誰か他人が痛いと感じている時、例えば注射をされているような場面の時、あたかも自分自身が注射をされているかのように痛みを「共感」することはありませんか?
人には、他人の痛みを「共感」する機能が備わっています。
しかし、経験値が豊富である程、他人の痛みに鈍感になっていく可能性があります。
痛みを感じていないと“思っている”時、「共感」が下がる
カリフォルニア大学の研究チームは、被験者に鎮痛剤の偽薬(プラセボ鎮痛剤)を与えた状態で、自分自身が痛みを感じた前提で、他人の痛みを評価する実験を行いました。
被験者は、プラセボ鎮痛剤を投与された後、電気ショックによる刺激が与えられ、痛みの度合いがMRIにより評価されました。
その後、他人が痛みを感じる場面を見せられ、痛みへの「共感」度合を同じくMRIにより評価されました。
その結果、プラセボ鎮痛剤でも、自分自身が感じる痛みの度合いは減少すると共に、他人の痛みへの「共感」も減少することが示されました。
(プラセボ鎮痛剤により、自分自身が感じる痛みが減ることは、従来からわかっており、この研究では「共感」にもプラセボ鎮痛剤が影響を与えるか否かが調査された。)
続いて、“鎮痛剤の効果を打ち消すとされる本物の薬”が投与され、同様の実験が行われました。
その結果、プラセボ鎮痛剤の効果が逆転し、他人の痛みへの「共感」が元に戻ることが示されました。
つまり、自分自身が感じていると“思っている”痛みの度合いと、他人の痛みへの「共感」は関連性が高いと考えられるのです。
(人は、他人の感情を、自分自身の脳の中でシミュレートすることによって「共感」することができる。実際、痛みを感じる脳領域が病気や怪我等で損傷をしている方は、他人の痛みへの「共感」度合が低いことがわかっている。つまり、社会において、何かしらの断絶が起こっている場合、相手方、もしくは自分達側が痛みに対して鈍感になっている可能性が考えられる。)
公平か否かも「共感」に影響する
もう一つ、ロンドン大学の研究チームが行った別の実験も紹介します。
この実験は、いわゆる「順序型囚人のジレンマ」です。
2人一組でペアとなり、お金を渡すか渡さないかを相互に決める実験が行われました。
1人目が本物の被験者で、まず相手方にお金を渡すか渡さないかを決めます。
2人目が“サクラ”で、本物の被験者が渡したより少ないお金を返す役割が与えられています。
この“サクラ”は2パターン、設定がされました。
具体的には、①お金を返す役割、②全くお金を返さない役割、です。
①は公平グループ、②は不公平グループ、という設定ということですね。
その後、場面を移して、2人目の“サクラ”に電気刺激を与え、その痛みを感じている様子を1人目の本物の被験者が見て、痛みへ「共感」度合がMRIにより評価されました。
その結果、①の公平グループでは、“サクラ”に対して「共感」していたのに対して、②の不公平グループでは「共感」度合が大きく減少していたのです。
(なお、女性の方が、相手が不公平であっても、多少は痛みに対して「共感」していた。)
また、他人への懲罰感情と関連する脳領域が活性化していたことも示されました。
不公平な相手に対しては、別の感情も入り、痛みへの「共感」が減少する、ということですね。
経験値が豊富である程、他人の痛みに鈍感になるかもしれない
これらの研究を通して考えたのが、タイトルのとおりのことです。
ビジネス経験が豊富で、実績を出しているほど、これまで受けて、そして乗り越えてきた痛みの数と量、質は非常に多いはずです。
また、乗り越えてきた分、これまで受けてきた痛みレベルだと「へっちゃら」になっていくものです。
そして、人は「自分ができたんだから、これくらいできるでしょ?」と他人に要求しがちです。
(酷い場合には、無意識的に「自分が味わってきた苦労を、お前も味わえ。」と復讐感情を何故か部下に向ける人もいる。)
つまり、「経験値が豊富である程、他人の痛みに鈍感になる」可能性がある、ということです。
(もしかしたら“サイコパス”は後天的でも生まれるかもしれない。)
これは、リーダーシップ上の問題があります。
基本的に人は、自分に「共感」してくれる人のことを好む傾向があります。
仮に上司が自分に「共感」せず、「この程度のこと、大したことないよ、何言ってんの」と対応してきたら、どう感じるでしょう?
長期的目線で考えた時、マネジメントが崩壊していく姿が容易に想像できるはずです。
上に立つ人は、この「痛み」と「共感」の話について理解しておく方が安全だ、ということを認識しておくと良いでしょう。
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