とか)については大いに直感に従えば良いでしょう。
(それは人生を豊かにするはずです。)
また、自分が専門としている、熟達した領域においても直感は有効なはずです。
ただし、それ以外の領域については、上述の知見を意識し、熟考を行う、という癖を身に着けておくのが良いのではないでしょうか。
難しい問題に直面した時、人の思考回路はどのようになるでしょうか?
人は、このような時、無意識に簡単な問題に置き換えて考える傾向があります。
また、その結果として答えを誤ることもしばしばあります。
置換バイアスという機能
表題の通り、人は難しい問題に直面すると無意識に簡単な問題に置き換え、そして答えを間違える傾向があります。
ある心理学の研究チームは次のような実験を行いました。
次のような問題を被験者に解かせ、その自信度を回答してもらう、というものです。
(実験課題)「バットとボール、あわせて1.10ドルの値段です。バットの値段はボールよりも1ドル高い時、ボールの値段はいくらでしょうか?」
この問題はバット=ボール問題と言い、心理学の世界では古典的な問いかけのようです。
一般的な人はこの問題を与えられたとき、正答率は20%程で、解答として10セントと答える傾向があるとのこと。
(正解は5セントです。x + (x + 1) = 1.10 なのだから、x = 0.05となるのは明確であり、少し考えればわかることのはずです。)
人間には置換バイアスというものがあり、難しい問題が目の前にある時、無意識に単純化する思考回路を働かせます。
この古典的な問いかけにより、(難しいとは言っても少し考えればわかる簡単な問題でも)容易に置換バイアスが働くことがわかります。
実験では、248名の学生を対象にし、対照となる課題も与えられました。
(対照課題)「雑誌とバナナ、あわせて2.90ドルの値段です。雑誌の値段は2ドルです。バナナの値段はいくらでしょうか?」
対照となる課題では、「〇〇の値段は■■よりも△ドル高い」という条件がない、より単純な課題となっています。
さらに実験では、グループ別に実験課題と対照課題を入れ替えたり(雑誌とバナナの方に△ドル高い、という条件を入れる)、問題の順番を入れ替えたり(実験が先か、対照が先か)して、設問の影響を排除するよう、設計が行われました。
そして、被験者は解答後に、自分自身の解答に対する自信度を0%(全く確信がない)から100%(完全に自信がある)の間で数字で答えました。
その結果、これまでの研究が示した通り、実験課題に対する正答率は20%程と、置換バイアスが働いていることがわかりました。
自信満々ではない模様
この結果は、これまでの多くの研究が示したものの確認ではあるのですが、興味深いのが自信度についてです。
実験では、実験課題において誤解答を行ったグループの自信度は、実験課題における正解のグループ、対照課題における誤解答・正解両グループより、低いものだったのです。
つまり、複雑な問題において置換バイアスが働いた場合、その誤った解答に対して自信満々ではなく、不安や疑念を抱いている、ということです。
(自分の解答が疑わしい、ということをある程度認識している「幸せな愚か者」ではない、ということ。)
現実における知見の活用
それでは、この知見を現実世界において活用するには、どのように考えれば良いでしょう?
まず、人は物事を単純化して考える傾向がある、という点の認識です。
このこと自体は決して悪いことではありません。
脳のリソースを有効活用し、素早い意思決定を行うにあたって、自分自身が理解しやすいように物事を解釈する機能は重要なものです。
ポイントは、この機能(置換バイアス)が悪さをする可能性がある、という点を知っているか否かです。
知っていれば、「あ、今自分は過度に問題を単純化したぞ。」ということに気が付ける可能性が増します。
次のポイントは、「疑わしいと感じている」点にあります。
つまり、何かしら出した解答に対して、何とも表現しがたい疑念を抱いているのであれば、その疑念は正しい可能性がある、ということです。
この点についても、人にはこのような性質がある、ということを知っていれば、その疑念をキャッチし、思考を正す可能性が増すはずです。
いずれにせよ、「知る」ということが、このような知見を現実において活用するためのポイントと言えるでしょう。
経営者、特に若いベンチャー企業の社長で多いのですが、目新しい施策に飛びつく光景をよく見かけます。
それが科学的(統計学的)に効果がある、と示されていなくとも、どこか著名な経営者や企業が取り組んでいる事例、友人の経営者が取り組んでいる施策等を実施したがります。
何故、そのような行動に出るのでしょうか?
一流のアスリート程、似非科学を取り入れやすい
非常に興味深い事例があります。
それは、一流のアスリート程、似非科学を取り入れやすい、という話です。
似非科学(えせかがく)とは、疑似科学(ぎじかがく)とも言い、科学的で事実に基づいていると主張しているにもかかわらず、科学的方法と相容れない言明・信念・行為のことです。
ようは、科学的に証明されていないにも関わらず、科学を装っているもの、が似非科学です。
上の記事では、一流のアスリートであっても、50%から80%の割合で代替医療を利用している、としています。
そして、その数字は一般人より多い、ということです。
(代替医療の例として、カッピング、カイロプラクティックの脊椎マニピュレーション、鼻ストリップ、ホログラムブレスレット、酸素ドリンク、レイキ(ヒーリングハンド)、クライオセラピー、キネシオロジーテープ(Kテープ)などがあげられています。)
代替医療は次の3つの特徴があるとしています。
- 強い主張と弱い根拠で販売されている。
- 「エネルギー」「代謝産物」「血流」などの科学的な響きを持つ言葉を使って、科学的な正当性を装っている。
- コントロールされていない、サンプル数が少ない、質の低い研究に基づいている。そのため、治療による実際の効果と、認識されているものや想像上のものとを区別することができない。
それでは何故、一流のアスリート程、似非科学を取り入れやすいのでしょうか?
研究者は、人間は「精神的な近道」を使い、迅速かつ不完全な解決を図るように進化してきたからだ、としています(これをヒューリスティックと言う)。
つまり、比較的少ない投資で大きな報酬が得られる(経済的ヒューリスティック)代替医療により恩恵が得られるならば、と贅沢なうたい文句の影響を受けやすくなっている、ということです。
ほんのわずかな成果の差が、勝敗をわける世界なので、当然と言えばそうなのでしょう。
(その他にも、純粋に経済的に厳しく、スポンサーの意向を汲まねばならない関係上、代替医療にも手を出しやすい構造があることが指摘されています。)
この構図は経営者にも当てはまるのでは?
そして上述の構造は、経営者にも当てはまるのではないか?と考えられます。
ベンチャー企業の場合、諸々のリソースが大企業に比べて非常に限られている場合がほとんどで、経営者の欲求として、「精神的な近道」を求めるのは自然な姿と言えます。
そのため科学的には方法論が確立されていない様々な施策に飛びつきがちになってしまうのではないでしょうか。
(OKR、1on1、オープンオフィス等々、色々と事例が挙げられます。)
代替医療の3つの特徴をもう一度見てみます(要約)。
- 強い主張と弱い根拠
- 科学的な響きを持つ言葉を使って、科学的な正当性を装っている
- コントロールされていない、サンプル数が少ない、質の低い研究に基づいている
どうでしょう?
著名な経営者や大企業が取り組んでいる様々な施策ですが、その根拠にまで当たって見ると、多くの事例がこの特徴に合致するのではないでしょうか?
少しでも高いパフォーマンスを、「精神的な近道」を、という気持ちは当然に理解できるものなのですが、それに飛びついた結果として待っているのは、リソースの浪費です。
結果を出すためにも、何か目新しい施策に取り組む前に、それがどのような根拠に基づいた施策なのか?それは科学的に効果が示されたものなのか?(経験則としても、長い蓄積がされたものなのか?)をきちんと検討するのが望ましいと言えるでしょう。
ロジカルシンキング(論理的思考)の重要性について、疑問を呈する人は少ないでしょう。
実際、数多くの研究により、ロジカルシンキングの能力の高さと、年収の高さや犯罪率の低さなどが関係することが示されています。
しかし、より良く生きる、という観点ではクリティカルシンキング(批判的思考力)の方が重要だ、という示唆があります。
クリティカルシンキングとは?
まず大前提として、クリティカルシンキングについて触れておきます。
批判的思考(ひはんてきしこう)またはクリティカル・シンキングとは、あらゆる物事の問題を特定して、適切に分析することによって最適解に辿り着くための思考方法である。批判の定義については論者によって異なるが、共通的には、単に否定的になるのではなく、自身の論理構成や内容について内省することを意味する。その方法論としては、考察対象をよく理解すること、間違った推論を起こす暗黙の前提を明らかにすること、証拠について評価したり、循環論法や人身攻撃など論理的な誤りを避けるための誤謬についての理解といったこと。
Wikipedia「批判的思考」より
「批判的思考」というと、ネガティブなイメージを抱くかもしれませんが、解説にある通り、単純に否定をする、というような話ではなく、きちんと論理的に物事を考え分析しましょう、というものです。
ロジカルシンキング(論理的思考)が、推論によるある種の答え(結論)を導く思考のプロセスなのに対し、クリティカルシンキングは論理的な正しさのみならず、物事の妥当性を導く点が特徴的です。
クリティカルシンキング(批判的思考力)に関する調査
カリフォルニア州立大学の研究者達がクリティカルシンキングとライフイベントに関する調査を行いました。
教育者や企業は、学生や求職者のクリティカルシンキングの能力を評価することが重要であることに同意していますが、クリティカルシンキングの現実的な成果について検証された研究はほとんどありません。
Halpern Critical Thinking Assessment(HCTA)は、信頼性の高いクリティカルシンキングの測定法であり、複数の集団および学業成績の測定法で検証されています。
本研究では、HCTAのスコアが、教育、健康、法律、金融、対人関係などの広範な領域における現実の成果を予測するかどうかを検討しました。
米国の地域社会の成人(n=50)、州立大学の学生(n=48)、コミュニティカレッジの学生(n=35)を対象に、HCTAとライフイベントの行動目録を記入してもらいました。
全体的に、クリティカルシンキングのスコアが高い人は、低い人よりも否定的なライフイベントを報告しませんでした。
つまり、クリティカルシンキングの能力が高いと、人生における悪いライフイベントの発生頻度が低く、より良い人生を送れている、ということが示唆されています。
この研究は、ロジカルシンキングの重要性を否定するものではありません。
冒頭に記載の通り、ロジカルシンキングの能力の高さと、年収の高さや犯罪率の低さは関係があります。
このロジカルシンキングの能力を更に発展させて、クリティカルシンキングの能力も高められるとより良い人生を送れる可能性が高まる(かもしれない)という点が本稿のポイントです。
世の中には誤報、そして悪意に満ちているフェイクニュースが溢れています。
一般的には分析的思考力が高いことが、フェイクニュースを見抜くために重要だ、と言われていましたが、どうやらEQ、心の知能指数も重要な要素であることがわかってきました。
従来の知見
フェイクニュースとは、根拠のない噂や意図的に人をだますようなプロパガンダの類で、古今東西、存在しており、特に為政者達にとって関心の高い事象でした。
近年、フェイクニュースの害悪性が特に語られるようになったのは、インターネットやソーシャルメディアの普及による、膨大な情報流通が背景にあります。
近年ではアメリカ大統領選挙や新型コロナウイルス感染症など、多くの場面でフェイクニュースが溢れていました。
これらのフェイクニュースが溢れる、もっと言うと大元の発信者が広める理由は、政治的な利益や経済的な利益、もしくはその両方を得る点にあります。
フェイクニュースは、センセーショナルで荒唐無稽な内容で、人々の関心を引き、世論の誘導や、広告収益を得るなどを行ってきました。
発信される情報は、よりセンセーショナルで、より荒唐無稽であるほど、人々の関心を強く引きます。
そのため、いくつかの研究において、分析的思考力が高い人はフェイクニュースの影響を受けにくい、という結果が示されてきました。
本稿においては、この分析的思考力のみならず、EQ、心の知能指数もフェイクニュースを見抜くための重要な要素だ、ということを解説します。
EQ(心の知能指数)とフェイクニュースの関係の研究
複数大学の研究チームは、次のような調査を行い、EQ(心の知能指数)とフェイクニュースを見分けられるか否かについて調査しました。
- 参加者は87名(女性55名)で年齢は17歳から56歳と、幅広く参加した
- 参加者は、アンケートを行い、EQ(心の知能指数)の測定を行った
- また、参加者には健康、犯罪、移民、教育、気候変動など、さまざまなトピックのニュースを提示し、フェイクニュースを見分けられるかのテストを行った
- ニュースは3つの本物のニュースと、3つのフェイクニュースが提示された
その結果、EQが高い人は、フェイクニュースを見抜くのが上手いことが示されました。
EQが高い人は、過度に感情的に誇張されたニュースに対して、敏感になれるのでは無いかと考えられます。
過去の研究により、EQは鍛えられることがわかっています。
EQが高いメンバーがチームにいると、チーム全体のパフォーマンスが高くなる、という知見もあり、フェイクニュースを見抜く力が身につく、というメリットだけでない点も指摘できます。
EQをトレーニングする、という観点の書籍も増えています。
改めて、EQを見直してみるのも良いかもしれません。
新型コロナウイルス感染症の対策の一つであるワクチンが普及しはじめましたが、このワクチンに対して忌避の反応を示す方は一定数存在します。
何故、このような反応になるのでしょうか?
ここには一つのバイアスが潜んでいると考えられます。
そして、このバイアスは日常全般、仕事にも影響を与えている可能性があります。
とある研究の存在
非常に興味深い研究があります。
研究の概要は次のようなものです。
- 28名の健康な男性(21歳~36歳)が参加
- 参加者には固定の報酬に加え、タスクパフォーマンスに応じた変動報酬が与えられる
- 参加者は壺に大きさ(価値)が異なるコインが連続して入っていく画像を見て、その壺の価値(コインの総額)を評価する試験を行った
- 参加者は、壺の総額が同じであっても、最後に大きなコインが入った壺の方を高い価値があると評価する傾向が強かった。
この記事にとって必要となる情報をピックして箇条書きにしましたが、実験ではMRIスキャナーを用いて、脳のどの部位が活性化しているのか?反応のメカニズムは何なのか?という点についても研究・考察がされています。
上述の通り、参加者は、壺に大きさが異なるコインが1枚ずつ連続して入っていく画像を見て、その壺の価値を評価したのですが、最後に大きなコインが入った壺を高い価値があると評価しました。
壺の価値が同じであってもです。
ようは、ここには「終わり良ければ総て良し」というバイアスが存在するのです。
論文では「ハッピーエンドを不当に好む傾向」がある、と指摘しています。
「終わり良ければ総て良し」というバイアス
この「終わり良ければ総て良し」というバイアスは、日常生活の多くの場面に存在します。
例えば、何かしら外食をして、途中で出た料理があまり美味しく無かったとしても、最後に食べた料理やデザートが美味しければ、そのお店を「美味しいお店だ」と高く評価するでしょう。
同様に、楽しいお出かけだったとしても、帰りに雨に降られれば「酷い日だった」と感じるのでは無いでしょうか。
ビジネスでも同様です。
何かしらの投資アクションにおいて、トータルとして利益が出たかどうかが大事ですが、仮に投資リターンが同じであっても、尻すぼみな投資パフォーマンスであるよりも、右肩上がりのパフォーマンスの方が、高く評価される光景は珍しく無いでしょう。
望むと望まざるとに関わらず、意識するしないに関わらず、このバイアスは身近に存在し、私たちの思考に影響を与えているのです。
何故、ワクチンを忌避する人が出るのか?
何故、ワクチンを忌避する人が出るのか?という事に対しても、この研究から一定の示唆が得られます。
これまで長く自粛を続け我慢してきた中、そうは言っても真に安全なのかどうなのかがわからないワクチンを打つという行為は「終わりが良くない」行為と言えるでしょう。
上述のバイアスに囚われているならば、是非にも忌避したい行為となってもおかしくありません。
(もしくは、万が一強い副反応が出たら、それこそ「終わりが良くない」と思うでしょう。
自分だけはワクチンを打たずに、まわりがワクチンを接種して、安全を享受するフリーライダーになりたい、つまり、自分だけ「終わり良い」状態になりたい、という思考も考えられます。)
論理的に考えれば、安全性が非常に高いワクチンであることは、もう億単位で接種が済み数字としてわかっている話なので、忌避する理由はありません。
しかし、mRNAワクチンという新しいタイプのワクチンに対する「何となく」の恐怖感が、思考にエラーを与えている可能性は十分に考えられます。
なお、冒頭で紹介した研究では、壺の価値をニュートラルに評価した参加者もいました。
そのような参加者は、脳の活性化部位から、上述のバイアスに囚われず、合理的に思考を行った参加者であることが考察されています。
論文では、フェイクニュースや様々な広告等による印象操作についても、このようなバイアスが思考にエラーを与えていることを私的しています。
私たちは合理的思考能力を手に入れる必要があり、これらの知見はそのために非常に役立つはずです。
あくまでも慎重な思考のプロセスを辿り、物事のメリット・デメリットを整理し、より賢明な判断を下すことが重要でしょう。
ダイエットは比較的多くの方の関心を集めるテーマです。
そのような中、近年、遺伝子検査による適切なダイエット方法の判別について診断するサービスが登場しています。
果たして、遺伝子検査によるダイエット方法の判別には、科学的合理性はあるのでしょうか?
科学とビジネス・エシックスに絡む話で、企業はこの種のビジネスに手を出す際には、よく考慮した方が良いでしょう。
どのような研究を行ったのか?
この話については、スタンフォード大学にて行われたある研究の存在を取り上げると良いでしょう。
次のような研究が行われました。
- 肥満度28~40の18~50歳の糖尿病を持たない成人609名が参加
- 試験の登録期間は2013年1月29日から2015年4月14日までで、最終フォローアップの日は2016年5月16日
- 参加者は、12カ月間のHLFダイエットまたはHLCダイエットに無作為に割り付けられた
- 3つの一塩基多型マルチローカス遺伝子型の反応性パターンまたはインスリン分泌(INS-30;グルコースチャレンジ後30分後のインスリンの血中濃度)が体重減少と関連するかどうかも検証した
- 担当者は、HLF(n = 305)およびHLC(n = 304)の参加者に対して、12カ月間にわたって22回の食事療法に特化した小グループセッションで行動修正介入を実施した
ようは、遺伝子とダイエット方法の関連性について調べた研究です。
DNA(遺伝子)とダイエット法の間に関連性は無かった
論文は、端的に次のように指摘しています。
「この12ヵ月間の減量ダイエット試験では、遺伝子型パターンもベースラインのインスリン分泌も、減量に対する食事の効果とは関連しなかった。」
つまり、DNA(遺伝子)とダイエット方法の間に関連性は無かった、ということですね。
ついでにダイエット方法と体重の増減自体にも関連性は無かった
さらに、そもそもとして、健康的な低脂肪食と健康的な低炭水化物食との間で体重変化に有意な差は無かったことも示されています。
結果サマリー
無作為に割り付けられた609名(平均年齢40[SD、7]歳、女性57%、平均肥満度33[SD、3]、低脂肪遺伝子型244[40%]、低炭水化物遺伝子型180[30%]、ベースラインINS-30の平均値93μIU/mL)のうち、481名(79%)が試験を完了した。
HLF食とHLC食では、12カ月間の平均的な多量栄養素の分布は、炭水化物が48%対30%、脂肪が29%対45%、タンパク質が21%対23%であった。
12ヵ月後の体重変化は、HLFダイエットでは-5.3kg、HLCダイエットでは-6.0kgであった(グループ間の平均差、0.7kg[95%CI、-0.2〜1.6kg])。
12ヵ月間の体重減少には,食事と遺伝子型パターンの相互作用(P = 0.20)および食事とインスリン分泌(INS-30)の相互作用(P = 0.47)は有意に認められなかった。
18件の有害事象または重篤な有害事象が発生したが、これらは2つの食事群で均等に発生した。
この結果を正と捉えると、近年、ちらほら見かける遺伝子検査-ダイエット法判別サービスには科学的合理性が無い、ということがわかります。
(もちろん、科学的研究は日々アップデートされていくので、実は効果があった、というひっくり返った結果が出る可能性もゼロではありません。)
企業は、この種の科学的に微妙な代物について、ビジネス商材として取り扱うことのリスクについて考慮した方が良いのではないでしょうか?
一定以上の科学リテラシーがある人にとってみて、そのような企業に対して、どのような目を向けるのか、想像に難くないはずです。
東海大野球部の薬物問題で連帯責任が話題になっていますね。
今回は、この連帯責任について、ロジカルに考えると如何におかしな話なのか?を解説します。
言いたい事を一言でまとめると「抽象度を高くして考えると整理しやすいですよ」です。
コントロール不能な事にどこまで責任を負うか?
まず、一つ。
どこまで、コントロール不能(管理不能)な事に責任を負うのか?という話があります。
今回の場合、ある複数の個人が行った行為に対して、所属部員達全員が連帯して活動停止という処罰をうけた形になります。
何かしら教唆の事実があるのならば致し方無いですが(というより別の法的問題がある)、関知できない領域に対して責任を負うのは、そもそもとして無理筋、理不尽だよね、という話です。
これは一般的に言われている、おかしいよね、というロジックになるかと思います。
全人類が無限責任になる
次に、もう少し、論理構造で考えてみます。
ある個人が罪を犯したとして、法に則り罰を受けると。
それは何もおかしな話では無いですが、今回の場合は、その個人が所属する組織(と構成員)に対しても責任を負わせよう、という話です。
それを構造として解説したのが上記のツイです。
書いてある通りなのですが、連帯責任を良しとすると、全人類が無限責任になるんですよ。
完全な一個人で、社会と一切関わりなく生きている、という人はこの世に存在しません。
(まぁ、社会に関わりなく、の定義次第では、いくらでも理屈は捏ねられますが。)
つまり、誰かの責任を連帯して負うという話をしだすと、何かしらの責任事象について、連鎖的に波及し全人類が責任を連帯して負う形になってしまいます。
そんな、おかしな話、あってよいわけがないですよね。
連帯責任ロジックを社会に一般適用すると、社会が麻痺する
無限責任と同じような話ではあるのですが。
少しだけ切り口を変えて、役割に照らし合わせた連帯責任があるとします。
その構図のおかしさについて話をしたのが、上記のツイです。
例えば警察署員が薬物使用で逮捕されたとして、じゃあ、その所属していた警察組織って、どのような連帯責任を負うのが適切なんでしょうね?
そして、それが社会にとって良い事なんでしょうかね?
会社員とか、芸能人とか、マスコミとかでもありますが、じゃあ、その所属組織の機能を一々止めていたら、普通に社会機能が麻痺する、ってちょっと考えたらわかりますよね。
(そして、非常におかしな話なので、通常はそのような連帯責任が課せられる事は無い。)
教育機関だから???
何で、大学だけが適用されるのか?というと「教育期間だから」という話をされている方もいるようですが。
大学生って最低でも18歳以上で、公職選挙法では選挙権もあり、また20歳以上になれば法的に成人ですよね。
また、義務教育でもありません。
普通に個人が責任を追えば済む話だよね、って真っ当な思考をしていれば、わかりそうなもんですけれどね。
あげたらもっと何でおかしいのか?を列挙できそうな気もするのですが、とりあえずこの辺にしておきます。
何か、物事を考える時に、抽象度を高くして考えると良いです。
上記の例ですと、登場人物に対して個人xとか、組織X、事象A、B、Cというような形で、その論理構造を説明しました。
この思考法は、比較的万能性高く使えるのでオススメです。
最初は小難しく感じるかもですが、慣れれば当たり前に使えるようになるので、ぜひ試してみてください。
なお、法的な連帯責任については、社会規範を保つためや、経済の効率性のためには必要な事なので、その点については区別して考えて下さい。