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人類をバグらせた新型コロナウイルスの真の恐怖

新型コロナウイルスの本当の恐怖は、その病状にはありません。
人類をバグらせて、それにより起きる間接的な被害にこそ真の恐怖があります。
間接的な被害とは、人々のパニックであり、経済被害であり、そして派生的に起きる人命の被害です。

新型コロナウイルスの現時点での事実

まず、世界の新型コロナウイルスによる死者数は40,000人を超えました。
日本国内では(あくまでもイギリス船籍であるクルーズ船も含めて)78人となっています。
どちらも2020年4月1日現在です。

比較対象として考えてみるのがインフルエンザと肺炎です。

インフルエンザは、世界の死者数が年間約500,000人となっています。
日本国内での死者数は年間約3,000人です。

肺炎は、世界の死者数が年間約4,000,000人となっています。
日本国内では年間約100,000人です。

誤解の無いように言及しておくと、人数の大小での良し悪しを語りたいわけではなく、純粋に客観的な事実としての脅威度について語りたく、数字を出しています。

上記の数字(世界)をグラフに表現すると次のようになります。

この通り、現状として新型コロナウイルスの脅威は極めて限定的なはずなのです。
もちろん、各国の封じ込めの努力の結果でしょうし、これからも誠に残念ながら指数関数的に増加していくでしょう。
そのため、単純比較はできないのは間違いがないのですが、少なくとも現状でている数字から考えて、ここまで脅威と考えるのが正しいのか?と、どうしても疑問に考えてしまうのです。

これから訪れる実害

これから訪れる実害を考えていきます。

おそらく既に起きているであろう医療の問題を最初に指摘します。
各所で言われているとおり、医療の現場の混乱には、その現場に携わる方々に敬意を表する以外のことができません。
日本国内ではPCR検査に携わる方に対する圧力を考えると、こちらも頭を下げるしかありません。
臨床検査技師の人数には限りがあるなか、具体的な施策が無い中、検査数を増やせという要望を受けていることでしょう。

単純に現場の方の負担が増大するだけならば、“まだ”良いのですが、統計としては出しづらい実害が発生していることは間違いがありません。
それは、本来適切な医療を受けられた受けるべきであった方々が、新型コロナウイルスの影響により、医療を受けられず、誠に残念な結果になってしまう、という実害です。
これは、医療の現場に「無感染」の関係無い方や、「無症状」の方が押しかけて、限られた医療リソースを食いつぶすことによって起きます。

もう一つ既に起きている実害としてあげられるのが経済です。
すでに、リーマンショック級の経済損失があると、各所で言われはじめています。
リーマンショックと異なるのが、「コントロールがしづらい」という点です。
リーマンショックは「人が起こした」災害ですので、介入の容易性が指摘できますが、今回の新型コロナウイルスは天然の災害です。
発生最初期でしたら、封じ込めの難易度は低いのですが、ここまで拡大してしまうと、都市封鎖(ロックダウン)のような施策を打たねばならず、その弊害として発生するのが経済へのダメージです。
東京においては「外出自粛」となっており、“まだ”ダメージは抑えられている方だとは考えられるのですが、現実として、すでに倒産の危機を迎えている企業が多く存在すると考えられます。

特に実店舗を構えているビジネスを行っている方々は、先が見えない思いを抱えていることでしょう。
SNSを見ていると、多額の借金を抱えた状態で店を畳む覚悟を決めた人をちらほら見かけます。
これによって起きると想定されるのが「自殺者数」の増加です。
実際に統計として出てくるのが来年になると思われますが、倒産ないしは閉鎖する企業・事業所の数と、自殺者数の数字は、間違いなく悪化すると推測されます。

新型コロナウイルスの本当の恐怖

新型コロナウイルスの本当の恐怖は、その病状そのものにあるのではなく、実は上述した「実害」のようなもの、もっと言うとそれを招いた人類に起こした「バグ」にあるのでは、と考えています。

現状の数字を見る限りは、冷静に考えて、通常の風邪やインフルエンザの方が恐ろしいはずです。
人が密集する空間でのマスク着用を心がけ、当たり前に手洗いうがいをし、手指の消毒も行っていれば、新型コロナウイルスの感染も一定程度防げるはず。

そもそもとして新型コロナウイルスを怖がる人たちの中で、普段から、当たり前の感染予防策をどれだけとっているのでしょうか?(なぜ、風邪やインフルエンザを怖がらずに新型コロナウイルスだけを怖がるのか?)
冷静に考えれば、人々に行きわたるだけの物資が世の中にはあるはずなのに、それを枯渇させてしまうような「買占め」はどうして起きるのでしょうか?
なんで、普段冷静な人たちがパニックに陥ってしまうのでしょうか?(顕在化しただけ、という意見もありますが。)

これが新型コロナウイルスの本当の恐怖は、肺炎様病状にあるのでは無く、この人類の「バグ」にあると考える理由です。
このウイルスは、その直接的な症状ではなく、間接的な人類のパニック、経済被害、派生する人命被害を巻き起こしているのです。

この騒動を何とか乗り越えよう、アフターコロナに備えよう

今できることは、何とかこの騒動を乗り越えること、アフターコロナに備えること、かと思います。
経済的実害を受けている事業者は、なんとか変動費を切り詰めると共に、削減できる固定費も限界まで削っていき、なんとか生存をしてください。
幸いにも被害が軽微な事業者は、アフターコロナに備えると良いでしょう。

今回の騒動は間違いなく長期化します。
そして、騒動前(ビフォアーコロナ)と騒動後(アフターコロナ)で、世界は変わっているでしょう。
過去の感染症によって起きた歴史を鑑みても十分に予測できることです。

次回は、アフターコロナを見据えて、どのように考えていくべきか、を考察します。

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マネジメント・リーダーシップ

【人生のスパイス】ピンチをチャンスに変える考え方

不思議なことに、ビジネスをやっているとピンチが定期的にやってきます。
来たら来たで憂鬱なものですが、慣れてくると楽しくなってくるのもまたピンチです。
今回は、ピンチをチャンスに変える考え方と題して、ピンチは「人生のスパイス」だというスタンスで書いていきます。

忙しい人向けまとめ

ピンチに対する考え方

  • ピンチが来た、ということはチャレンジをしている証拠
  • ピンチは、自分たちや会社を成長させるためのチャンス
  • ピンチは慣れる、だんだんと「人生のスパイス」に思えて楽しくなってくる
  • 乗り越えるためには「今、やれること、やるべきことにフォーカスする」、これしかない

ピンチをチャンスに変える考え方

  • 絶対に譲ってはいけない、守らなくてはいけないものは何か?
  • 各人の感情や過去のしがらみは脇において、締められる蛇口は何か?
  • 自分のプライドも脇において、周囲に求められる援助は無いか?
  • そして思いついた考えを実行していくために具体的に何をいつまでにすれば良いか?

ピンチはチャレンジをしていると定期的にやってくる

ビジネスをやっていると定期的に訪れるものがあります。
タイトルの通りなのですが、ピンチですね。
というか、何かしらチャンレジをしてくれるとピンチは普通に来ます。

今何かにチャレンジをしている人にとってみれば、おそらく納得のいく話かと思います。
自分の経営判断のミスから来るピンチかもしれませんし、取引先がいきなり飛んだことから来るものかもしれません。
それとも、最近、世界を騒がしている新型ウイルス騒動から来る、コントロール不能な性格が強い経営危機かもしれません。

そして規模も様々です。
単純に仲の良かった人たちが離れていってしまう、というものから、全ての財産その他諸々を失うものまで、その程度の大きさもチャレンジの大きさに比例して変わってきます。

そのため、最初に言いたいことは「ピンチが来た、ということはチャンレンジしている証拠だよ」という点です。

ピンチだからこそ底力が出る、成長できる

ピンチが来たら、何とかして乗り越えなければいけません。
乗り越えなかったら、会社が倒産するなり、自己破産するなり、まあまあ面白くない結果が待ち受けているからです。

だからなのか、不思議なことにピンチがくると「戦闘能力が爆上がり」する現象を体験することになります。

仮に、何かしらの要因で今までの事業規模からはイメージできなかった借金(銀行借入)をすることになったとしましょう。
(銀行借入ができる、という時点で立派なものなのですが)経営者本人の焦りは相当なもののはずです。

契約に則って返済をしなければ、会社は高い可能性で潰れてしまいます。
返済が遅延した場合、「期限の利益」というものを喪失してしまう契約になっているからです。

そうなると、必死に事業をまわして利益をだして返済のためのお金を稼ぐ。
今までどこに眠っていたのかわからない底力が湧いてきて、このピンチを何とかする。
そんな日々を死に物狂いで送るようになります。
ピンチになって、ようやく本気を出せたのですね。
(もちろん、中には、そんな状況になっても本気になれない人もいるのですが。)

そしていつしか全ての借入を返済し終わった時に気が付くはずです。
会社が、自分たちが強くなっているということに。
もう一度、同じレベルのピンチが来たとして、たぶん、普通に乗り越えられるようになっています。

だから次に言いたいのは「ピンチは、自分たちを成長させるチャンスなんだよ」という点です。

ピンチは慣れる、というか「人生のスパイス」になる

ピンチが来ると、心身ともに辛いものです。
まあまあ寝不足になります(睡眠が浅くなる)。
まあまあ胃腸の調子が悪くなります。
まあまあ暴飲暴食も増えます(人による)。

そんな状況でも既に来たピンチは待ってくれません。
なんとか乗り越えなければいけません。
逃げずに立ち向かって、やれること・やるべきことに最善を尽くす以外にありません。
悲観にくれているだけでしたら詰むのですから。

必死になって乗り越えるための日々を送っていると、不思議なことに達観をしてきます。
仮に職と財産・信頼諸々全てを失ったって、自分が今まで得てきた知識や経験が無くなるわけではないですし、物理的に死んでしまうこともありません。
最悪、自己破産でもして、ゼロからやり直せばよい。
そう考えて、何度かピンチを乗り越えていくと、だんだんと慣れてくるのです。

(睡眠は浅いままですが)普通に眠れるようになってきます。
(胃腸とかが物理的に辛いのはそうなんだけれども)冷静に対処ができるようになってきます。
「どうしよう、、、」という気持ちがゼロにはなりませんが、「今やれることは何か?今やるべきことは何か?」という考えを自然に優先的にできるようになってきます。
過去のピンチを乗り越えた成功体験もあるのか、落ち着いて考えられるようになってくるのです。

そうすると、これまた不思議なことに、だんだんと楽しくなってきます。
「よっしゃ!また成長機会が来た!」とも思いますし、難しいシチュエーションをクリアするゲームのような感覚も出てきます。
ピンチが人生のスパイスになってくるのです。

だから3つ目に言いたいのは、「大丈夫、慣れるから」という点です。

とりあえず落ち着いて考えて

ピンチが来たら非常に焦ると思います。

いくら「チャレンジしている証拠だよ」「成長のチャンスだよ」「そのうち慣れるよ」なんて言われても、今目の前が大変なのには変わりません。
ポジティブなマインドだけでは何も解決しません。

しかし、落ち着いて正しく対処しなければ、物事が解決しないのも確かです。

ですので、「今やれること」と「今やるべきこと」にフォーカスして対処してください。

  • 絶対に譲ってはいけない、守らなくてはいけないものは何か?
  • 各人の感情や過去のしがらみは脇において、締められる蛇口は何か?
  • 自分のプライドも脇において、周囲に求められる援助は無いか?
  • そして思いついた考えを実行していくために具体的に何をいつまでにすれば良いか?

ピンチの度合いが大きくても、やることは基本的には同じです。
むしろ、ピンチの度合いが大きくなると、「今やれること」が限定されると共に、「今やるべきこと」が明確になる場合が多いです。
だから、気持ちの問題はともかく、対処の過程的には焦らずにすむ場合が多い印象を持っています。
(ハードワークになるのは変わらないけれど。)

最後に言いたいのがこの、ピンチを乗り越えるためには「今、やれること、やるべきことにフォーカスする」、これしか無い、という点です。

あなたのチャレンジが、正しく世の中に貢献するものであり、そしてその想いと行動が本物であるならば、ピンチは絶対に乗り越えられるはずです。

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マネジメント・リーダーシップ

効果的な1on1運用は高難易度~形だけの無駄な1on1ならやるな!~

ここ数年、上司と部下が1対1で定期的にミーティングをする「1on1」がベンチャー業界を中心に流行っています。
適切に運用すれば高い効果のある1on1ですが、形だけの導入では上司は疲弊し、部下は会社不信を抱く、悪影響を招くだけの結果をもたらす可能性もあります。
今回は、この1on1に関して、無駄になりやすいから、基本的には実施しない方がいいよ、という観点で解説していきます。

1on1は何故、実施しない方がよいのでしょうか?
仮に実施するとしたら、どのようなやり方なら有効なのでしょうか?

忙しい人向けまとめ

  • 1on1は、上司と部下の1対1で定期的に行うミーティングで、仕事の悩みを中心に主体的な自己解決を促すための取り組み
  • 1on1は次の3点の理由で、基本的には無駄だと言える
    ① 1on1のコンテンツは、仕事の中で、その場で指導すれば解決するものが多い
    ② 「コーチング」の要素が強く、上司部下双方に一定のスキルが必要
    ③ 「コーチング」ではなく、「ティーチング」が必要な場面が多い
  • 仮に1on1に取り組むとして、必要な前提条件や、整えなければいけない制度が多く、また時間もかかる

1on1とは?とりあえず基本的なことの確認

1on1は、アメリカシリコンバレーを中心に広がった、広義の意味で人事制度の一種です。
部下と上司が1対1で、短時間の面談を頻繁に行い、コミュニケーションをとると共に、仕事の成果をあげることを目的として実施されます。

日本においても、部下の本音を聞き出し、モチベーションを高めてもらう効果を狙い、ベンチャー業界を中心に広がっています。

つまり、部下の育成やマネジメントにおいて有効だ、と言われているわけですね。

しかし、この1on1ですが、その本質を理解せずに、流行だけに乗る、形だけ導入してしまうと、効果があるどころか、悪影響が発生します。
基本的には、何も考えないで1on1を実施する位なら、やらない方がマシな無駄なものなのです。

それでは、何故、1on1は基本的には無駄なのでしょうか?

1on1は基本的には無駄!

具体例として、ヤフーで行われているという1on1について、そのプロトコルを見てみます。

一週間に一度、30分/人とする。
部下は10人以下とする。
以下のアジェンダとする。

 ① 目標に対しての現状の確認と問題点の特定(10分)
 ② 業務上の経験や気づきの振り返り(10分)
 ③ チームや組織に対する意見や気づき(5分)
 ④ その他の悩みや相談(5分)

また、聴くことを心掛ける。

『人事こそ最強の経営戦略』

これを見ると1on1のコンテンツとしては、業務遂行、人間関係、プライベートなことに関して、悩み諸々を聴き主体的な自己解決に導く「コーチング」的なものであると解釈することができます。

私が1on1は基本的には無駄だ、という理由は上記をうけて、次の3点の理由になります。

  • 1on1という体裁をとるまでも無くその場で指導すれば良いはず
  • 「コーチング」の一種なのだから、上司・部下共に聴く・話すスキルが必要
  • 「コーチング」ではなく「ティーチング」が必要な場面は多いはず

1on1という体裁をとるまでも無くその場で指導すれば良いはず

いきなり結論なのですが、普段から部下のことを気にかけていれば解決できることばかりなはずです。

業務遂行上、例えばシンプルにタスクの処理の仕方や、複雑なものでプロジェクト進行上の悩みが部下にあったとしましょう。
それならば、タスク上のHowならその場で指導すれば良いですし、プロジェクト進行なら定例ミーティングで状況を確認し、これもその場で指導したり、主体的な自己解決を促すアドバイスを行えば良いだけのはずです。

人間関係の悩みも、普段からチームの様子を見ていれば、「AさんはBさんのことが苦手なんだな」「Cさんは人当りが強くてまわりを委縮させてるな」「Dさんは怠け癖があって、まわりから疎まれているな」なんてのはわかるはずです。
1on1ミーティングの場でしか、このような状況をキャッチできない上司に対して、そもそもとして部下は信用・信頼し、ついていくと思うのでしょうか?
組織上(チームメンバー上)の問題も、問題がある人を呼び出して、即座に注意をすれば良いだけのはずです。

プライベートの悩みに関しては、基本的に、仕事にプライベートの問題を持ち込むこと自体がナンセンスです。
職場は学校や悩み相談室では無いのですから、プライベートの悩みを解決するようなアクションはそもそもとして不要です。
仮に、そのような悩みを解決しないと機能しない部下がいるのであれば、それは採用の問題です。
1on1の導入以前の問題として、採用を見直した方が良いでしょう。
取り組むとして、ランチや本人が望むのであれば飲みの場で話を聞き、個人的に相談にのる、というのは全く構わないでしょう。

ようは、1on1のコンテンツを見る限り、ごくごく普通に仕事中や休憩時間、仕事後などにコミュニケーションをとれば、それで事足りるものばかりのはずなのです。

即時解決を図るならば、タイムリーですし、時間的にリーズナブルな点も指摘できます。

「コーチング」の一種なのだから、上司・部下共に聴く・話すスキルが必要

次に、1on1は問題解決のための「コーチング」の一種だという点が、難しいポイントです。

つまり、上司に1on1のスキルと、部下に話をする内容や、問題をまとめて適切に伝えるスキルが無ければ、機能しづらいのです。
つまり、実施する側、受ける側双方に一定の知識やスキル・経験があるからこそ成り立つものなのです。
機能しない1on1を惰性でやることは、会社や人事に対する不信につながりかねません。

まず、コーチングはそもそもとして難しいのだから、その素人である部課長にやらせることが本当に良いことなのか?はしっかりと検討した方が良いでしょう。

次に、問題解決の視点で考えた時に、問題が解決しないことにより、かえって溝が深まる可能性も考えられます。
組織が抱える悩みというのは、一部課長によって簡単に解決できるものばかりでは無いはずで、また仮に解決できるにせよ簡単に即座に解決できるとは限りません。

つまり、問題解決という視点で見た場合に、1on1は高い可能性で機能しない運命が待ち受けているのです。
解決できる、解決しやすい問題に関しては、上記「その場で指導すれば良い」の通り、1on1でやる必然性があまりありません。

このため、普段から部下たちのことをしっかり見ている上司や、自走できる部下にとては、時間の無駄なのです。
双方疲弊するだけです。
適切に1on1を運用しようとすると、実施時間だけでなく、準備時間も必要であることは認識しなければなりません。

「コーチング」ではなく「ティーチング」が必要な場面は多いはず

上述の通り、コーチングは、実施する側、受ける側に一定の知識やスキル・経験があるからこそ成り立つものだ、と書きました。
この「一定の知識やスキル・経験」が、特に受ける側に無い場合、必要なことは「ティーチング」です。

「コーチング」は受ける本人が内に持っているもの(知識や経験のみならずマインド的なもの含め様々なもの)を引き出し、主体的に自己解決を促すための取り組みです。
そのため、受ける本人のスキル水準が低い場合は、きちんと具体のHowを教え込まなければいけないでしょう。

また、会社の業務の多くはスキルフル、キャリア的なものばかりでは無いはずです。
毎日、決まったタスクを淡々と効率的に処理するようなことが求められる業務は多いはずで、この役割においては、主体的なことは期待されていないはずです。
この役割の方々に対して、「コーチング」的1on1を実施することに、どこまでの効能が期待できるのでしょうか?
(この点は、役割の上下の話をしているのではなく、役割の性質の話をしていることは留意ください。)

加えて、何度も書いている通り、「コーチング」は主体的な自己解決を促すための取り組みであることを考えると、1on1の実施自体が矛盾をはらんでいることに気が付くはずです。
どういうことかと言うと、会社から1on1を促している、という時点で既に主体的ではない、といことです。
部下本人が1on1をしたい、というのならば、上司はそれを歓迎すれば良いだけのはずです。

それでは、効果的に1on1を運用するには、どのように行えば良いのでしょうか?

もし、1on1に取り組むのならば?

実施の前提条件

まず、会社が取り組んでいる事業や、従業員たちの属性に関して検討する必要があるでしょう。

事業からくる業務の特性が、タスク性や定型性の高いものでしたら、1on1は機能しづらいです。
新規事業への取り組みのような場合は、そもそもとして1on1が必要な人材を投入するのは失敗の可能性を高くするでしょう。
自走・爆走ができる人が適切なはずです。
これを踏まえると、事業特性として「ある程度軌道に乗った新規事業」「不備は多いもののある程度の形ができあがった業務」のような状況において1on1が機能する可能性が出てきます。

従業員の属性に関しては、部下側のスキル水準が一定以上であること(中途人材が中心か)、主体性・やる気があること、が条件となるでしょう。

制度として整えなければいけない事項

そのような前提条件が揃った上で、制度として下記を整える必要があるでしょう。

  • 1on1の意義の説明
  • 1on1の手順・方法など具体的なスキルに関する教育の実施
  • コンテンツを一定程度用意する
  • 仮にやるのなら徹底させる(忙しいからなどの理由で中途半端にさせない)
  • 人事からのフォローを必須で行う(1on1の内容のくみ上げと、適切な現場フォロー)

加えて、1on1の結果として成果を出したのならば、上司部下共に評価に反映させ、報酬をあげていかねばならないでしょう。
1on1だけ独立した人事制度として存在していて、評価・報酬制度と連動していなかったら、白けるリスクが高まります。

対象人数を絞るのも手

アイデアベースで考えるならば、「外部セミナー手当」や「読書手当」のようなものを制定することも考えられます。

従業員自身で希望する「外部セミナー」や「業務に役立つ書籍」を選定し、購入します。
これに対して、「報告書」を会社に提出することにより、会社側はそのセミナー代金や書籍代金を補助する、という仕組みです。

多くの場合、この種の取り組みは、ほとんどの従業員が活用しません。
しかし、逆に考えると、自主的に行動する従業員を見出すことができます。

1on1をやる場合、この自主的に研鑽にはげむ人たちにフォーカスをあてて実施すると、高い効果を期待できます。
対象人数を絞れるので、負担も減らせます。

クロス・ミーティングも考えられる

また、クロス・ミーティングも可能性として考えられます。
他部署の部課長に1on1を実施してもらうのです。

これなら、部署間交流も図れると共に、普段接点のない双方だからこそ客観的に取り組めます。
ただし、これも双方に1on1のスキルがあることが前提です。

最後に

適切に機能する1on1を実施しようとするのは、非常に難しいことです。
制度として整えなければいけない事項が多くなりますし、また時間もかかります。

上司と部下の双方で取り組む意義を理解し、1on1を良くしていこう、という想いをもって、取り組んで行かなければなりません。
それができないのであれば、1on1はやらない方が良いです。

そして、その組織として1on1を良くしていこうとする取り組みができる人たちに、そもそもとして1on1が必要なのか?
これを考えると、どうしても、1on1って本当に必要なのだろうかと疑問に思います。

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生産性・業務効率化

「もしもしはマナー違反」は間違い!~作られた偽マナーに踊らされるな~

最近のマナー関連の本や解説サイトを見ていると、電話やWeb会議応答における「もしもし」という言葉が、ビジネス用途としては「マナー違反」とされているようです。
「申す申す」から来ている略語であり、上から目線だ、適切な言葉づかいではないから、らしいです。
しかし、これは明らかにマナー講師による「作られたマナー」です。

ここでは、なぜ「もしもし」はマナー違反ではないのか、そして「作られたマナー」に関して、解説していきます。

忙しい人向けまとめ

  • 「もしもし」は電話が日本で使われ始めた電話交換応答における「ルール」が起源
  • マナー違反だとする理由は、敬語ではないため、略語のため、若者言葉のだめ、の3点
  • どれも、ロジック的に破綻しており、ナンセンスな主張である
  • 世の中には、マナー講師が職業を失わないための「作られたマナー」が存在する
  • マナーの本質は、こちらの不手際によって「相手に不快感を与えない」こと
  • 相手の時間を奪わないようにする(電話しない、リモートで済むものはリモート)「礼儀2.0」を取り入れたい

「もしもし」の誕生経緯

まず、「もしもし」の誕生経緯から見ていくのが良いでしょう。

日本の電話の父的な人物として「加藤木重教(かとうぎしげのり)」という方がいらっしゃいます。
その加藤木氏に関して書かれた書籍には、次のような記載があります。

「もしもし」の誕生

1890年(明治23年)12月16日に東京の電話交換が始まった。
それに先だって電話交換の交換実験が行われた際の説明書きには
『ここにおいて受容者は、聴音器を両耳にあて、器械の中央に突出する筒先を口にあて、まず「おいおい」と呼びにて用意を問い合わせ「おいおい」の声を発して注意し、先方よりの承諾の挨拶あるを聴音器にて聞き取り、それより用談に入るなり』
とあるので、一番最初の問いかけの言葉は「おいおい」だった。
(中略)
この当時「おいおい」に対しての受け手の応答は「ハイ、ヨゴザンス」に決定されていた。もしもしとは「申す申す」が変化して出来た言葉だが、当初は男は「おいおい」女は「もしもし」だったらしい。
「もしもし」に統一されたのは明治35年頃と言われている。
この「もしもし」を考案したのは、電話を日本で設置する際に研修ということで、明治23年にアメリカに渡った加藤木重教だと云われている。
その時、アメリカの電話では「ハロー/Hello」と言う言葉を使っていたが、この言葉を説明する日本語がどうも判らない。
そこで、「もしもし」という言葉を必死に考え出したものが、現在まで続いている。

国立国会図書館「重教七十年の旅」

つまり、電話交換における定められた「ルール」であり、一種の「プロトコル(一種の儀礼)」であったのです。

なお、今現代ですと、知らない方が多いかもしれませんが、昔の電話は「電話交換手」という方が電話の中継業務を行っていました。
電話をしたい人とこの電話交換手が、円滑に電話応答を行うための「ルール」が必要だったのです。

「もしもし」はマナー違反だとするロジック

さて、それでは、ここ最近「もしもし」がマナー違反だとするロジックに関して確認していきます。

いくつかのマナー解説サイトを読んだものをまとめると、敬語ではないため、略語のため、若者言葉のだめ、の3点が主張になるようです。

  • 「もしもし」の語源は、「申す申す」が変化してきた言葉であり、敬語では無いため
  • 「もしもし」の語源は、「申す申す」の略語であり、略語は失礼にあたるため
  • 「もしもし」はいわゆる「若者言葉」であるため

しかし、「もしもし」の誕生経緯から入り、ロジックを検証する限り、この全ての主張は破綻していることは明確でしょう。

「もしもし」はマナー違反だとするロジックへの反証

まず、①の「敬語では無いため」ですが、「もしもし」が電話応答における定められた「ルール」であり、一種の「プロトコル(一種の儀礼)」であるため、そこにいちゃもんをつけること自体がナンセンスです。
そもそもの「ルール」から成立した慣習なのだ、ということは、前提として考えた方がよいでしょう。
既に、その用法自体に「ルールに則っている」という敬意を含有しているのですから。

②の「略語だから」ですが、ビジネスシーンにおいて、略語があふれていることは言うまでも無いでしょう。
略語は失礼だから使用してはいけない、ということならば、ビジネスコミュニケーションがかなり煩雑なものになります。
契約書の甲乙丙も略式なので、使っちゃいけないことになってしまいますね。

③の「若者言葉だから」ですが、これは電話交換の歴史を鑑みれば若者言葉に該当しないことは明確です。
100年以上の歴史がある用法であり、電話交換における口語のプロトコルなのですから。

つまり、どの主張もロジックが破綻しており、ナンセンスとしか言いようがないのです。

それでは、なぜこのようなナンセンスなマナーが出来上がってしまうのでしょうか?
それは「マナー講師」の存在が疑われています。

作られたマナー

マナー講師は、自分たちの職が無くならないようにするために、新しいマナーを発明していく必要があります。
それでAmazonや書店、マナー解説サイトで「新マナー」や「意外と知られていないマナー」、「誰も知らないマナー」、「日本人が知らないマナー」のような、タイトルの本や記事などが登場する形になります。
もう、意味不明です。
新しいとか誰も知らないんだったら、マナーでもなんでもないじゃん、、、

世の中にはこのような作られたマナーがたくさんあります。

比較的最近見かけた作られたマナーですと、下記のようなものがありました。
これらはまだ一部で、他にも存在しており、非常に頭が痛くなります。
×が作られたマナーです。

徳利の注ぎ方

×「お酒を注ぐとき、注ぎ口からお酒を注ぐのは『円(縁)を切る』から失礼」
〇「機能美として注ぎ口があるのだから普通に使えば良い(徳利製造メーカーより)」

緑茶はお祝いのお返しに贈ってはいけない

×「緑茶はお祝いのお返しに贈ってはいけない、葬式を連想させるため」
〇「問題ない、伝統的にお祝いのお返しに贈られてきた」

トイレットペーパーを三角におる

×「トイレ使用後にトイレットペーパーを三角におるのがマナー」
〇「トイレットペーパーを三角におるのは清掃終了のサイン、衛生的に使用者がおってはいけない」

江戸しぐさ

×「江戸しぐさ」
〇「江戸時代に、江戸しぐさというものは無かった」

出されたお茶を飲んではいけない

×「取引先で出されたお茶は飲んではいけない、相手の条件を全部飲むという意味になるから」
〇「いただきます、と言い飲んで、最後帰る際に、ごちそうさま、と言う」

訪問先でドアのノック回数は3回が正しい

×「ドアノック2回はトイレの回数と一緒だから失礼」
〇「2回で十分」

最後に

マナーの本質は、こちらの不手際によって「相手に不快感を与えない」ことであり、「作法」そのものには価値が無いはずです。
わけのわからないマナーを量産し、一部の人によるマウント取りのネタにしたり、働きづらさを助長するのは本質ではないでしょう。

マナーとは移り変わるもので、人の気持ちはロジックではなく感情で整理されるものでもあるため、「もしもしはマナー違反」だと言う人に「それは間違いですよ」と言うのも違います。
営業の場面などで、マナー違反だと勘違いしている人がいるかもしれない中、わざわざ使うリスクをおかすことも無いでしょう。
それでも、わざわざ助長させたいとは思いません。
相手が使ってきたとしても、こちらは気にしない、というスタンスが良いでしょう。

繰り返しますが、マナーの本質は、こちらの不手際によって「相手に不快感を与えない」ことにあると理解し、わけのわからない「作られたマナー」に踊らされないようにしたいものです。
その意味で、取り入れたい「作られたマナー」として、納得感の高さから次のツイートを紹介します。

礼儀2.0、いいですね。
これから使っていきたい言葉です。

(おまけ)「もしもしはマナー違反」はいつ頃から?

なお、「もしもし」がマナー違反だとする主張が出始めたのは2004年頃からです。
まだメジャーでは無いですが、聞く頻度が増えたのはここ数年でしょうか。

20代の方は、電話を使用する機会が増えたのが、仕事を初めてからになるでしょうから、かえって「もしもしはマナー違反」には違和感が無いかもしれません。

(おまけ)マナーの起源から考えると、、、

貴族とかそういう「地位」が存在した時代、マナーは、その地位の高さを示すもので、地位が高い人たちにとっては重要視されていたものでした。
ようは、高い教養、高いマナーを備えることが、貴族としての地位を示す、平民や自分より各が低い貴族に対する一種のマウント機能を果たしたのです。
その観点で考えると、次々に新しいマナーを発明し、もしくは取り入れ、それを知らない人たちに対して誇示をすることは、ある意味において正しいと言えます。

決して見習いたくは無いですが。

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フリーWi-Fi(フリーワイファイ)は危険~わからないなら使うべきではない!~

仕事でパソコンを使うこと、個人でスマートフォンを持つことも、当然の時代になり、常時インターネット接続が当たり前の時代になりました。
そのような中、飲食店や公共交通機関などにおいて無料でインターネット接続ができる、いわゆる「フリーWi-Fi(フリーワイファイ)」を使用できる環境も整ってきています。

スマートフォン通信やモバイルルーターの契約では、例えば「7GB」のような形で、通信量に制約がある場合が一般的で、通信量を節約したい方たちにとって、フリーWi-Fiは非常にありがたいものとなっています。
そして直近の新型ウイルス騒動により、リモートワークを行う機会が増えると共に、このフリーWi-Fiを使用する機会も増えていくものと考えられます。

しかし、このフリーWi-Fiは、高い利便性があると同時に、決して軽視できない危険性があります。
正しく使用しないと、通信内容の傍受(覗き見)や不正アクセスなどの被害にある可能性があるのです。

今回は、フリーWi-Fiのリスクについて、解説していきます。
フリーWi-Fiに関して、十分な理解が無いのならば、フリーWi-Fiには接続すべきではありません。

忙しい人向けまとめ

記事概要

  • フリーWi-FIは、通信量の節約ができるなど、非常に便利であり、また身近なものになっている
  • 安全なWi-FIスポットばかりでなく、セキュリティ的に甘い「フリーWi-Fi」や、悪意のある「野良Wi-Fi」が存在する
  • 通信内容の傍受(盗聴・のぞき見)、不正アクセス、端末の乗っ取り(位置情報を盗み見されることによる監視、端末の遠隔操作)などの被害が想定される
  • 必要な対策は多数あり、十分な理解が無いのならば、フリーWi-Fiには接続すべきではない

必要な対策

  • ログインが必要な機能を利用しない
  • 個人情報が必要な機能を利用しない
  • ファイル共有機能を使用しない
  • Wi-Fiへの自動接続を利用しない
  • SSID(Wi-Fiの名前)の確認する
  • 暗号化されていることを確認する
  • Https化されていないURLへのアクセスはしない
  • VPNを使用する

フリーWi-Fiとは?

Wi-FiとフリーWi-Fiについて基本的なこと

まずWi-Fiについてです。
パソコンやスマートフォン、タブレット、ゲーム機器など、インターネットに接続できる端末を、無線でネットワークに接続する方式を「Wi-Fi」と呼びます。
以下、「パソコンやスマートフォン、タブレット、ゲーム機器など、インターネットに接続できる端末」をひっくるめて、単純に「端末」と表現します。

プライベートでWi-Fiを利用する際には、何かしらのプロバイダーと契約し、無線LANルーターという機器を介して、端末をインターネットに接続させます。

「フリーWi-Fi」とは、コンビニやカフェなどの飲食店や、交通機関をはじめとした公共の場所において、誰でも利用できるよう無料で提供されたWi-Fiのスポットのことを言います。
「公衆無線LAN」、「無料Wi-Fiスポット」などと呼ばれることもあります。
事前に会員登録をしなければ使用できない場合や、携帯電話で契約をしているユーザーのみに提供しているキャリア限定のものもあります。

プロバイダーとの回線契約をせずに、外出先でインターネット接続ができ、また通信量の節約にもつながるため、フリーWi-Fiは非常に便利なものとなっています。

しかしながら、デメリットもあります。
接続している人の数などにより通信速度が遅くなったりする場合もありますし、上述の通り、セキュリティ上のリスクがあるのです。
フリーWi-Fiを提供している企業や団体は、通信手段を提供しているのみで、セキュリティに関しては担保していない点は認識しなければなりません。

フリーWi-Fiの種類

次に、フリーWi-Fiの種類について解説します。
このフリーWi-Fiの種類の理解が、フリーWi-Fiのリスクの理解への助けになりますので、前提として認識をするとよいでしょう。

(有料)公衆Wi-Fi

インターネット・プロバイダーや携帯キャリアなどと契約(有料)することに利用できる公衆Wi-Fiになります。
スマートフォンにおいてキャリア契約をしている場合は、追加で料金を支払うことなく公衆Wi-Fiを利用できることが一般的です。

事前に契約が必要なことと、利用できるエリアなどが限定されることがデメリットですが、セキュリティ的には「比較的」安全性が高い点がポイントです。

(無料)フリーWi-Fi

こちらが一般的に言われている「フリーWi-Fi」です。
コンビニやカフェなどの飲食店や駅や空港などの公共空間において提供されており、利用者にとって非常に身近なものとなっています。
「スタバでMacを広げて、フリーWi-Fiにつないで仕事」はテンプレ的な光景になっていますね。

飲食店などにおいては、Wi-FiのID・パスワードが掲示されている場合が多く、利用の際には、それを見て設定をするのが一般的です。
(非常に危険ですが)パスワード不要でWi-Fiを利用できるケースもあります。

フリーWi-Fiは「誰でも利用できる」という特性上、セキュリティの観点から、無視はできないリスクがあります。
特に、 後述しますが、 パスワード不要なWi-Fiは「暗号化」がされていないため、非常に高いリスクがあります。

(無料)野良Wi-Fi

次に一番理解してもらいたいのが、この「野良Wi-Fi」です。

野良Wi-Fiとは、どこの誰が提供しているのかがわからないWi-Fiのことです。
信頼のおけるサービス提供者による設定上のミスの場合もありますが、暗号化の不備や、パスワード設定がされていないケースが多いです。

多くの場合は問題がないのですが、中には悪意のある人物により、意図してWi-Fiを公開している場合もあるのです。
後述するのですが、SSID(ネットワーク名)という「Wi-FIの名前」は設定により変更することが可能で、信頼できる公衆Wi-FIやフリーWi-FIに似た名称、もしくは同名に設定することで、利用者をだますことができるのです。
(これを「なりすましアクセスポイント」と言います。)

例えば、飲食店などに掲示されているSSIDを見てWi-Fiに接続しようとした時、複数の同じような名前のSSID、もしくは同名のSSIDが並んでいた場合が想定できます。
このうちのどれかが「なりすましアクセスポイント」である悪意のある野良Wi-FIの可能性があります。

万が一、この悪意のある野良Wi-FIに接続してしまうと、通信内容の傍受(のぞき見)であったり、不正アクセスなどの被害にあう場合があります。

セキュリティ意識の低い無防備なユーザーを狙った、悪意のある野良Wi-FIが存在する、ということを認識しなければなりません。
少しでも怪しいと感じるWi-FIスポットがあるのならば、絶対に接続してはいけません。

具体的にどのようなリスクが?

上述の通り、フリーWi-Fiは、外出先で誰でも自由に利用できるインターネット接続サービスであり、非常に便利なものです。
多くの場合において、そのリスクが顕在化する、つまり被害にあうことはほとんどありません。
しかし、悪意のあるケースにおいてはその限りではありません。

繰り返し書きますが、Wi-FiにはSSIDという「Wi-Fiの名前」があります。この「Wi-Fiの名前」は自由に設定が可能なため、偽のWi-Fiスポットを容易に作成できるのです。
正規のフリーWi-Fiであっても、暗号化されていない場合には悪意をもった攻撃もありえます。

以下、「悪意のある野良Wi-Fiや暗号化されていないフリーWi-Fi」のことを「危険なWi-Fi」と呼びます。

それでは、具体的にどのようなリスクがあるのでしょうか?

通信内容の傍受(盗聴・のぞき見)、不正アクセス

危険なWi-Fiに接続してしまった場合、通信内容が傍受(盗聴やのぞき見)される可能性があります。

通信内容が暗号化されていない場合、インターネットの利用者が閲覧しているWebサイトのURLやメールの内容などを、第三者が取得することができます。
通信内容が暗号化されている場合であっても、例えば飲食店などにおいてはSSIDと共にパスワード(暗号化キー)が公開されており、同様に傍受のリスクが存在します。

万が一、悪意のある人物がいる場合、その通信内容を利用して悪意のある偽のサイトに誘導し、ウイルスに感染させる、パスワードをはじめとした個人情報を盗む、という被害にあう可能性があります。

端末の乗っ取り(位置情報を盗み見されることによる監視、端末の遠隔操作)

端末を乗っ取られることにより、GPS機能を介して居場所を特定されるリスクもあります。
常時監視されることにより、ストーカー被害にあうケースもあります。
行動パターンや居場所などを特定されてしまうのです。

また、カメラアプリなどを遠隔操作されることも考えられます。
利用者の顔や自宅の中などが流出してしまうのです。

Facebookのマーク・ザッカーバーグ氏は、端末のカメラをテープで物理的に塞いでいることで話題になりましたね。

それでは次に、セキュリティ対策についてです。

セキュリティ対策

ここからはセキュリティ対策についてです。

  • ログインが必要な機能を利用しない
  • 個人情報が必要な機能を利用しない
  • ファイル共有機能を使用しない
  • Wi-Fiへの自動接続を利用しない
  • SSID(Wi-Fiの名前)の確認する
  • 暗号化されていることを確認する
  • Https化されていないURLへのアクセスはしない
  • VPNを使用する

これから書いてあることを実行していれば絶対に安全、ということはありません。
当然に中途半端な理解で安全と思うのも危険です。

私は、基本的には、フリーWi-Fiは使ってはいけない、というスタンスでいます。
そもそも論として、フリーWi-Fiは使用しないのが一番安全、と認識し、これから書くことで少しでも理解できない内容があるのならば、フリーWi-Fiを使用しないようにしましょう。

なお、セキュリティ・ソフトを入れているから安全、と思う人もいます。
確かに、セキュリティ・ソフトの中には、フリーWi-Fiの危険性に対する防御機能があるものもありますが、全てをカバーしているとは限りませんし、そもそもその機能があるとも限りません。
過信は絶対にしてはいけません。

ログインが必要な機能を利用しない

通信内容が傍受されるリスクを考慮すると、ログインが必要な機能を使用するのは危険です。
IDやパスワードを盗まれる可能性があるのです。
ネット通販やネットバンキングなどの利用はありえません。
当然、業務で使うクラウドサービスの利用もありえません。

仮にフリーWi-Fiを利用する際は、各種サービス全てからログアウトし、Webサイトの閲覧程度に限定するべきでしょう。

個人情報が必要な機能を利用しない

上述のログインと同様です。
IDやパスワードだけでなく、知られたくはない個人情報をやり取りするようなことや、個人情報が必要な機能を利用しないようにしましょう。

いわゆる「出会い系アプリやサイト」などを利用し、そのことが傍受されることにより、脅迫などの被害をうける場合も考えられます。

上述のログインとあわせ、仮に傍受されたとしても全く問題がない情報のやり取りやサービス利用だけならば、被害は事実上、ゼロで済みます。

ファイル共有機能を使用しない

Webサイトの閲覧などは、利用者が自発的に行っているため、何をどのように利用しているのかがわかりやすいですが、ネットワークを介したやり取りは、利用者が知らない間に行われるものもたくさんあります。
例えば「ファイル共有」です。

現在は、非常に便利なファイル共有機能やサービスが数多くあり、職場と自宅で業務に使うデータを共有化している人も多くいることでしょう。
(そもそもとして、このことがどうなのか?という点はありますが。)
この状態のまま、仮に危険なWi-Fiに接続してしまうと、流出してはいけないデータに、悪意をもった他人がアクセスできてしまう可能性があるのです。

フリーWi-Fiを利用する際は、ファイル共有機能は解除すべきです。
どのようなファイル共有機能が動いているのかがわからないのであるならば、フリーWi-Fiは使用してはいけません。

Wi-Fiへの自動接続を利用しない

インターネットに接続できる端末の多くが、一度接続したWi-Fiへの自動接続を可能とする設定があります。
これは非常に便利なもので、多くの人が利用している機能でしょう。

しかしながら、仮に一度でも危険なWi-Fiに接続してしまい、この自動接続設定がONになっていたのならば、完全な「カモ」になってしまいます。
危険なWi-Fiにも自動で接続されるようになってしまうからです。

仮にフリーWi-Fiを使用したいのであれば、自動接続は解除しておきましょう。
また、フリーWi-Fiを利用したのであれば、面倒であっても、フリーWi-Fiを使い終わった後にネットワーク設定を削除し、再度接続するときにネットワーク設定を行うようにしましょう。

なお、上述しているような被害がなかったとしても、自動接続機能は、端末の挙動をおかしくしてしまう場合もあるので、そもそもとして自動接続機能は微妙です。
(接続できるWi-Fiを探す結果として、インターネットの速度が遅くなったり、アプリが正常に機能しなかったりする場合がある。)

SSID(Wi-Fiの名前)の確認する

繰り返し書いていますが、SSID、つまりWi-Fiの名前は自由に設定できるものです。
ですので、本当に安全なWi-Fiなのか、確認しなければいけません。

同じような名前、もしくは同じ名前のSSIDが並んでいるのならば、危険性が高いので接続してはいけません。
もし、既にそのような環境下で接続してしまっているのならば、すぐに接続を切るべきです。

仮にフリーWi-Fiを利用するにせよ、飲食店や公共交通機関など、提供元が明確なフリーWi-Fiの利用に限定すべきですし、提供元が明確であったとしても決して安全ではない、という点は認識すべきです。

なお、SSIDに「Free」や「Public」といった単語が入っているWi-Fiも危険性が高いので、接続には細心の注意が必要です。

暗号化されていることを確認する

Wi-Fiに接続する際に、SSIDの横に「鍵」のマークがついているものがあります。
これが「暗号化されている」Wi-Fiです。
利用にはパスワード(暗号化キー)が必要です。

仮にフリーWi-Fiを利用する場合には、この暗号化がされていることを確認しましょう。
暗号化されていない「None」のフリーWi-Fiには接続してはいけません。

暗号化の種類には「WEP」「WPA」「WPA2」といったものがあります。
「WEP」はセキュリティ・レベルの低い暗号化方式なので、これを利用したWi-Fiへの接続はしてはいけません。
インターネット上に、WEPの通信を傍受するツール類が転がっています。

これは職場や自宅でのWi-Fi利用においても同じことがいえます。
仮に「WEP」での通信を行っている場合は、即座に端末を変えるのか、暗号化方式を変えるのかをすべきです。

Https化されていないURLへのアクセスはしない

最近はインターネット利用の際に、URLが「Http」なのか「Https」なのかを意識することが減りました。
大多数のサイトが「Https」となっており、その通信内容が「SSL」という暗号化方式によって保護されているからです。

しかしながら、まだ「Http」のみのサイトも存在します。
「SSL」に対応していないサイトにおいては、通信傍受のリスクが高まるので、IDやパスワードなど個人情報を含むやり取りはしてはいけません。
ログインや問い合わせの類はしてはいけないのです。

なお、この「SSL」について確認できるのはブラウザを利用したWebサイトへのアクセスに限定されます。
アプリの類は、その通信方式がSSLなのか否かがわからないので、フリーWi-Fi利用において、アプリ類の使用は危険です。
この意味でも、仮にフリーWi-Fiを利用する際は、各種サービス全てからログアウトし、Webサイトの閲覧程度に限定するべきでしょう。

VPNを使用する

それでもなお、フリーWi-Fi環境下で、「ログイン」が必要であったり、「個人情報」などの重要情報をやり取りする必要がある場合は、VPNを利用しましょう。

VPN(Virtual Private Network)は、通信を自前で暗号化することができます。
仮想的に自分専用のプライベート・ネットワークを構築し、通信の傍受などを防ぐことができるのです。
100%安全なセキュリティを構築できるわけではありませんが、安全性は格段に向上します。
ビジネス用途など、重要情報を安心して利用できるようになるわけです。

ただし、それが「安全な」VPNの場合です。
「安全な」VPNがわからないのであれば、やはり、そもそも論の話に戻ってしまいます。
無料のVPNアプリもありますが、実際の所の安全性は不明です。

まとめ

以上、フリーWi-Fiの危険性に関して解説してきました。

まとめを一言で表現すると、「どんなに対策してもフリーWi-Fiが100%安全になることはない」ということです。
(より正確にいうと、インターネット利用そのものがリスクがあるのですが、、、それを言うと見もふたも無くなる。)

セキュリティと利便性は天秤のようなもので、どちらかに傾けると、もう片方において不備ができてしまいます。
利便性の高いフリーWi-Fiは、セキュリティにおいてギリギリ妥協できるラインで普及している、ということを認識しましょう。

これからの時代、フリーWi-Fiは間違いなく増えていくと考えられます。
それに伴い、犯罪の機会も増えていきます。

一個人で責任がとれる範囲でのフリーWi-Fiを止めることは誰にもできませんが、基本的には安全でない無防備なものだという認識を持っておきましょう。
十分な理解が無いのならば、フリーWi-Fiには接続すべきではありません。

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セキュリティ

セキュリティ的に危険~ノートPCに企業ロゴステッカーを貼るのはNG~

リモート勤務をする人が増え、以前にも増してカフェでノートPCを広げている人を多く見かけるようになりました。
その光景を見ていると、赤の他人なのに、微妙にそわそわしてしまいます。
なぜならば、ノートPCに企業ロゴステッカーが貼っているからで、それはセキュリティ的にNGだからです。

特にベンチャー界隈だと当たり前にみられる光景ですが、なぜ、ノートPCに企業ロゴステッカーを貼るのはNGなのでしょうか?

忙しい人向けまとめ

  • ブランドイメージ低下につながりやすい
  • 紛失・盗難時のパスワード推測がしやすい
  • 盗難のターゲットとなる可能性もある

なぜ、危険なのか?

ブランドイメージ低下につながりやすい

会社から支給されたノートPCを、うっかり紛失をしてしまいました。
そのノートPCに企業ロゴステッカーが貼ってあった場合、そのノートPCを発見した人は、どう思うでしょうか?

考えられる例として、「あの会社の人たちは、パソコンを紛失するような人たちなんだ。」と思い、その会社に対する信用度が減ってしまい、ブランドイメージの低下につながってしまう可能性があります。

いわゆる「ショルダーハック」と呼ばれる状況が起きた時も同様です。
「ショルダーハック」とは、言葉通り、肩越しにノートPCのディスプレイに表示されている情報を見てしまう行為です。

このような時も、「外で堂々と顧客の情報を表示しているよ。あの会社、大丈夫かな。」と思われてしまう可能性があります。
ディスプレイに自分たちの会社名などが表示されていなかったとしても、ノートPCに企業ロゴステッカーが貼ってあれば、「私はどこどこの社員です」と吹聴しているようなものです。

ノートPCに企業ロゴステッカーを貼るのは、紛失、盗難、ショルダーハックなどがあった際に、ブランドイメージを低下させるリスクが多いにあるのです。
(純粋に、ステッカーを貼る行為を低俗だと考え、忌避する人もいるので、その観点でもブランドイメージを下げてしまうリスクがあります。その考えは流石にどうかとは思いますが。)

紛失・盗難時のパスワード推測がしやすい

ブルートフォースアタック、という言葉をご存じでしょうか?
パスワードの解析の際に使う「総当たり攻撃」のことで、古典的ながら、現在でも有効な方法として捉えられているハッキング(クラッキング)の手法の一つです。

もし、ノートPCのパスワードが「企業名****」というような設定がされていた場合を考えてみて下さい。
ノートPCには企業ロゴステッカーが貼ってあります。
ブルートフォースアタックをする際のリスト絞り込み、つまりパスワードの推測が容易になると思いませんか?

ノートPCに企業ロゴステッカーを貼るのは、紛失、盗難があった際に、パスワードの推測を容易にしてしまう場合があり、それは情報漏洩につながりやすくなるリスクがあるのです。

もちろん、いわゆる「ふせん(付箋)にパスワード」も、当たり前ですが危険です。
ありえない行為なので、もしあなたがそのようなことをしていたのならば、即座にはがし、適切に捨てましょう。

盗難のターゲットとなる可能性もある

幸い日本では少ないのですが、現実として産業スパイ、というものが存在するのも事実です。
ノートPCに企業ロゴステッカーが貼ってある場合、その産業スパイの対象、つまり盗難のターゲットとなる場合があるのです。

あなたが仮に、大量の個人情報を所有しているであろう会社の従業員であった場合、悪意のある人間にしてみれば美味しいターゲットに見えてしまう場合がゼロではありません。
ステッカーが貼ってあるので、「私はどこどこの社員です」と吹聴しているのですから。

どこの社員なのかがわかるが故に、興味の対象として、ショルダーハックのターゲットとなる可能性もあります。
ノートPCに企業ロゴステッカーを貼るのは、紛失、盗難、ショルダーハックなどのターゲットとなるリスクが高くなってしまう、と認識しましょう。

その他の注意事項

「資産管理ラベル」なども同様で、企業名やホスト名を刻印しないように注意しなければいけません。
ノートPCで外作業をしている人を見ていると、ちらほら「資産管理ラベル」に企業名が刻印されている状況に出くわし、微妙にそわそわしてしまいます。

また、「よその会社のステッカーも貼ってあるから問題ないよ!」という人も、たまにいますが、よそ様の会社に迷惑をかけてしまう可能性があることも認識すべきです。
よそ様の会社に迷惑をかけてしまうことは、もっとありえない行為のはずです。

最後に

これは、私個人の考えなので、他社に強く押し付けるものでは無いとは思ってはいるのですが。
そもそも論として、ステッカーをはがす際に傷をつけてしまう場合もあります。
会社から貸与された備品は、会社の物であり、自分の物ではありません。
他人の物に傷をつけてしまう、という行為はマナー違反の「はず」です。

これを考えると、そもそも論として純粋に会社から貸与されたノートPCに何かシールやステッカーを貼るような、デコレーションはするべきではないでしょう。

もちろん、最終的には所属する会社の方針に従う話ですので、仮に所属する企業の文化としてステッカーを貼るのを良しとしているのならば、それに口出しするのは余計なお世話というものです。
また、一個人が私物のノートPCを好きなようにデコレーションするのも全くもって構わないでしょう。
趣味・志向の世界の話なので、それに突っ込むのは野暮というものです。

ですが、以上の通り、セキュリティの観点で考えた際に、所属がわかる何かがある状況は良くないことは認識すべきです。

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経営企画

ダイリューション(株式希薄化)のリスクは気にするな

ベンチャー企業において資金調達を行っている立場の方で話題にでるのが「ダイリューション」です。
経営のコントロール権にも影響してくるダイリューションは、創業者のプライドの問題などなども絡めて、非常に気にしてしまうテーマとなります。
ここでは、このダイリューションに関して、あえて「気にするな」というスタンスで意見を述べていきます。

忙しい人向けまとめ

  • ダイリューションは「株式の希薄化」のことで、経営のコントロール権を相対的に減らしてしまう
  • 経営のコントロール権の観点だけでなく、創業者の「自分の会社」というマインドや、プライドの問題が絡む
  • それでもダイリューションは気にしなくてよい
  • 経営のコントロール権は、社長としての成果を示していれば、必然的に得られるから
  • 仮に経営がうまくいかなかった場合でも、優秀な経営者に代わってもらった方が、創業者の財産の観点ではプラス

ダイリューションとは?

まず、ダイリューションとは?
それは、株式の希薄化のことです。
新株発行増資などによって、株式会社が発行する株式が増加し、1株あたりの株式の権利(価値も)が想定的に小さくなることをいいます。

一般論として「良くない」こととされています。
創業経営者の立場からすると、持株比率が減少すると、会社の所有権、つまり経営のコントロール権(株式の権利)が相対的に減少してしまうからです。
「社長」は、会社の社長が決めるものではなく、「株主総会」の決議によって決定されるもので、創業経営者の持株比率が減少した場合、状況によっては「社長」で居続けられない可能性があるのです。
これは極端な話だとしても、投資家達からの口出しが増えて、自由に経営ができない状況になることは普通にありえます。

そのため、大多数の経営者、特にベンチャー企業の経営者はダイリューションを気にする傾向があります。
(大企業の経営者は、経営の安定性から、銀行からの調達が可能であったり、そもそも調達が不要であったり、とエクイティ(新株の発行)での調達はそもそもとして頭になかったりします。)

気持ちはわかる

ベンチャー企業の経営者がダイリューションを気にするのは、まあ当然の話で、気持ちは理解できます。

上述の通り、一般論として「良くない」とされていますし、周囲の人たちも「ダイリューションには気をつけろ」とアドバイスをします。
また、自分でビジネスを考え、顧客を獲得してきた立場からすれば「自分の会社」という感覚を捨て去ることは難しいでしょう。

しかし、それではパブリックカンパニーを目指す、つまりIPOを目指すのであれば、いつまでも非公開企業のマインドのままでは良くないのです。
自分が手塩をかけ、涙と汗を流して育てた会社に対して、あくまでも「投資家の中の一人」であるとマインドセットを変えなければいけません。

逆にいうと、IPOを目指さない、投資家からの出資もうけない、プライベートカンパニーのままでいい、というのならば不要な意見なので、読み捨てていただければと思います。

なぜ、ダイリューションのリスクを気にしなくてよいのか?

それでは、なぜダイリューションを気にしなくてよいのでしょうか?

それは、非常にシンプルな話で、経営のコントロール権はあくまでも社長としての成果で得るものだからです。
投資家たちも、別に会社を自分たちのものにしたいとか考えているわけではなく、あくまでも自分たちが投資した案件が成長し、その価値が高くなることを望んでいます。
(それで、株式の売却により利益がでればよい。)
ですので、優秀な創業社長がモチベーションを保って経営を続けてくれるのであれば、ウェルカムなのです。
(持株比率が減ってしまい、経営に対するモチベーションが低下してしまったベンチャー企業の社長を何人か知っていますが、そもそもとして向いていないから、そうそうに誰か優秀な方に代わってもらった方が、良いでしょうね。)

また、仮に経営がうまくいかなかった場合、経営者にとっても自分の財産が目減りしてしまうことを考えると、別の優秀な経営者に代わってもらった方が、財産という観点においてはプラスになるはずです。
実際、創業者はCOOなどにひいて、CEOは別の方にやってもらう、という意思決定を行う創業者の方も存在します。

中には、自分の財産なんか粉みじんも興味がなく、自分のビジネスがただひたすらに大きくなり、社会に対するインパクトを最大化させよう、という経営者も存在します。
海外のIPO事例を見ていると、IPO時点で創業者の持株比率が1%を切る、という状況も見受けられます。

ようは目的意識や、プライドの問題であり、ダイリューションのリスクは経営の本質ではないのですね。

ダイリューションに関しては、会社の経営企画の方など資本政策を実務で考える方や、支援をしてくれるVCの方たちに任せて、経営者自身はあくまでも自分自身が本来志したものに邁進するのが良いのでは、と考える次第です。

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生産性・業務効率化

「視座を高める」だけで良いのか?~3つの目を持て~

ベンチャー界隈で生息していると、たびたび耳にするのが「視座」という言葉です。
一般的には、視座は高い方が良いと言われますが、それは本当でしょうか?
ここであえて疑問を提示し、本当の意味で有益な「視座」を得るための考え方を検討します。

忙しい人向けまとめ

視座について

  • 視座とは「物事を見る姿勢や立場」のことで、一般的には「高い」方が良いとされる
  • 「視座が高い」と、問題を発見でき、選択肢を多く持て、ゴールに至る効率があがる
  • ただ、「視座が高い」だけでは不足があり、「鳥の目」「蟻の目」「魚の目」の3つの目を併せ持つ必要がある

3つの目について

  • 鳥の目 : 大局的に見る
  • 蟻の目 : 現場から見る
  • 魚の目 : トレンド変化に着目

視座とは?

辞書的には「物事を見る姿勢や立場」という意味の視座ですが、その言葉通り、物の捉え方・問題意識って人によって違うよね、という前提から考えられます。

良く語られる例えで言うと、ビルの入り口に立っている人では遠くは見通せませんが、ビルの屋上に立っていれば遠くを見通せる、ゴールへの最短距離を俯瞰して見える、と語られたりします。

別の例えで言うと、直近の新型ウイルス騒動において、普通の人たちは「怖い」「マスクが買えない」「学校が休みになって育児が大変」と考えますが、これが企業経営者でしたら「今後の業績の見通し」「会社としての対応方針」「銀行や株主との調整」などについて考えます。

これは下記のイメージで考えれば、ポジション的にも表現しやすく、立場が変われば、物の見え方は大きく異なってくるよね、というのがわかりやすいと思います。

視座 役 職

↑高 社 長
|  部 長
|  課 長
|  係 長
↓低 平社員

つまり、ビジネス的観点での「視座」の使い方では「高い」ことが良しとされています。

しかし、それは本当でしょうか?
視座が高いことが、本当に良いことなのでしょうか?

視座が高いことは実際に良い

視座が高いと、より上位レイヤーの立場にたって問題を捉えることができます。
自分個人のことではなく、事業や会社の立場にたって、やるべきことを策定し実行できるのです。
広く遠くを見ているので、発生しうるであろう問題を予期できる場合もあり、また成果をだすまでのプロセスも複数立案でき、成果を出す、ゴールにたどり着くまでの効率が爆あがりします。

逆に視座が低いと、自分中心に物事を考えてしまいます。
仕事が忙しければ愚痴を言い、まわりの人のことを考えずに、自分自身だけの領域で部分最適化を実行します。
誰かが休む(病欠だったり、産休だったり、色々な理由が考えられる)と「自分の負担が増える」と不満を見せ、チームの雰囲気を悪くし、自分が休みたい状況において休みづらくする、自分の首を絞めてしまう状況を作る場合もあります。

これだけ見ると、確かに視座は高い方が良いように見えます。
実際、視座は高い方が良いです。

これは何も仕事の話だけでなくプライベートにおいても同じで、会社で出世したくない、と考えている人も、視座は高い方が良いことが多くあります。
ゴールにたどり着くまでの効率が爆あがりするのは、自分自身の自己実現に対しても言えるからです。

自分が持っている知識や経験、置かれた環境、自分自身がやりたいこと、人生の幸せ。
そういったことを高い視座で俯瞰して見れれば、現在地点からゴールまでの距離を、最短に縮め、自己実現を果たせる可能性があがるのです。

ただし、、、「高い」だけの視座は危険

とある大学生A君がいます。
A君はボランティア活動に熱心で、若いのにビジネス書をたくさん読み、起業家などが主催するセミナーなどにも足を運ぶ、勉強家です。
将来は起業をし、世の中を良くしたいと考えています。
しかし、まわりの意識が低い、「視座が低い」人たちを見下す傾向があり、友達は少ないです。

とあるベンチャー起業家Bさんがいます。
若くして起業し、世の中を良くしたいと思い、壮大なミッション・ビジョンを掲げ、ごくごく少人数の創業メンバーと共に頑張り、何とか今までに無いサービスをローンチしました。
セールスのミーティングでBさんがいつも言うのは「それはミッション・ビジョンに照らし合わせて、どうなんだっけ?」。
顧客はまだついていません。

とある大企業社長C氏がいます。
誰しもが知っている多店舗展開をしている会社です。
いわゆる「ブラック」企業として。
C氏は店舗を効率よく運営する手法として、「ワンオペ」という人件費を最小化できる方法を考え実行しました。
会社の業績は爆あがりしました。
短期的には。
ある時、時流の流れか、社会から叩かれ、従業員は去り、きれいな形のある店舗が大量に営業できない状況に陥りました。
当然、業績も急下降です。

これらは、若干の編集は加えているものの、どれも実在の人物を参考にした例です。

物事を高い視点で見て、社会を良くしよう、会社の業績を良くしよう、と思うのは結構なことなのですが、それだけではダメなのです。

A君に足りないのは(不足だらけなのですが)、結局の所、本人の実務経験であったり、そのどうしようもないコンプレックスに向き合わない精神です。

Bさんに足りないのは、いいから足を動かして顧客をとる、という圧倒的な行動力です。
どんなに崇高な志を持っていたとしても、吹けば消えてしまうような会社では何の説得力も影響力もありません。

C氏に足りないのは、時流を読む力であったり、現場を見ない、もっとストレートに言えと経営者としての能力不足です。
きっと、部課長としては優秀だったのかもしれません。
(人は、無能になるまで出世を続ける、と言いますしね。ピーターの法則。)

それでは、視座が高いだけではダメなのならば、何が必要なのでしょうか?

鳥の目、虫の目、魚の目

答えはケースバイケースで人によって違うものなので、一概には言えません。
しかし、別の観点を提示することはできます。

それは、「鳥の目」「蟻の目」「魚の目」の3つの目です。
(「魚の目」は「うおのめ」と呼びますね。)

鳥の目とは、鳥のように上から俯瞰して物事の全体感を掴む、ようは「マクロの視点」です。
上述していた、「高い視座」に近いものがありますが、微妙に違います。

蟻の目とは、蟻のように小さな目で、目の前にある物事の状況を見る、ようは「ミクロの視点」です。
「低い視座」に近いと思ってしまう人がいるかもしれませんが、全然違います。

魚の目とは、「潮の流れを読む」、つまり時代や市場の流れ、トレンドの変化に着目する視点です。
「魚眼レンズ」からイメージして、世の中を今までに無い切り口から見る場合に使うたとえとして、言及されることもあります(こっちを超音波視覚的な感じから、コウモリの目、と言ったりする人もいますね)。

上であげた、A君、Bさん、C氏に、この3つの目があったらどうでしょうか?
A君が、鳥の目、自分を客観的に見る視点を持てば、態度を改め、応援し協力する人をたくさん得られるかもしれません。
Bさんが、蟻の目、ひたすら足を動かし、汗をかき、顧客を獲得する貪欲な動き方をすれば、マーケットの声をたくさん拾え、サービスのブラッシュアップにつなげられると共に、実際に顧客を獲得できるようになるかもしれません。
C氏が、魚の目、時代の変化を掴み、これまでの現場経験を振り返り、今必要なことを再度考え直せば、もしかしたら業績悪化を防ぐことができたかもしれません。

この「鳥の目」「蟻の目」「魚の目」の3つの目は、「視点」の話であり、「高い低い」の話はしていません。
「視座は高い方がよいが、それだけではダメで、この3つの目を併せ持つことが重要だよ」というのが私の提案です。

最後に

以上、「視座が高い」ことだけでは不足があり、「鳥の目」「蟻の目」「魚の目」の3つの目を併せ持つことが必要という、「視座の高さ」に関する私の提起でした。

最後に、視座の高さだけでは不足があるよ、と言いつつ、視座を高めるトレーニング方法を一つ紹介します。

私が卒業したビジネス・スクールでは、「もしあなたが、〇〇〇の社長だったら、どうしていくか?」というケーススタディを、約100本こなす課題が与えられます。
過去のケーススタディではなく、今実際に課題を抱えている企業を題材に、未来どうしていくか?をひたすら取り組むのです(「リアルタイム・オンライン・ケーススタディ(RTOCS)」と呼ばれていました)。
学生は2年間に渡り毎週毎週、他の講義の課題もある中、ハードシンキング、ハードシングスをすることになります。

お手軽に取り組めるトレーニング方法なので(全然お手軽じゃない)、興味がある方はやってみてください。

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マネジメント・リーダーシップ

マネージャーとはどうあるべきか?~チームの運用と部下の育成~

マネージャーに就任したあなた。
チームの重要課題が明確になり、方針も策定し、あとは実際に日々のチーム運営で成果を出すだけ。
というのに不安で一杯で仕方ありません。

マネージャー教育というものがほとんど行われないこの日本において、そんなマネージャーに向けて、マネージャーとはどうあるべきか?について解説していきます。

前半後半にわけて書いていき、今回は後半「チームの運用と部下の育成」についてです。

忙しい人向けまとめ

  • 安心感は「成果をだすことに集中できる環境」を作る
  • 褒める時は人前で、叱る時は1対1で
  • コーチングとティーチングは適切に使い分ける
  • 全員に高い人事評価をつけられるように、逆算でチーム運営を行う
  • 1on1はツールなので、絶対視しない

前回の概要

  • マネージャーの役割はチーム全体で「成果を出すこと」
  • マネージャーというポジションは多くの情報が集約される「砂時計のくびれの部分」、情報伝達のキーパーソンと言える
  • 「部下に尽くす」と自己変革(自己洗脳)を行うのが重要
  • 着任後、短い時間でチームをグリップする、グリップに時間をかけるとチーム運営の難易度があがっていく

マネージャーというものの例えについて、前回は「砂時計のくびれの部分」のようなものだと例えました。
マネージャーの所で、経営の情報と、現場の情報が交差する、情報伝達のキーパーソンとなるからです。

そして、マネージャーの最大の役割は、チームとして「成果をだす」ことだと書きました。
そのため副次的な役割として、次の役割を担う形になります。

  • 業績のコントロール
     チームの方針の策定
     策定された方針の遂行状況のチェック
  • 砂時計のくびれの機能
     経営・部長への報告
     部下への方針と情報の伝達
  • チームの運用と部下の育成
     部下の状態の把握と健康・モチベーション維持
     部下の育成、パフォーマンスの引き出し・引き上げ
  • 社内外との調整
     他部署や外部との交渉・政治

今回は、この役割のうち「チームの運用と部下の育成」についてです。

チームの運用と部下の育成

成果を長期的に出し続けていくために必要なことが、チームの運用と部下の育成がです。
このチームの運用と部下の育成について、次の点でポイントを解説していきます。

  • 安心感
  • 褒めと叱り
  • コーチングとティーチング
  • 人事評価と1on1

チームメンバーに安心感をもってもらう

前回の記事で書いた通り、マネージャーに就任した際には「自己変革」が重要になります。
それは、マネージャーは、チームのメンバーにとっては影響力が大きいポジションだからです。
管理職としては最下層に位置するポジションですが、「ノブリス・オブリージュ」の精神を、自主的にもった方がよい、と書きました。

そして、マネージャーがもつ影響力はチームの雰囲気も左右します。
成果をだすことに集中できる環境を作ることを、仕事の一つとして捉えましょう。
そして、成果をだすことに集中できる環境とは、「安心感」がある環境のことを指します。

安心感のある環境のポイントは次の3つです。

  • 明瞭明確な指示・伝達
  • 圧倒的な責任感
  • どっしりとした態度

仕事そのものに対しては、部下にその意味・意義を示し、やりがいをもってもらえるようにすることが必要です。
指示については、曖昧に伝えず、明確に言語化し、わかりやすく伝える方がチーム運営が円滑に進みます。
やるべきことが明確な状態は、迷いや不安を減らします。

失敗に関しても、チームや部下の失敗は、すべて自分の責任として捉えるようにしましょう。
不幸にも、働きの悪い部下がいて、明確にその人の責任であったとしてもです。
「何かおきてもマネージャーに守ってもらえる」という状態は、明確にメンバーに安心感を与えます。
ただし、失敗した人を放置するような「ぬるま湯」環境を作ることと混同してはいけません。
「ぬるま湯」は、最終的にはマネージャーに対する不信を招き、チームを崩壊させます。
ようは、守ることと叱ることは、両立できるということです。
褒め方・叱り方に関しては、次項で触れます。

また、辛いことがあったとしても一々、動揺していてはいけません。
マネージャーの気持ちの浮き沈みは、部下にも伝わります。
不安がっている人の指示を、安心して遂行できるでしょうか?
常に疲労を顔ににじませた人が、出世して社会に貢献したいと思うでしょうか?
あくまでも自分は成果を出すための装置だと考え、気持ちを常にフラットに保つよう、努めましょう。
常にフラットを自然体にでき、どっしりとしていれば、チームメンバーは安心します。

なお、ここで言っている雰囲気は、「成果をだすことに集中できる環境」のことをいっており、「雰囲気の良し悪し」については書いていません。
組織の雰囲気の良し悪しと業績には相関性がないことが、各種の研究でわかっています。
(ギスギスしていても、ひたすらに成果を求める環境であれば、業績向上には確かにつながりやすい。)
ですので、無理に仲良しこよしの環境を作る必要はありません。
ただ、せっかく同じ働くのであれば、雰囲気が良い方がいいのは確かなはずなので、どうせ「成果をだすことに集中できる環境」を作るのであれば、ついでに雰囲気も良くするように努めると良いでしょう。

褒めと叱り

褒められると人は喜び、叱られると辛い思いをする、のは説明をするまでもないでしょう。

とりあえず先に一番重要なことを書くと、「褒める時は人前で、叱る時は1対1で」です。
人前で褒められれば自尊心は高まりますし、逆に人前で叱られれば自尊心は傷つきます。

さて、成果を出していても、何も伝えられなければモチベーションは自然と低下していきます。
部下の能力や出した成果にあわせて、褒めていくことが必要です。
この際に、自分自身を尺度にしてはいけません。
あくまでもその人を基準に褒め方を考える必要があります。

過度な褒めは、薄っぺらさを招いてしまいますが、仮にそうなったとしても実害は少なく、褒めの難易度はまだ低いといえます。
褒められること自体は人を喜ばせるからで、難しいのは叱り方です。

叱りは、人によっては人格攻撃と捉えてしまうこともあり、大切なことであっても全く伝わらない場合があります。
人は基本的に変化を恐れる生き物なので、変えようとする圧力には自然と抵抗してしまいます。
自ら、自分を変えるような促しが必要です。
例えば、マネージャー本人の失敗談などを交えて、その叱りの対象について変化しないことのリスクを理解してもらうなどの工夫が考えられます。
ただし、これも人によって工夫の仕方は考えなければいけません。
「自分の失敗談を語る」というテクニックを知っていて、それを小賢しいと思う部下であれば、かえって反発を招く場合もあるからです。
どうすりゃいいねん。

ひたすら経験を積んでいくしかない、というのが一つの答えですが、比較的汎用性の高い叱り方のポイントはあります。
それは次の4つです。

  1. 事実関係の確認:動機が正しいミスであれば問題なく、そのミスについて部下に考えさせる
  2. 問題に至った原因の究明をさせる(責任追及は別の場所でやる、もしくは割り切ってやらない)
  3. それでも気がつかないのなら直接原因を伝える
  4. 最後に感情のフォローアップをする

コーチングとティーチング

仕事ができる部下を伸ばすのも大事ですが、パフォーマンスが低い部下を引き上げる方が、チーム全体の成果にはつながりやすいです。
そこで、コーチングとティーチングという手法が登場してきます。

コーチングとは、すでに対象者がもっているものを引き出すサポートのことで、
ティーチングとは、対象者がもっていないものを与えるサポートのことです。

つまり、相手のスキルやマインドセットに応じて、コーチングとティーチングを使い分ける必要があります。

スキル水準が低い人には、ティーチングが必須です。
世の中にはコーチングの書籍が多数あり、コーチングの習得に熱をあげるマネージャーも多いのですが、コーチングが適切に機能するとは限らない事は覚えておかねばなりません。
スキル水準が低い人に、コーチングをしても意味がないからです。
本人の中に、引き出すだけのスキルが無いのならば、なにも引き出せないのは想像すればわかるでしょう。

ある程度のスキル・経験があり、自走できる人はコーチングが機能するでしょう。
コーチングの心構えと禁止事項について、3つずつ示しておきます。

3つの心構え

  • 価値を認め、可能性を信じる
  • 秘密を守り、信頼を築く
  • コーチングですべてが解決できると思わない

3つの禁止事項

  • アドバイスや指示、提案
  • YES/NOで答えられる質問
  • 非難に聞こえる「なぜ?」という投げかけ

人事評価について

人事評価のそもそも論なのですが、全員に高い評価をつけられるようにチームを運営していくことが重要です。
つまり、誰かに対して低い人事評価を行う、ということ自体がマネージャーの責任なのです。
高い人事評価がつけられるよう、逆算でのチーム運営を行わなければなりません。

その、そもそも論がある上で書いていくと、人事評価の要諦は、あくまでも成果を基準に考えることです。
成果は、これまで出してきた成果と、これから出すであろう成果の二軸で考えます。

後者のこれから出すであろう成果の期待値が大きいメンバーは昇格させます。
部下の昇格に全力を尽くすのはマネージャーの役割の一つです。

人事評価の際に重要なのは、好き嫌いで評価しないという点です。
客観的に、自分の感情をおしころして判断しなければなりません。
好き嫌いでの評価は、上述した「安心感」の毀損を招き、信頼を失い、チームを崩壊させていきます。
また、明確に失敗をした部下に対しても、下手な温情は不要です。
下手な温情は部下の成長機会を奪うことに繋がりうるからです。

低い評価をださなければいけない場合には、人事評価のタイミングでいきなり伝えるのではなく、定期的に評価に関するコミュニケーションをとり、「低い評価」に関してサインを発信していくことが必要です。
本人は頑張っていたつもりでいて、いきなり低い評価を与えられれば、びっくりしますし、マネージャーに対して恨みや不信を抱いてしまうものです。
ただし、繰り返しになりますが、下手な温情は不要です。
今後の期待を中心に話をし、低い評価を前向きに捉えられるように努めましょう。

1on1について

1on1はベンチャー界隈を中心に流行ってはいますが、絶対性のあるものではありません。
辛辣に表現するのならば、1on1は「マネージャーのコミュニケーション能力の低さを補うツール」です。

実際に、1on1は有効でしょう。
しかし、常日頃から部下のことを気にかけ、その言動を見守り、業務の進捗を確認できているのならば、実は1on1はあまり必要がありません。
部下が成果を出したらその場で褒めれば良いですし、何かやらかしたのであれば即日フィードバックすれば良いだけです。
マネージャー自身の貴重な時間的リソースを奪うことも言うまでもありません。

これらを踏まえた上で、1on1というツールが自身にとって有効だと思うのであれば、やってみれば良いと思います。
1on1はあくまでもツールですので、使い方が適切ならば、適切に機能します。
(昭和なコミュニケーションと基本一緒で、使い方を誤れば害を生みますし、相手や環境を間違えなければ適切に機能するのです。)

1on1を実施する場合、どこか個室の会議室でやる、と決めずに、ランチでもいいし、おやつの時間にカフェでコーヒーすすりながらでもいいし、飲みの場でも良いでしょう。
自分自身と、相手にとってやりやすい場所と方法を変えるのが吉です。

まとめ

前回も書きましたが、ここまで書いてきたことは「高尚」なことで、実際に難しいことばかりです。
簡単にできるのならば、誰も悩みはしませんし、苦労はしません。
しかし、やりながら、失敗しながらトライ&エラーを繰り返していかなければ、スキルも経験も身に付きません。

ですので、大事なことは「全部を完璧にやる」ことではなく、「そうあろうと努める」ことです。

努力が必ず実るとは限りませんが、実った成果の背景には必ず努力があります。
身構えすぎず、自然体に、確かな日々を積み重ねていけば、開ける世界があるはずです。

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マネジメント・リーダーシップ

マネージャーとはどうあるべきか?~その意味と役割、やるべきこと~

ある日突然、部長に呼ばれたと思ったら「マネージャーを任せる」と伝えられました。
この時、あなたはどう考えますか?どうしていきますか?
マネージャー教育というものがほとんど行われないこの日本において、マネージャーについた方々に向けて、マネージャーとはどうあるべきか?について解説していきます。

前半後半にわけて書いていき、今回は前半「その意味と役割、やるべきこと」についてです。

忙しい人向けまとめ

  • マネージャーの役割はチーム全体で「成果を出すこと」
  • マネージャーというポジションは多くの情報が集約される「砂時計のくびれの部分」、情報伝達のキーパーソンと言える
  • 「部下に尽くす」と自己変革(自己洗脳)を行うのが重要
  • 着任後、短い時間でチームをグリップする、グリップに時間をかけるとチーム運営の難易度があがっていく

後半はこちら

マネージャーの役割

マネージャーというのは砂時計のくびれの部分のようなものです。
チーム運営上、方針を含む必要な情報が経営者や部長から伝達される(集約されてくる)ポジションであり(場合によっては自分で取りにいかなければならない、こっちの場合の方が多いかも)、そして、得た方針や情報をチームメンバー一人一人に、必要な部分に絞ってサイド伝達する必要があります。
そして、現場の情報を経営にあげる必要もあります。
つまり、マネージャーのところで、経営の情報と、現場の情報が交差する、情報伝達のキーパーソンとなるわけです。
「砂時計のくびれの部分」という例えのイメージが湧いてきませんか?

その「砂時計のくびれの部分」のポジションであるマネージャーの最大の役割、それはチーム全体で「成果をだす」ことです。
そして、「成果をだす」ために、チームを適切に運用しなければなりません。

そのため副次的な役割として、次の役割を担う形になります。

  • 業績のコントロール
    チームの方針の策定
    策定された方針の遂行状況のチェック
  • 砂時計のくびれの機能
    経営・部長への報告
    部下への方針と情報の伝達
  • チームの運用と部下の育成
    部下の状態の把握と健康・モチベーション維持
    部下の育成、パフォーマンスの引き出し・引き上げ
  • 社内外との調整
    他部署や外部との交渉・政治

ようは、チームとして成果を出していくために、具体的な実務からは卒業し、新しいステージで仕事に向き合う、ということです。

次項からは、マネージャーのポジションに着任したらすぐにやるべきことについて書いていきます。

マネージャーになったら即刻やるべきこと

意識の自己変革

まずは、自己洗脳してください。

マネージャーはチームメンバーのために尽くす、という意識を持つべきです。
マネージャーというポジションは、管理職としては最下層に位置するポジションですが、一般のメンバーにとってみれば、身近なだけで、あくまでも「上司」です。
高い地位についている人には、人々のために尽くす義務があります。
つまり、「ノブリス・オブリージュ」の精神です。

そして、一番距離が近い上司であるが故に、自然とメンバーにとっての「教師役」となる場合も多くなります。
あなた自身も、「あの人は自分にとっての人生の師だった」という人がいるかもしれません。
その時の「あの人」に、自分自身がなる可能性があるのです。
思い上がりでも構いませんので、自分の行動が部下たちの人生に影響を与えてしまう可能性もある、ということを意識し、部下たちの人生を良くするための、最大の支援者になるよう努めましょう。

また、常に有言実行であり、少なくとも自分が部下たちに言ったことは、自分自身が実行できなくてはなりません。
メンバーみんなにだけ求め、自分はやらない、となれば、信頼は当然に得られません。
スキル面においての不安があったとしても、必死に努力して、後から身に着けていけばよいです。
自分自身が体現していく、という意識をもって行動していきましょう。

これができるのであれば、必然的に次のステップ(部長への道)に進んでいくはずです。

チームのグリップ

次に、マネージャーというポジションとして何を成すのか?を決めていきます。

いわゆる「緊急ではないが重要なこと」について、何か最低1つは改革を起こす、と決めるのが良いでしょう。
そのためにチームメンバー全員との面談を実施していきます。

チームメンバー全員との面談によって、チーム全体の業務の流れと、一人一人の個性や考え方について大枠を掴みます。
業務の子細に入る箇所はメンバーに任せ、マネージャーは大枠を掴めばよい、という意識を持つのが肝要です。
(最近は、業務をやりながらマネジメントもするプレイングマネージャーがほとんどだが、それはマネージャーの本質ではない。)

メンバーたちの状況については、業務もそうですが、能力やモチベーション、体調、メンタルヘルス、家族の状況、そして将来やりたいこと・夢について、ばくっと把握します。
これらを知っていれば、コーチングやティーチングのやりやすさがあがる上、本人が不調のときに察知がしやすくなる、というメリットがあります。
プライベートな部分に入り込むので、無理に聞き出す必要はありませんが、聞けるのであれば聞いておいた方が、後々プラスになります。

なお、この際、(幸いにも)前任のマネージャーから引継を受けられた場合においても、あくまでも自分の耳で聞き、目で見て、判断するということが重要です。
これは、前任者が間違っている場合や抜け漏れがある場合もありますし、シンプルに前任者と自分は違う人間なので、やり方一つとってみても得手不得手がある場合も当然にある、ということです。

こうして、チーム全体の状況と、チームの方針と成すべきことを決めたら、部長に報告をします。
これは、なるべく早い方がよいでしょう。
この期間でこれだけのことをやる、とコミットし、期待値調整をしておけば、支援を得やすくなりますし、何かあった時の事故被害を軽減できる効果もあります。
社内政治の一種で、嫌う人もいるアクションではありますが、人間同士の付き合いなので怠けてはいけません。
この部長とのコミュニケーションは、定期的に行っていきましょう。
(なお、部長がダメだと思ったら、部長の上司、本部長なり執行役員とのコミュニケーションを密にしましょう。生殺与奪権をダメな部長一人に握らせておくのは危険です。)

そして、部長と握ったチームの方針と成すべきことを、チーム全体に共有したら、日々日々の進捗を追いかけていくフェーズに移行していくことになります。

最後に、チーム全体のことをグリップする上で重要なこととしては、早ければ早い方がよい、という点です。
人は慣れてしまったら、その慣れから逸脱する、つまりこれまでやってきたことを変えるのは心理的に拒否反応を示すものです。
これを変えるタイミングは、新任マネージャーの着任直後からわずかの期間だけです。
ここを逃すと、あとあとチーム運営のやり辛さがあがってしまうことは覚えておきましょう。

まとめ

これまで書いてきたことは「高尚」なことのように聞こえて、非常に難しいものであると受け止められてしまうかもしれません。
実際、難しいことです。

ですが、大事なことは、これをいきなり「全部完璧にやる」ことではありません。
「そうあろうと努める」ことこそが大事です。

マネージャーの頑張りは、部下たちに伝わります。
頑張っている人を応援したくなるのはあなただけではなく、部下たちもそうなはずです。

チームとはマネージャー一人の力によって作られるものではなく、自分自身も含めたチームメンバー全員で作っていくものです。
一人一人が、今は力足らずとも、成果と目標のために頑張り続けられるのであれば、自然とチームは出来上がっていくでしょう。

今回はここまでで、後半では「チームの運用と部下の育成」について書いていきます。

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