カテゴリー
ビジネスと心理学

改めて考える正常性バイアス~新型コロナウイルスはどこまで脅威か?~

新型コロナウイルスの拡大にあわせて「正常性バイアス」という言葉が広がっています。
どうも「軽視しすぎている」ということらしいです。
ここでは、正常性バイアスについて解説すると共に、より怖がるべきものがあるのでは?という話を書いていきます。

なお、ここ数日は新型コロナウイルスに関連して記事を書いていますが、当ブログでは医療系のブログを志向しているのではなく、あくまでもビジネス系のブログを志向しています。
それでは、なぜ新型コロナウイルスに関連した記事を書くのかというと、経済への影響度合いが極めて高いからです。
世の中に対して、早く経済が回復し正常化するために、冷静でかつ正しい情報を発信することが重要と考え、微力ながら現在の方針としています。

忙しい人向けまとめ

  • 正常性バイアスは、ネガティブな出来事を軽視したり無視したりするなど過小評価すること
  • 正常性バイアスは悪い事ではなく、人間の防衛機構の一種
  • 不都合な状況で正常性バイアスが働くと、最悪の事態に陥るリスクがある
  • 新型コロナウイルスは脅威だが、やはり人々は過剰反応をしている
  • 人々はただの風邪やインフルエンザに対して正常性バイアスがかかっている
  • 日常的に感染症に対する対策をしていれば、新型コロナウイルスは怖くないはず
  • 経営の現場でも正常性バイアスが見られ、クレームや事故、ハラスメント、過度なコスト感覚などで経営危機のリスクを高めている
  • 今の状況を教訓に、正常性バイアスに対して理解すると共に再考をすると良い

「正常性バイアス」とは?

自分にとって予期しない出来事に直面したり、都合の悪い情報を目耳にしたとき、どのような反応を示すでしょうか?
正常性バイアスにかかっていると、上記のようなシチュエーションの際、「ありえない」という先入観や偏見が働き、その予期しない出来事や都合の悪い情報を無視したり過小評価したりします。
つまり、予期しない出来事や都合の悪い情報を「正常な範囲内のこと」と認識するのです。

この文章だけ読むと、良くないことのように見えてしまうかもしれませんが、これは人間の防衛機構の一種となります。

何かネガティブなことがあるたびに、いちいち反応していては、脳のリソースが消耗しています。
精神的に疲れ、場合によっては鬱などになってしまうかもしれません。
つまり、正常性バイアスはネガティブなこと、つまりストレスに対しての防衛機構であり、精神の安定を図る心の作用なのです。

しかし、この正常性バイアスが、それこそ不都合な状況で働いてしまうと問題が発生します。

例えば、災害時です。
災害時に、「大したことない」と判断し、避難が遅れたらどうなるでしょうか?
結果論でしか語れない事ですが、場合によってはパニックを起こし、我先にと逃げ出した方が生存確率は高いかもしれません。
つまり正常性バイアスが非常時にはマイナスに働き最悪な事態を招く場合もあるのです。
矜持の問題ですが、それでも私はパニックを起こしたいとは思いませんけどね。

さて、それではこの正常性バイアスと新型コロナウイルスについて、どのような言説が出ているでしょうか。

感染症と正常性バイアス

メディア報道や各種ブログ記事を見ていると、「日本人は正常性バイアスにとらわれている。新型コロナウイルスを軽視しすぎている。」という言説を多々見かけます。
この言説の内、「日本人は正常性バイアスのとらわれている。」という部分に関してはアグリーできます。
どういうことでしょうか。

感染症は指数的に拡大する

まず、そもそもとして感染症というものがどのように拡大していくかを考えます。

厚生労働省「人口動態統計」より

この図表は、月別のインフルエンザの死亡者数推移です。
この図表の通り、感染症というものは、指数的に拡大する性質をもっています。
そのため、日々の報道で「感染者数が最多」「爆発的に拡大」とされていますが、感染症というものは、そもそも論として報道されているような動きをするものなのです。
なお、インフルエンザの感染者数推移は次の通りで、100万人~200万人となります。

感染症・予防接種ナビ「【感染症ニュース】インフルエンザ 推定患者数は約144,000人と5週連続して減少 全国の学校の休校の影響により流行は収束傾向となると予想」(2020年3月4日)より

一方、新型コロナウイルスの患者数(感染者数では無いことに留意)は4月10日現在で約3,500名(死亡者数は88名)となっています。
拡大の推移を見ている限り、ちょうど爆発的に急拡大していく右肩あがりのふもと部分にいると考えられます。
そしてそれでも、まだ例年のインフルエンザの推移よりは脅威度が低いのです。
なお、インフルエンザは予防接種が普及しており、治療薬も確立していることを併せて言及します。

あくまでも私の感覚で述べるならば、人々は新型コロナウイルスに対して過剰に反応しており、ただの風邪やインフルエンザに対して正常性バイアスがかかっている、と感じるのです。

免責

誤解の無いように述べると、私は脅威度が低いから良い、もっとストレートに言うと人命を軽視したいわけではありません。
感染拡大が抑制できているのも、政府や医療関係者の多大なる努力の成果であることは認識しています。
また、意識が高まったことによる、人々の行動の変容の結果も、一定影響していることも推測しています。
私の主張としては、「新型コロナウイルスは全く怖くない」ではなく、「警戒の設定が過剰」「より怖がるべきものがある」です。

正常性バイアスにとらわれるな~ただの風邪やインフルエンザをもっと怖がれ~

上述の通り、インフルエンザの感染者数は100万人から200万人と、膨大な数にのぼります。
そして、こちらの記事でも書いている通り、肺炎による死者数は10万人と非常に大きな人数です。

繰り返し主張をすると、肺炎につながりうるただの風邪やインフルエンザを、人々はもっと怖がるべきなのです。
そして、私が見る限り、例年、このただの風邪やインフルエンザに対して、怖がっている人を目立って見かけません。
新型コロナウイルスの脅威をわかっているのであれば、普段日常から、ごくごく身近にある感染症により警戒をすべきなのです。

政府の初期行動に関しては言いたいことは諸々あるにせよ、アンコントローラブルな要素が大きいので脇に置きます。
個人で必要なことは決まっています。

  • 外出後の手洗いうがい
  • 公共施設や商業施設に設置されている消毒液の使用
  • 感染症が拡大しやすい時期のマスクの着用と使用したマスクの廃棄
  • 逆に感染症が拡大しづらい時期での感染症を気にしない生活(過度な衛生対応はかえって免疫力を低下させる)
  • 免疫力向上のための適度な運動
  • 免疫力向上のための栄養バランスのとれた食事
  • (インフルエンザに限定して)予防接種

こういった当たり前の行動をどれだけの人がとっているのでしょうか?
身近な脅威に対して正常性バイアスが働いていませんか?

そして、正常性バイアスは感染症だけでなく、経営での現場でも起きています。

正常性バイアスは経営にも悪影響を及ぼす

事業を起こし、会社を経営している方は、非常に頭の良い方が多いです。
(もちろん、微妙な方も大勢いるのですが、相対的に賢く尊敬できる人が多いよね、ということ。)
そんな頭の良い方たちでも正常性バイアスにとらわれている場合を多々見受けられます。

クレームや事故を過小評価していないでしょうか。
1つのクレームを軽く扱った結果、SNS上で急拡散し、工場の一時閉鎖にまで陥った食品メーカーがありました。
作業環境が危ない状況を放置した結果、従業員が死亡する事故が発生し、廃業に追い込まれた事業所もありました。

社内で起きているハラスメントを放置していないでしょうか。
いわゆる「ブラック」という言葉が一般化し、企業内のハラスメントも急拡大するようになりました。
訴訟をうける企業や関連するニュースは珍しくない社会になりました。
先日も、とある有名企業の人事課長によるハラスメント問題がSNSを中心に急拡大していました。

災害や犯罪になんて早々巻き込まれない、コスト増になると思って、保険未加入という状況になっていないでしょうか。
個人情報を取り扱っているのに、漏洩保険に入らず、一回の個人情報流出事故で倒産になった企業がありました。
新設した社屋が火災に巻き込まれ、保険に入っておらず多大な損害をうけた企業がありました。

トータルコストを減らせるからと言って、固定費を増やしていないでしょうか。
固定費が増えれば売上が減少した時に、赤字のリスクが大幅に高まります。
今回の新型コロナウイルス騒動においても、固定費が高い、製造業や飲食業の多くが危機的状況に陥っています。

リスク管理や経営管理は、経営におけるディフェンスの性格が強いものになりますが、これを軽視することは正常性バイアスにとらわれている可能性があると理解するべきでしょう。

怖れるべきものを怖れる、怖れなくても良いものを怖れないようにするために、改めて今の状況を教訓に正常性バイアスについて再考をするのが良いでしょう。

カテゴリー
マネジメント・リーダーシップ

「悪者探し」はほどほどに~責任追及より原因究明が大事~

何か事件や問題が発生すると、責任追及を行いたいという処罰感情が生まれるのが人の心です。
今も、新型コロナウイルスの影響で、一部大学に対する批判や、別の会社での感染デマなど、悪者探し、魔女狩りの様相を呈しています。
ここでは、責任追及と原因究明の両方が大事で、バランスが重要だよ、という話をしていきます。

忙しい人向けまとめ

  • 何か事件や問題が発生した時に行われるのが、責任追及と原因究明
  • 責任追及はネガティブなイメージがあるが、原因究明に役立ち、組織のモラルや規律維持に役立つ
  • 原因究明の方が比重としては大事で、再発防止につなげなければいけない
  • 責任追及と原因究明の間には矛盾が存在する
  • 責任追及に比重が傾くと、隠ぺいのリスクをはじめ原因究明の妨げになる
  • 原因究明につなげる責任追及のためには心のハードルを下げてあげる必要がある
  • ようは、責任追及と原因究明のどちらも大事で、バランスが重要

責任追及よりも原因究明がしたいし、現在進行形の話なら問題解決を優先したい

冒頭に書いた通り、先に結論を言うと、責任追及も大事だし、原因究明も大事で、ようはバランスの問題、となります。
まず、一般的な理解と、そこから原因究明、責任追及のそれぞれの重要性を解説します。

責任追及と原因究明の一般的な理解

ビジネスにおけるマネジメントの世界では「責任追及は無意味だ」という考えが基本になっています。
理由としてはシンプルで、あくまでも発生した事件や問題に対して、同じことが起きないよう、再発防止を行いたいからです。
また、発生した事件や問題が現在進行形の場合は、再発防止のための原因究明のための時間も惜しく、まずは問題の対処・解決を図りたいからです。

そのため、一定程度、仕事ができる人は、「責任追及は無意味だ」と考えます。
しかし、この理解は不十分で、あくまでも責任追及と原因究明とのバランスが大事で、比重を原因究明に偏らせるだけ、というのが正確な理解になります。

責任追及にこだわる人がいますが、それは論外なので、いったんこの場では話題にあげません。

原因究明の重要性

原因究明の重要性は言うまでもないでしょう。
発生した事件や問題の再発防止のため、既存施策の改善点の発見や、新しい対策の導入が必要になります。
また、原因と対策に関する情報やノウハウを組織内で共有することにより、同種の事件や問題の発生を防ぐことが望めるようになります。

責任追及の重要性

責任追及はネガティブなイメージがありますが、これも重要です。
重要な理由は次の4点になります。

  • 純粋に原因究明の一助になる
  • モラルの維持・向上
  • 組織不信の防止
  • 最悪の事態におけるリスクヘッジ

純粋に原因究明の一助になる

まず、責任追及が原因究明の助けになりうる、という点です。

責任追及は故意(わざと、意図的)なのか、過失(わかるはずなのに、不注意をした)なのかを明確にできるプロセスです。
この故意なのか過失なのかは、原因究明につながります。

ですので、責任追及自体が原因究明のプロセスの一つである、という点は理解した方が良いでしょう。

モラルの維持・向上

故意や過失に関して調べ、責任の所在が明確になることにより、組織としてのモラルを保つことにつながります。
つまり、適正な処罰が行われることにより、これが抑止力となって再発防止につながる要素にもなります。
過度な責任追及は組織を委縮させますが、免責が過ぎると、逆にモラルの低下にもつながります。

組織不信の防止

例えばですが、何か問題を起こした社員がいて、この方が免責された、不問だったとします。
この社員が社長のお気に入りだった場合、他の従業員から見たら「あいつは社長のお気に入りだから許されたんだ」と受け止められる可能性があります。

別の例を考えて、何か問題を起こした社員がいて、この方が周囲の人たちから好かれていない方だったとします。
この場合、問題を起こした社員の尻ぬぐいを周囲の人たちが行ったと受け止められ、組織内で処罰感情が生まれます。
この時に、問題を起こした社員が免責された、不問であったら、どのように受け止められるでしょうか?

どちらも、一定の処罰を行わないと組織不信につながりかねないのです。

最悪の事態におけるリスクヘッジ

加えて、最悪の事態が起きた場合、会社として従業員に対して損害賠償を請求し、組織としての責任を一部切り離すことにもつながります。

ようは、責任追及は組織統治における重要な機能であり、大事なのは責任追及と原因究明のバランス、さじ加減なのです。
そして、バランスが故に、この2つには悩ましい矛盾が存在します。

責任追及と原因究明の間に横たわる矛盾

もう一度確認すると、事件や問題が発生した際、一番やりたいのは再発防止、つまり原因究明です。
しかし、責任追及も行われないと何が起きるかというと、組織統治上の問題、モラルの低下や組織不信などが起きえます。

では、責任追及のための調査を行うと何が起きるでしょうか?
それは、再発防止のための原因追及の妨げになりうる可能性がある、ということです。
リソースの問題で、責任追及に重きが置かれると、原因究明の調査に抜け漏れが発生する可能性がありますが、重大な妨げは「隠ぺいのリスク」です。

隠ぺいのリスク

普通の人は、「自分のせいにはされたくない」という感情を持ちます。

責任追及をされると、必要な情報を提供しない、つまり黙秘であったり、ひどい時は責任逃れのために嘘の情報を話す可能性があります。
正直に、正確な情報を話してくれれば原因究明に多いに役立つはずの情報が得られない可能性があるのです。

心のハードルを下げてあげないと、正直に、正確には話をしてくれないのが人間です。
最終的に有効な再発防止につなげるためには、故意や重過失でなければ、それが責任の対象者であっても協力的ならば一定の優遇が必要でしょう。
(これがいわゆる「司法取引」というやつですね。)

ルール(就業規則)の考え方

具体的な処罰のルール(就業規則)の考え方を見てみます。

誰でも過ちはあるので、故意や重過失でなければ、初回は協力の度合いに応じて免責をするような設計が有効です。
就業規則内の罰則規定に関しても、そのポリシーを明記すると良いでしょう。
問題を繰り返した場合に処罰するフローを採用すれば、モラル低下や組織不信を防止することが可能になります。

まとめ

これまで見てきた通り、責任追及も原因究明のどちらも大事であり、あくまでバランスが重要です。

ここ最近を含めた過度な悪者探し、魔女狩りには全く意味がありません。
しかし、「責任追及は無意味だ。」という意見も視点が欠けており、正す必要があります。

状況やタイミングによって、どちらかに偏らざるをえないことはあるかとは思います。
そのような場面においても、責任追及と原因究明の目的や効果を意識し、混同しないようにしましょう。

カテゴリー
フェルミ推定・ロジカルシンキング

ゼロリスク症候群から脱却しよう~大事なのは定量思考~

世の中には、リスクを過剰に評価するあまり、判断をあやまる人が大勢います。
その結果論として多大な損失を被るという事例も多くあります。
ここではゼロリスク症候群に脱却の方法とあわせて解説していきます。

ゼロリスク症候群とは

ここで言うリスクとは、一定程度、危険が発生する確率が予測できるリスクや、危険の発生確率が読めない不確実性も含み、まとめてリスクと呼ぶことにします。

リスクは怖いです。
損をするのは誰しもが嫌がりますから、当然の話です。
そのため、リスクを低減するための活動は当たり前に行われます。

リスクがおきる可能性を100%から10%に減らすエネルギーと、10%から1%、1%から0%に減らすエネルギーをそれぞれ比較すると、どうなるでしょうか。
当然、下記のように、リスクを減らそうとすればするほど、必要なエネルギー、つまりコストが高くなります。

1%から0% > 10%から1% > 100%から10%

あくまでも理性で物事を考えれば、どこかで割り切って考え、意思決定を下す必要があります。
しかし、人間という生き物は不思議なもので、コストを度外視してゼロリスクを求める傾向があります。
リスクの絶対値、つまり期待値を見ず、小さなリスクの割合を更に減らすことを求める傾向があるのです。
特に、1%から0%の領域にこだわる点が指摘できます。

リソースが無限にあり、コストをいくらでもかけられるのであれば、リスクは0%に近い方が良いでしょう。
しかし、現実社会で0%のリスクなど存在しませんし、求めても意味がありません。
それでも人間は0%のリスクにこだわってしまうのです。

それにより、チャレンジをしないことにより幸せな人生を送れなかったり、既存事業だけにしか投資しない会社が衰退したり、エネルギー政策においてポートフォリオを誤り環境負荷を高めたり、感染症において対策を誤り間接的被害を広げたりするのです。
つまり、0%のリスクにこだわることは社会に対して多大なコストをかけてしまうのです。

この、本来の目的を忘れて、手段が目的化してしまい、0%のリスクにこだわることを「ゼロリスク症候群」と呼びます。
リスクは正しく認識し、対処する必要があります。

どういう要素に人はリスクを感じるのか?

そもそもとして人は、どのような要素や状況に対してリスクを感じるのでしょうか?
『「ゼロリスク社会」の罠 「怖い」が判断を狂わせる (光文社新書)』という書籍の中で解説されていた研究内容によると、人々はリスクを感じる10の認知因子があるということです。

10のリスク認知因子事例
(1)恐怖心恐怖により発生確率が低いことに対してリスクを過剰評価する
(2)制御可能性自分でコントロールできないことのリスクを過剰評価する
(3)自然か人工か添加物が含まれた食品を怖がり、自然の食べ物を好む
(4)選択可能性選択肢が少なかったり選べないとリスクを過剰評価する
(5)子どもの関与子どもなど自分の親族が関与するとリスクを過剰評価する
(6)新しいリスク新型コロナウイルスなどの新しい脅威を過剰評価する
(7)意識と関心メディアによる報道などによりリスク評価を誤る
(8)自分に起こるか自分が損失をうけるリスクを過剰評価する
(9)リスクとベネフィットリターンがあるリスクはリスクを過少評価する
(10)信頼リスクの説明をする人に対する信頼が低いとリスクを過剰評価する
10のリスク認知因子

直近の新型コロナウイルス騒動に照らし合わせて考えると、非常に当てはまります。

  • 恐怖心:感染し、最悪死に至る確率を考えると、その確率は非常に低い
  • 制御可能性・選択可能性:どうしてもリモートワークができない場合に感染リスクを制御しづらい
  • 新しいリスク:正に該当
  • 意識と感心:メディアにより繰り返し繰り返し報道されている
  • 自分に起こるか:自分が感染し、多大な健康被害をうける可能性がある
  • 信頼:名だたる大企業が率先してリモートワークに対応するなどしている

この通り、10のリスク認知因子の多くに当てはまっているのです。
インフルエンザなどでは多くの人がリスクを過小評価している点を考慮すると、「意識と感心」、つまりメディアに大きな原因があることが推測されます。

このように、どのような要素や状況に対して人がリスクを感じるのかがわかれば対策のしようがあります。

定性思考から定量思考へ

上述、10のリスク認知因子別に、どのようにリスクに対して考えていくかをまとめました。

恐怖心

リスクの発生確率を定量的に把握し、冷静に見極めましょう。

飛行機が墜落することを怖がる人がいたとしましょう。
行機が墜落する確率は0.0009%と言われています。
一方、自動車関連の交通事故に遭遇する確率は1年で0.5%程とされています。
飛行機を怖がるより、日常的に交通安全に気を配るべきです。

雷にうたれることを怖がる人がいたとしましょう。
生涯のうち、雷にうたれる確率は0.0000001%です。
心配しても仕方がありません。

制御可能性、選択可能性

リスクをコントロール下に置くか、選択肢を増やすか、気にしないと素直に割り切りましょう。

アンコントローラブルな事象は世の中たくさんあります。
アンコントローラブルなことに気を取られても意味がありません。
この領域はあくまでも、どれだけのリスクがあるのか、定量的把握するにとどめて、あとは割り切りましょう。

それ以上に、リスクを自身のコントロール下におき低減活動を図れたり、選択肢を増やし、よりリスクが少ない方法をとれる領域にフォーカスすべきです。

自然か人工か

天然の物は安全で人工物は危険、という考えは捨てましょう。

これは特に食品やエネルギー問題で顕著です。
天然の植物にも毒を持つものは多くありますし、肉や魚介類には寄生虫がいる場合や、純粋に食中毒リスクもあります。
うま味成分を、「グルタミン酸ナトリウム」と聞いたら、突然拒否反応を示す人もいますが、これはただの無知、化学アレルギーです。

また、安全なものであっても摂りすぎれば健康被害を起こす場合があります。
大事なのは、どれだけ摂らねばならないのか、どれ以上は摂ってはいけないのかを定量的に把握することです。

子どもの関与

気持ちはわかりますが冷静になりましょう。

私も人の親なので、重々理解はできるのですが、大事なのは定量的な情報です。
感情に左右されて、判断を誤るのは愚かです。

新しいリスク

確率が読める部分にフォーカスして対処し、読めない部分は素直に割り切りましょう。

確率が読める部分に関しては、冷静のその確率を定量的に把握し、そこにフォーカスしましょう。
確率が読めない部分は、気にしても仕方が無いので、素直に割り切りましょう。
制御可能性、選択可能性と同様の考えです。

意識と関心

メディアの報道や流行は偏っていると認識しましょう。

繰り返し報道されている、人々が盛んに言っている内容であっても、それが真実であったり、本当に重要なこととは限りません。
常に偏っている、間違っている、という前提にたって、溢れる情報に接するようにしましょう。

自分に起こるか

むしろ積極的にリスクテイクをすべきです。

特にビジネス領域に関して言えることですが、虎穴に入らずんば虎子を得ず、です。
チャレンジなしに成長や成功はありえません。
とれるリスクは積極的にとり、リターンの獲得を狙うべきです。

リスクとベネフィット

リスクとリターンのバランスを冷静に、定量的に把握しましょう。

ベネフィット、つまり利益に目がくらみリスク判断を誤ることが無いようにする必要があります。
どれだけのリスクがあって、それに対してどれだけのリターンが得られるのか。
このバランスを評価したうえで、リスクテイクするのか否かを意思決定するようにしましょう。

信頼

誰が言ったか、ではなく、何を言ったか、で判断するようにしましょう。

自分が信頼する人であっても間違える可能性があります。
何を言ったか、が重要です。
何とか博士とか、有名な芸能人とかの言っている事も基本的に疑ってかかる必要があります。
リスクに対する説明が、一個人の経験や推測によらず、あくまでも事実に基づいた定量的なものなのかが重要です。

定量思考を身に着けよう

これまで書いてきた通り、リスクというものは0%にはできません。
繰り返し書いてきましたが、大事なのはリスクを定量的に把握することです。

何がどれだけ危険なのか?
リスクを下げる、もしくはリスクを一定のラインに維持するには、どれだけのエネルギー、つまりコストを投下する必要があるのか?

ゼロリスク症候群に陥っている人は、どうしてもリスクはある、ということにこだわってきますが、そこを気にしても仕方がありません。
感情的にリスクを忌避するのではなく、正しくリスクを評価し、とれるリスクはとりリターンを得ていくべきです。

繰り返しますが、大事なのはリスクを定量的に把握すること、つまり定量思考です。

カテゴリー
フェルミ推定・ロジカルシンキング

なぜ外出自粛をしない高齢者に「若者はダメだ」と言われるのか?~素敵に年をとるために~

社会が不安に陥っている中、その不安が世代間のいがみあいに飛び火しています。
テレビをはじめとしたメディアは「若者が外出自粛をしない」と報道し、一方、データは「高齢者こそ外出自粛をしない」ことが明確に示されています。
この現象を、古今東西で言われている「最近の若者はダメだ」と絡めて解説すると共に、どうすれば素敵な尊敬される年の取り方ができるのか考えていきます。

忙しい人向けまとめ

  • メディアでは外出自粛を行わない若者に対して批判する報道があふれている
  • 事実は、若者より高齢者の方が外出自粛を行わない行動をとっている
  • つまり、若者の方が模範的な行動をとっている
  • 高齢者には、自己評価が高いと他者評価が低くなる、という心理的な効果がある
  • さらに、記憶に対しても、自分たちに都合が良いようにバイアスがかかる
  • そうならないためには、心理的な効果があることを知る、事実を元に考える、視点を広くもつ、といった努力が必要

ここ最近のメディアの報道

まず最初に、ここ最近のメディアの報道をピックアップします。

そのうえで「若い元気な方々がウイルスを持っているか全然わからないままに、ライブハウスなどの密閉した空間に、密集し、密接に寄り合うという3つの条件が重なると感染が広がる傾向がある」と述べ、特に若者に対し、不要不急の外出を控えるよう呼びかけました。

NHK 「特に若者は控えて」東京都 不要不急の外出自粛を呼びかけ(2020年3月28日)

テレビ離れをしている若者にとって新型コロナウイルスはどこか他人事のようだった。都立学校の多くは5月のゴールデンウイーク明けまで休校措置が延期となり、都内大学の多くも同様の対応だという。多くの若者が不要不急の外出を止める気配はない。

文春オンライン コロナもかまわず渋谷・原宿に溢れる若者たち「バイトがないから」「春休みが超長くて」「免疫あるし」(2020年4月3日)

都内の大学に通うハルカさん(20、仮名)はそう言って、「結局死なないし」と笑う。3月中、大学は春休みシーズンだ。友人同士でオールでカラオケをしたり、シーシャ(水タバコ)バーに集まることもよくあるという。「シーシャって一台を数人で共有しますし、モロ濃厚接触」だが、気にする人はいないそうだ。

ビジネスインサイダー コロナ危機に大学生からは「飽きた」。“自粛疲れ”若者との意識格差どう埋める?(2020年3月25日)

女優の本田翼が4日、自身のYouTubeチャンネル『ほんだのばいく』で「3分半、私に下さい。」というタイトルの動画をアップロードし、特に若者に向けて新型コロナウイルス感染拡大防止に向けた声かけを行った。本田は「今なら空いているから行こうとか、そういう気持ちで外に出ているのを聞いてがくぜんとしました」と軽はずみな気持ちで外出している人々の状況に驚きの様子を見せた。

ハフィントンポスト 本田翼さん、外出する若者に「がくぜんとした」 新型コロナ感染拡大防止に向けて声かける(2020年4月5日)

加えて、巣鴨の商店街の様子をうつした報道では、70代の男性が次のように語っていました。
「若者だけ家にいてくれるとありがたいと思うよ。だって若者いなきゃ感染しないんだから。」

このように、若者が如何に外出自粛をしないか、最近の若者はダメだ、という論調で報道されています。

それでは、客観的な事実を次に示します。

外出自粛をしないのは高齢者~これは事実です~

ここで示すデータは、東京都にて大規模な外出自粛が要請された3月27日~29日に行われたアンケート調査を集計したものです。
クロス・マーケティング社が行った調査で、2,500名の20歳~69歳の男女を対象にWeb上で行われました。

調査項目は、商業施設への買い物といった必要性の高い外出から、家族との外食、スポーツをする、といった不要不急性の高い項目に続き、友人付き合いからテーマパークや遊園地に行くまでの明らかに不要不急な8項目で調査が行われました。
次のグラフは、明らかに不要不急な外出8項目の年代別平均値になります。

クロス・マーケティングの調査よりMirizeRocketが作成

このグラフの通り、20代30代の若者と、それに加えて40代の中年層も明らかに外出を控えていることがわかります。
不要不急な外出を行った20代~40代は約14%です。

一方、不要不急な外出を行った50代は約20%、60代は約28%と、若者・中年層に比べて非常に多い数字が出ています。
特に、高齢男性が外出自粛を行わない傾向があり、加えて60代になると男女関係なく外出自粛をしない傾向が出ています。
その数、60代の約3人に1人が不要不急の外出をしているのです。

それでは、数字としては明らかに若者の方が高齢層より、外出自粛を行う模範的行動を行っているにも関わらず、「最近の若者はダメだ」と言われてしまうのでしょうか?

なぜ、「最近の若者はダメだ」と言われるのか?

免責~高齢層批判やメディア批判をしたいわけではない~

ここでは、別に世代間闘争をあおりたいわけでも、高齢層を批判したいわけでも無いことはご承知おきください。
あくまでも、「なぜ、このような現象が発生してしまうのか?」を知り、その理由・原因を自分自身のあり方に反映させ、自分自身の人生をより良くしていくことを目的としています。
客観的な事実から、どうしてもメディアや高齢層に対する批判的論調になりやすくなってしまうのは致し方ないのですが、それは決して主旨ではありません。

加えて、テレビや雑誌のようなメディアの購買層は主に高齢層に偏るため、どうしても顧客の意向を汲んだものにならざるを得ないのは、商業的にそうなので、それも致し方ないと考えています。
ですので、「なぜ、このような現象が発生してしまうのか?」に対する解として、メディアのあり方に言及することも行いません。
あえて一点だけ触れると、メディアのあり方を踏まえて、しっかりと情報リテラシーを高めて、自己防衛をしていこう、という点だけです。

若者は高齢層よりモラルが高い

まず、事実の再確認ですが、上述の通り若者は高齢層よりも外出自粛を行う、といった、都の要請に対して従順で、かつ模範的な行動をとっています。

若者が高齢層よりモラルが高く、模範的な行動をとるのは日本の若者に限らず海外でも同様です。
今回の騒動とは別の調査にはなりますが、アメリカで行われた1万人以上を対象とした大規模調査では、性行動や飲酒・喫煙、非行行為などが、昔の若者より、今の若者の方が明らかに少ない、という調査結果が出ています。

これは、非行性の高い行為に限らず、読書のような模範的行為も同様です。
最近の若者は本を読まない、活字を読めない、と良く批判されますが、調査結果からは、30歳未満の若者は中高年層よりも本を読んでいることが示されています。

明らかに今現代の若者は、非行性の高い行動をとらず、模範的行動をとっているのです。
つまり、若者のモラルは高いのです。

高齢者には若者をダメだと思う心理的効果がある

カリフォルニア大学の調査が非常に興味深いです。
調査の結果から、「自己評価の高さ」が「若者評価の低さ」につながっていることが示されました。

のべ約4,000人の高齢者に対して行われた実験で、まず「自己評価」が行われました。
その後、「若者に対する評価」を行う、というものです。
この結果、「自己評価の高い」高齢者は、若者に対して低い評価を行っていました。

また、「読書を楽しんでいた」という高齢者は、「若者は本を読まない」と評価する傾向が強く、加えて「自分たちの世代はみんな本を読んでいた」と認識する(記憶している)傾向が極めて強いことが示されました。
つまり、記憶に対して明らかに誤ったバイアスがかかっているのです。

また、IQテストを絡めた調査も行われました。
IQテストでは、その結果は無視され、被験者にランダムでスコアが提示されました。
その結果、ランダムで「低い結果」が出た高齢者は、若者を低く評価しない傾向が出ており、逆に実際のスコアに関係なくランダムで「高い結果」が出た高齢者は、若者を低く評価する傾向が出ていました。

つまり、自己評価が高いと他者評価が低くなる、という心理的な効果があるのです。
さらにその心理的な効果には、記憶に対するバイアスも加わってしまうのです。

若い人たちが知るべきこと

私は幸いにも、素敵で尊敬できる高齢者の知り合いが多くいます。
若者を尊重し、あくまでも実力や実績を元に正当に評価するような方々です。
(それ以上に、そうでない高齢者も多く見てきましたが。)

この方々には、(全くゼロではないでしょうが)上述のような心理的な効果が見られません。
つまり、自分自身の努力により、心理的効果から身を守り、バイアスに縛られないことが可能になるはずなのです。

そのために必要なこととして、まずは自己評価が高いと他者評価が低くなる、さらに記憶に対してもバイアスがかかる、という事実を知りましょう。
事実を知っていれば、望ましくない行動を自分自身がとってしまった時に、反省をすることができる(はず)です。

また、常に事実をベースに考えることが重要でしょう。
客観的な事実をもって考えれば、そうそう判断を間違えることはないはずです。
現実に、事実ベース(ファクトベースとも言う)で行動できていない人が多く、世の中で混乱が起きています。
そのような行動を自分自身がとらないようにするために、事実ベースでの思考を身につけましょう。

視点を広く持つ事も重要です。
視座を高く持つだけだと、低い立場の人たちを見下しがちです。
立場や視点が、人によって全く異なる、ということを常に認識していれば、視座や立場の高低で人を判断しないはずです。

人は必ず年をとります。
そうであるならば、素敵で尊敬される老人になりたいものです。
努力でそうなれるならば、努力をするしかないでしょう。

カテゴリー
生産性・業務効率化

寂しさは組織にも人にも良くない~リモートワークでの孤独の解消~

リモートワークを行う人が急激に増えてきました。
そのような中、ちらほら聞くのが「寂しい」という言葉です。
今回は、孤独は組織のパフォーマンスを下げるし、寂しさを感じている人の健康を害することにもつながることを解説していきます。

忙しい人向けまとめ

  • 孤独感は認知機能や行動力の低下を招く
  • どの立場・階層に関わらず組織パフォーマンスを低下させる
  • 風邪様症状の悪化をはじめ、心身への悪影響にもつながる
  • 寂しさへの心身含めた感受性は遺伝子によって左右されると示唆されており、慣れなどで解決できない可能性がある
  • 他者との積極的なコミュニケーションが重要、会議では雑談もする
  • 運動も忘れずに、肥満対策にもなり、気分も向上する

孤独を感じているメンバーが増えると組織パフォーマンスが低下する

孤独という分野は、特に宗教領域を中心に古来より研究(探求)がされてきました。

科学的な研究においては、例えばシカゴ大学の研究によると、孤独を自覚した人において、明確に認知機能や行動力が低下することが示されていました。

ACADEMY OF Managementに寄せられている研究においては、従業員の孤独感が増すと、タスクの処理やチームの中での役割、従業員間での関係性構築能力が低下するという研究も報告されています。
こちらは、約800名の管理監督者を含む規模の大きめな研究であり、職場における孤独感が、組織パフォーマンスに与える悪影響が大きいことに対する、確からしいエビデンスと言えます。

これは、従業員の中でも立場の低い方に限らず、CEOのような最高位の役職者についても同様だという研究がでています。
組織内の立場が上位になっても必ずしも孤独が解消される、つまり社会の中でのつながりができるかというとそうではない、というのです。
最高位の役職者の半数が孤独を感じていて、そのうちまた半数が孤独感が原因で組織パフォーマンスに影響を与えているようです。

孤独は健康にもよくない

孤独に対する研究は、認知機能に関するものや、組織パフォーマンスに関するものだけでなく、健康をテーマにしたものも多くあります。

米ライス大学における研究では、孤独を感じる状況において、風邪を引いた場合、その症状が悪化することが示されました。
こちらはホテルにおける隔離状況で、人為的に風邪様症状を起こしており、実験の品質としては非常に高いものになります。

風邪が悪化するような“まだ”軽微な悪影響だけではありません。
孤独は、喫煙や飲酒の増加などの自己管理能力の低下や、うつ症状の発症、自殺願望を抱くなど、人生に関りうる深刻な影響報告されています。
孤独な人は、アルツハイマー様症状を発症する可能性が、通常の人の2倍以上であることも示されています。

孤独に対する耐性は遺伝子に決まっている可能性

一方、ひとりでいても平気な人たちもいます。
この違いは何でしょうか?

英ケンブリッジ大学の研究によると、孤独による心身への悪影響は遺伝子によって左右される可能性が示唆されました。
こちらは約50万人分の遺伝子バンクをベースに研究されており、まだ基礎的な研究ではありますが、現時点における最高クラスの基礎研究といえます。

つまり、孤独は慣れやトレーニングによって克服できない可能性があるのです。
まだ研究は必要ですが、寂しいのが駄目だという人が、孤独に対する耐性をあげる努力をすることが良い結果にならないかもしれないのです。
科学的な真実は不明ですが、別の方法を模索する方が吉といえます。

コミュニケーションをとろう!

それでは、孤独感の解消のためには何をすればよいのでしょうか?

オレゴン健康科学大学の研究によると、孤独感の解消のためには、顔を突き合わせてのコミュニケーションがよいという結果が示されています。
こちらの研究では、SNSを介したコミュニケーションでは効果が薄いことがあわせて示されていますが、例えばZoomのような会議ツールでのコミュニケーションに関しては、研究がありません。
デジタル上でのコミュニケーションにおいても、顔を見るコミュニケーションならば孤独感の解消に効果がある可能性があります。

また、デジタル上でのコミュニケーションでも他にやれることは多くあります。

Slackのようなチャットツールではスタンプや絵文字などを活用し、感情を伝えるようにしよう。
文章中心のやりとりでは、感情が伝わり辛く、冷たく受け止められてしまうものです。
フランクすぎる位でちょうどよいのではないでしょうか。

また、会議では積極的に雑談をしましょう。
雑談が人間関係構築に寄与することは、多くの研究によって示されています。
無駄にだらだらとやるのは、純粋に時間の無駄なのでおすすめしませんが、会議の冒頭5分など、会議の参加者みんなで雑談で盛り上がるのはアイスブレークにもなります。

他には、最近の流行ではバーチャル飲み会(WEB飲み会)などもあげられます。
画面越しでも良いので、少しでも顔をつきあわせるコミュニケーションをとりましょう。

最後におまけを2つほど。

上で孤独が心身に与える影響は遺伝子によって左右されるという研究を示しました。
こちらの研究では、孤独に関連する遺伝子と肥満に関連する遺伝子が隣接していた、という調査が併せて示されています。
因果関係の程は不明ですが、肥満はコミュニケーション不良を加速させる可能性があるので、肥満防止・解消のための運動はした方がよいでしょう。
(もちろん全員ではありませんが、太っている人はコミュニケーションが苦手な人が多いのは、感覚値として納得できると思います。)
運動は、うつ症状などの予防や改善にも効果があるので、併せておすすめできる理由が存在します。

また、動物を飼うと孤独感が解消されるという研究もあります。
日本の住宅事情や、独身の家庭ですと、動物を飼うのが難しい場合は多いですが、もし、動物を飼育できる環境にあるならば孤独感の解消のためにはプラスになります。

寂しさは大丈夫な人はとことん大丈夫なものですが、駄目な人にとっては心身に深刻な影響を与えうるものです。
他者とのコミュニケーションによって解決できるものなので、自分自身の中で解決・完結させようとせず、積極的に周囲とつながる努力をしていきましょう。
孤独に慣れる努力よりは、はるかに実がなる可能性が高いと言えます。

カテゴリー
経営企画

「いつになったら元の生活に戻れるの?」「世界はもう、元には戻らないよ」

多くの人が、「いつになったら元の生活が戻ってくるのであろうか?」と考えていることでしょう。
しかし、おそらくですが、世界はもう、元の形には戻らないと私は考えています。

先日の記事に続き、何故、世界は元には戻らないのかを考えていきます。

ウイルスの恐怖が人類に刻まれてしまった

過去、世界が混乱に陥った経済危機は多々ありました。
例えばリーマンショックがあげられますが、この種の金融の世界の経済危機は、相対的に対策がしやすいと言えます。

一方、ウイルスが起因する経済危機はどうでしょうか?

疫病は古来より、人類の歴史に関わってきました。
中には、世界の勢力図を塗り替えるような猛威をふるうこともありました。
人類の科学技術は発展を続けており、疫病に関する知見も深まっています。

それでも、今回の事態は(何かしらの形で起きると予想されていたにも関わらず)防ぐことはできませんでした。
そして、今後も今回のような事態が起きること、場合によってはもっと脅威度の高いウイルスが蔓延することは、すでに予想されています。
加えて、新型コロナウイルスは、一定の鎮静化後も完全消滅をするわけではないので、何年かは感染者の発生とそこからの混乱が続くでしょう。

現状の人類ではウイルスへの完全対策はできないのです。
上述のように科学技術の観点だけではありません。
報道のあり方もそうですし、一人一人の人間のリテラシーやモラルもそうです。

そんな人類に、実態以上にウイルスに対する恐怖心が刻まれてしまいました。
この恐怖が特定国家や特定地域でおきたことではなく、世界中でおきているのです。

人類の生活がガラッと大きく変わってしまうことが予想されます。

今までのような生活には完全には戻れない

飲食店やスポーツ・ジム、ホテルやアミューズメント施設など、リアルな店舗が必要な業態には変化が求められます。
変化に対応しなければ、ビジネスの世界からの退場を余儀なくされるでしょう。
航空会社のような交通機関や、学校、イベント会場など、人が集まることが前提のビジネスもそうです。

経営の現場において経営者は「またウイルス騒動が起きたらどうしようか?」を考えるでしょう。
心配にかられ、固定費を増大させるような積極的な投資を控えるような傾向が続く可能性があります。
リストラも各所で行われ、すぐには人を採用できないでしょうし業容も縮小してしまうので、元に戻すに戻せない状態に陥ります。

もしかしたら1年後位には、はた目には元に戻ったように見えるかもしれません。
それでも、前年比マイナス〇%、というような状況が各業界で発生すると考えられます。
多くの企業がこの数ヶ月で倒産してしまうのは間違いがないでしょう。
数ヶ月や1年といった時間がたって、状況が表面上は落ち着いたとしても、人々の生活が完全に元の姿に戻ることは、もうありません。

ウイルスに対する実態以上の心理的な恐怖が刻まれてしまっているため、これまでのように大勢の人たちが集まってのイベントであったり、人々が大勢いる所への旅行のようなことに、忌避感をもつ人が増加しました。
リモートワークは労働者の既得権益となり、学校のオンライン講義とあわせて、「リモート」が当たり前の世界になるでしょう。

これまで、人と人が集まって行われていた当たり前の行為が無くなることはもちろん無いでしょうが、リモートで行われるようになることも新しい当たり前になるのです。

サービスや商品、お金、情報の動きが、これまで以上にデジタル上で行われるようになります。
デジタルで完結できたはずなのに、今までやっていなかった領域のデジタル化が一気に進行します。

人類が築き上げてきた社会や習慣に変化が起きるのです。

これまでの常識を変えて、新しい世界を積極的に作っていくしか生き残る方法はありません。

チャンスは多い

旧態とした企業は退場を求められるでしょう。
しかし、そこに産業は残ります。
これまでのサービスを新しい世界に対応させたサービスに作り替える、新規参入組にはチャンスばかりです。

若い人にも多いにチャンスがあります。
リモート化の進行を機に、ビジネスの現場のみならず、行政や大学などの旧態依然とした組織においてもデジタル化への対応が進みます。
それと共に、デジタルに疎い世代の力が弱まり、デジタル技術を使いこなすスキルをもった若い人の力が強まる可能性が高いです。
世の中に変革を起こす主導権を、中高年から若い人に移すチャンスなのです。

今この時の社会は、悲観的に見えるかもしれませんが、新しい世界はチャンスに満ち溢れていると感じています。

カテゴリー
マーケティング

義のマーケティング~真のロイヤルカスタマーを作るには~

今回の新型コロナウイルス騒動により、多くの人が不安に多い、多くの企業が苦境に陥っています。
そのような中、義(ぎ)、つまり利欲ではなく正義により行動する企業が賞賛されています。
いくつかの企業を参考に、真のロイヤルカスタマーを作るための、義のマーケティングについて考えていきます。

忙しい人向けまとめ

  • マーケティング活動の役割は、セリング(売り込み)を不要にすること
  • いくつかの企業が利欲ではなく、義、つまり社会のための活動を行い賞賛を浴びている
  • 「利欲にとらわれず、なすべきことをすること。」ができれば、真のロイヤルカスタマーを作ることに繋がり、長く支持される会社になれる

マーケティング活動の考え方

マーケティングの定義を考えた時に、各様に語られている世界ではあるのですが、かのコトラー氏の言葉を借りると次のようになります。

どのような価値を提供すればターゲット市場のニーズを満たせるかを探り、その価値を生み出し、顧客に届け、そこから利益を上げること。

フィリップ・コトラー

つまり、ざっくりと整理すると、次のような流れになります。

マーケティング活動による認知獲得

製品・サービスの提供

ロイヤルカスタマーが生まれる

これをもっと端的に表現し、マーケティングの目的を考えたときに、かのドラッガー氏は次のように言いました。

マーケティングの究極の目標は、セリング(売り込み)を不要にすることだ

ピーター・ドラッガー

そもそもとしてマーケティング活動・セールス活動自体を不要にする状態にしましょう、ということですね。
これに関して、今回の新型コロナウイルス騒動において社会不安が起きている中、いくつかの企業の行動が賞賛を浴びています。

久原本家グループ

こちらのツイートを見て下さい。

久原本家グループは、「茅乃舎だし」で知られる、福岡県にある総合食品メーカーです。
この久原本家が、北海道の顧客に対して、自社の商品である鍋の素や味噌汁などが無償で届けられたというのです。

そして、このツイートのリツーイトが約3,000、まとめサイトの閲覧数は約80,000と、非常に多くの人の目にとまる結果となりました。

久原本家は、以前から災害支援などに意欲的であることを知られていましたが、改めて多くの人から賞賛の声と、感謝の言葉が届けられています。

菊水酒造

次は、こちらのリリースをご覧ください。

高知県の酒造メーカーである菊水酒造が、アルコール度数77%の高濃度スピリッツ「アルコール77」を製造開始する、というニュースリリースです。

現在、世の中ではアルコール消毒剤が非常に枯渇しており、非常に入手しづらいと共に、その値段も高額になっている状況です。
そのような中での対応となります。

今回見ていて、非常に面白いと思ったのが次の一文です。

酒税:385円/本を含んでいます。

※当商品は消毒用アルコールと同等のアルコール分を含んでおりますが、消毒や除菌を目的に製造されたものではありません。

ニュースリリースより

どういうことかと言うと、消毒用アルコール製剤として販売すると、医薬関連の商品として扱われることになるため、摘要される法律が変わってしまうのです。
消毒用アルコール製剤には、一般的にイソプロピルアルコールが添加されており、飲用には適さない状態にします。
これにより酒税法の範疇ではなく、薬機法の取扱いになり、酒税がかからず第3類医薬品として安い値段で消費者の元に届く形になります。

今回の菊水酒造の対応は、「自分たちが今まで使ってきた販路で流通させられ、かつ法の範囲も守る」「酒税分は自分たちで負担する」ということになります。

このテキストを読む限り、関係した省庁・役所の方々も裏側で協力したことが伺えます。
大人の事情満載な、日本人らしい、ハイコンテクストな内容です。

こちらはニュースリリースが4月3日、まとめサイトでもとりあげられるようになったのが4月5日なので、まだ拡散は少ないものの、多くの人が関連するツイートし、5,000を超える人がまとめサイトを閲覧しています。
こちらも、多くの人から賞賛の声と、感謝の言葉が届けられています。

なお、本対応は、過去の豪雨被害に対する恩返し、とのことです。

当社は、2018年7月豪雨により甚大な被害を受けましたが、各方面から多大なご支援をいただきました。当社の有する製造設備等を活用して、皆様のお役に立てる製品を提供することで、恩返しにつながればと考えたものです。

ニュースリリースより

栄光

最後はこちらのブログ記事になります。

株式会社栄光は、同人誌印刷の会社で、その業界の方々にはよく知られている会社になります。

各イベントの自粛、中止の影響をうけ、多くの印刷会社が苦境に陥っています。
そのような中で次のようなコメントを発信しています。

そこで、心身ともに余裕のある皆様については、お願いできるのであれば本を創り続けていただきたいです。同人誌書店やピクシブさんのBOOTHなど頒布する術をお持ちの方は、即売会用に作りかけた原稿があれば、どうぞそのまま本を仕上げてください。

そして、普段からお使いになっている、印刷会社に引き続きご注文願います。

特定の同人誌印刷会社、数社だけが生き残ったのでは、ダメなのです。

ブログ記事より

この記事と関連する元ツイートは、リツイートが約27,000、4月4日に出たまとめサイトの閲覧数が約17,000となっています。
短期間で非常に多くの人の目にとまっています。

特定の誰かが頑張る、生き残るのでは駄目で、業界全体で頑張り生き残らなければいけない、という強いメッセージに感銘を受けたのか、多くの人から、励まされたという声が出ています。

義のマーケティング

これらの活動を見ていると、次のような強い想いを感じます。

  • 社会を支援したい
  • 顧客へお礼がしたい
  • 業界への貢献がしたい

もちろん、企業は営利団体ですので、自社の利益を考えた行動なのは間違いないでしょう。
それでも、こういった真摯な想いこそが、結局の所、世の中から支持され、真のロイヤルカスタマーを作ることになるのだと考えます。

つまり、義の基づいた企業活動では、通常のマーケティング活動とは異なり、次のような流れになるのです。

義のマーケティング

ロイヤルカスタマーが生まれる

製品・サービスの購買行動

なお、久原本家は1893年創業、菊水酒造は1881年創業、栄光は比較的若い会社ですが1975年創業と、企業の平均寿命が20年ちょっとであることを考えると非常に長く企業活動を続けている会社になります。

義とは、「利欲にとらわれず、なすべきことをすること。」という意味です。
企業の理念的な本質としての役割は社会貢献にあるはずで、そこに立ち返った行動をとれる企業こそが人々から賞賛され、長く存続しつづけるのでしょう。

カテゴリー
生産性・業務効率化

もしかしたら日本は生まれ変われるかもしれない~リモート化がグローバル化に繋がる~

日本は島国気質であり、グローバル化への対応も諸外国に比べて相対的に遅れています。
これがもしかしたら変化するかもしれない、とここ最近思い始めています。
それはリモート化により、コミュニケーション・コンテクストに変化が起きるからです。
リモート化を企業のレベルアップにつなげたいと考えている方向けに解説していきます。

忙しい人向けまとめ

リモート化により起きる変化

  • リモート化により日本でローコンテクスト文化が浸透する
  • これによりグローバル化への対応が自然と進む
  • なぜならば、欧米のコミュニケーションはローコンテクスト文化だから

コンテクストとは

  • ハイコンテクストとは「空気を読む」「察し」の文化、日本の特徴
  • ローコンテクストとは、言葉そのものでコミュニケーションが行われる文化、明確で正確な指示が必要
  • 日本のハイコンテクスト文化が、グローバル化への対応の妨げになっていた

リモート化対応で必要なこと、起きること

  • リモート化にはローコンテクストコミュニケーションへの移行が必要
  • 「顔が見えない」「言葉以外で伝えようがない」から
  • ローコンテクストコミュニケーションにより、情報の保存性や共有性が向上する
  • ロジカルに考える癖も身に付きやすい環境に置かれる
  • 生産性が向上し、グローバル化への対応も進むかもしれない

ローコンテクストコミュニケーションのポイント

  • 「言語化」「可視化」「定量化」を明確に正確に行うこと
  • そして、個々人の感情への配慮

リモート化によりコミュニケーション・コンテクストに変化が起きる

リモート化があちらこちらの会社で進み、どのように感じているでしょうか?
コミュニケーションがやりづらい、つい電話であったり、テレビ会議を多用したり、なんとか今まで通りに近いコミュニケーションをとろうとしてはいませんでしょうか?

何故、このようなことが起きるかというと、日本はハイコンテクスト文化のコミュニケーションが浸透しているからです。
一方、Slackのようなビジネス・チャットツール上でのコミュニケーションは、必然的にローコンテクストになりやすい環境でのやりとりになります。

そのため、全ての企業や、順応できる企業でもいきなりは無理でしょうが、日本のコミュニケーション文化がハイコンテクスト文化から、ローコンテクスト文化に変化していくのでは?と考えました。
そして、このローコンテクスト文化の浸透は、日本人が今まで苦手としていたグローバル化への対応にもつながる、と考えました。

三段論法的に言うと、リモート化により日本でローコンテクスト文化が浸透する、これによりグローバル化への対応が自然と進む(なぜならば、欧米のコミュニケーションはローコンテクスト文化だから)、というロジック構造です。

コンテクストとは

そもそもとしてコンテクストとは?という話をする必要があるかと思います。

コンテクストとは一言で書くと「コミュニケーションを取り巻く様々な状況」のことです。
コミュニケーションを取り巻く様々な状況とは、時間や状況、場所などの、つまりは「TPO」のことです。

ある人ともう一人別の人が会話をするとき、様々な状況がその二人を取り巻いています。
例えば、話す場所や時間帯、周囲にいる人々、その時々の気分やタイミング、二人の関係性などです。
こういった様々な状況を考慮せずにコミュニケーションを取る人に対して、日本では「空気が読めない」と揶揄をします。

このような、「空気を読む」行為、TPOから多くの情報を得ようとするコミュニケーション文化のことを「ハイコンテクスト」と言います。
つまりは、「察し」の文化ですね。
ビジネス上でのやり取りでは、曖昧な指示などが飛んだ場合、これがローコンテクストです。

一方、TPOなどのコンテクストよりも、実際に表現された言葉から意味や情報を得ようとする文化のことを「ローコンテクスト」と言います。
言葉通りのコミュニケーションになるわけですね。
ビジネス上でのやり取りでは、明確で正確な指示が必要になります。

ハイコンテクストなコミュニケーション文化は、日本のような長い歴史をもち、かつ人々の流動性が少ない国で見られる光景です。
日本以外ですと、中国や韓国を中心としたアジア諸国、アフリカ系コミュニティや各国の先住民系コミュニティがハイコンテクスト文化を持っています。
一方、欧米は人々の流動性が高く、歴史の分断が大きい傾向が強く、ローコンテクスト文化が浸透しています。
イタリアやラテン系、アラブ諸国などは中間位です。

異文化コミュニケーションを行う場合、ハイコンテクスト文化に所属する人は、ローコンテクスト文化の人たちに対して、できるだけ明確で正確に多くの言葉を使ってコミュニケーションをとる必要があります。
曖昧な表現では伝わらないのです。
ローコンテクスト文化の人がハイコンテクスト文化の人にコミュニケーションをとる場合は、ハイコンテクスト側からすると「ストレートに言うなぁ、、、」とは思うことが多いですが、とりたいコミュニケーションの内容自体はとれるので、あまり問題はありません。
(これは、あくまでもマクロ的な全体感、傾向の話なので、個別コミュニケーションでは該当しないことは当然に多い。)

リモートワークで大事なローコンテクストコミュニケーション

リモートワークで大事なのはローコンテクストコミュニケーションです。
これは、お互いに「顔が見えない」「言葉以外で伝えようがない」からです。
(実際には、オフィスワークでも必要なはずなのだが。)

中高年の方でリモートワークに苦手意識や場合によっては嫌悪感を抱くのは、このローコンテクストコミュニケーションが不得手だからなのでは、と推測しています。
中高年の方の会話はどうしてもハイコンテクストになりがちで、そのため社歴であったり世代やグローバルの壁を越えにくいのでは、そしてそれはリモートにも影響している可能性があります。
これにより、ついつい電話をしたくなったりしないでしょうか?中高年の方。

これは、電話を嫌がる傾向が強い今の若者たちにとっても、組織にとっても悪影響を及ぼします。
コミュニケーション内容の保存性や共有性の観点から、非生産的であるからです。

逆にいうと、コミュニケーションをローコンテクストにすることにより、そして最新のデジタルツールを活用することによって、日本企業はその生産性をあげることができるのではないでしょうか?
日本では長らくハイコンテクストコミュニケーションがとられ、それを汲み取ることを良しとされてきました。
ロジカルで明確なコミュニケーションは軽視されてきました。
そのため、多くの日本企業が社外とのリレーションシップを苦手としており、特に海外対応、つまりはグローバル化対応を阻む要因になってきたと考えています。

Slackのようなチャットツールでは明確に空気感は伝わらないですし、Zoomのような会議ツールでは、多少は空気感が伝わりますが、対面コミュニケーション以上には伝わりません。
リモート化に対応するためには、事前に情報を整理しロジカルに考えるなど準備をし、ローコンテクストに語る必要があります。
なあなあの会話でやってきたことが通用しなくなるので、必然的にロジカルに考える環境に身を置かれることになります。
ローコンテクスト文化ですと、背景の異なる第三者とのコミュニケーション上の認識のズレが起きづらくなるのです。

ハイコンテクストコミュニケーションをとりたい、という欲求を抑え、ローコンテクストに移行すれば、日本企業の生産性は向上し、またグローバル化への対応も進むはずなのです。

ローコンテクストなコミュニケーションをとろう

最後にローコンテクストコミュニケーションをとるための指針を書いていきます。

プロジェクトの生産性を高めるローコンテクストコミュニケーション

  • 方針、ポリシーを言語化し、メンバーが同じものを見れるようにする
  • タスクを可視化し、いつまでに何をやらなければならないか定量化する
  • 情報をオープンにしメンバーが自分でデータをとれるようにする
  • リモート会議を減らしテキストベースで完結させる
  • 働く時間を明確化しメリハリをつける

チームの生産性を高めるローコンテクストコミュニケーション

  • ローコンテクストコミュニケーションを心がける
  • きちんと挨拶をし、その日の調子を伝える
  • ポジティブ面もネガティブ面も含め、フィードバックをする
  • 絵文字やカジュアルワードで、感情が読みやすいテキストにする
  • 積極的に雑談する

ポイントは「言語化」「可視化」「定量化」です。
ローコンテクストであることを前提に、ビジネス上でのやり取りを、明確に正確に言語化して物事を伝えるようにしましょう。
煩雑なコミュニケーションをとらなくても、メンバーが情報をとれるように、できるかぎり情報のオープン化につとめましょう。
そして、「言語化」「可視化」されたコミュニケーション・情報については、極力「定量化」を行うように心がけましょう。

また、個々人の感情にも気を配るようにすることも大事です。
ローコンテクストコミュニケーションは冷たく受け止められがちです。
(欧米の人も、ストレートに伝えすぎると、結構傷つく。コンテクスト部分がゼロなわけではない。)
テキスト発信に関して、何かしらスタンプなどリアクションを行う、できれば返信を行う、感謝の気持ちはストレートに伝える、特にポジティブフィードバックについては積極的に伝える。
このように、テキスト上でのやり取りに感情を込める習慣化が大事です。

このリモート化を、致し方なく対応するものではなく、一つのチャンスだと捉えていきたいものです。

カテゴリー
統計・経済

マスク転売禁止とアベノマスク(マスク2枚配布)~経済学的には転売禁止は意味がない~

マスクの品薄の影響を受けて、マスク転売禁止措置と、マスク2枚の全世帯への配布方針の発表が行われました。
これらに関して、経済学的観点から、転売そのものは決して悪いことでは無いんだよ、むしろ転売禁止は意味が無いよ、という話と、マスク2毎の全世帯配布は微妙だけれども叩かれるほど悪いことでは無いんだよ、という話をしていきます。

忙しい人向けまとめ

  • 転売禁止は多くの人の感情は満足させるかもしれない
  • 転売禁止では、マスクの品薄は解消されない
  • 再流通を抑制してしまうので、買い占められる人だけが買占め、必要な人の手にまわらなくなるため
  • 経済学的観点でいうと、需要と供給が安定するまで値段が釣り上げるのが本来的に適正
  • 「取引効用理論」によって生まれる不満や怒りにより転売ヤーたちは嫌われる
  • 経済学的理論に則って小売店が値段を釣り上げると、今度は不満や怒りが小売店に向く
  • そのため、小売店では経済学的に正しい行動がとれない
  • アベノマスクは微妙なれど、マスクが必要なのに購入できない人たちにとってはプラスになる
  • 買占め行動の抑制にもつながりうる
  • 整理券方式や時差販売、一律値上げの要請など政府ができた施策はあったはず

転売禁止とアベノマスクについて

3月15日、国民生活安定緊急措置法が改正され、卸売業者と小売業者を除き、マスクの高額転売が禁止されました。
これにより、小売店からマスクを買い占めたり、購入したマスクを高額転売したことが判明した場合、罰則を適用できるようになりました。
罰則は、1年以下の懲役または100万円以下の罰金です。
これで、いわゆる「転売ヤー」による転売を禁止する流れになることが期待されています。

しかし、現状では隠語の使用や画像を隠蔽してのマスクが取引が行われています。
各種転売に利用されているサイトでは、巧妙な方法での転売が行われ、運営サイトや出品禁止の調査している側にはわからないようになっています。
このいたちごっこは続くと思われ、取引の方法がより巧妙化することが予想されます。

もう一つ話題になっているニュースとして、「マスクの全世帯への2枚配布」があります。
政府方針として出されたものですが、これに関して、世間から総ツッコミが出ている状態です
アベノミクスにかけて、「アベノマスク」という造語がでてくるほどです。

これらに関して、転売禁止は微妙だよ、転売そのものは決して悪いことでは無いんだよ、という話とアベノマスクは微妙だけれども叩かれるほど悪いことでは無いんだよ、まだマシだよ、という話をします。

転売そのものは悪くない

世間では「転売ヤー」に対する憎悪に満ち溢れています。
まず最初に、転売そのものは悪くはない、ということを解説します。
ここでする話は、道徳とか倫理観の話ではなく、あくまでも経済学的な話になります。
ですので、一部の悪質と言われている転売ヤーに対する擁護ではない点は認識ください。

さて、転売ヤーが嫌われる要因として、社会に対する価値貢献がされていないから、という理由があげられます。
これは本当でしょうか?
実は、転売という行為そのものは社会への貢献がなされる行為と言えます。

どのような社会貢献か?と言うと、それは「市場の効率化」への寄与です。
自由競争市場において、品物の価格は需要と供給で決定されます。
台風などによる不作で、野菜の値段が高くなる、という経験はあるはずです。
需要に対して供給が不足するならば、値段が高くなるのは至極当然のことで、転売はこの品物の価格調整に貢献をしているのです。

転売によって不当に品物の値段が釣り上げられている、という印象をどうしても持ってしまうでしょうがそうではなく、誰も買わなければそもそも値段は上がらないのです。
転売行為でも買う人がいる(需要がある)からこそ値段は上がるのです。
つまり、転売ヤーが売り、実際に代われる値段こそが適正価格であり、非常事態においては「普段の値段」こそが不適正な価格なのです。

そうは言っても、やはり転売ヤーがいなければ通常通り「普段の値段」で買えるのでは?と思う人がいるでしょう。
次項では、これについて解説します。

転売禁止をすると「買い占められる人間」だけに回る

転売ヤーがいなければ通常通り「普段の値段」で買えるのでは?
そう思うのは自然なことではありますが、仮に転売ヤーの存在がいなかったとしても品薄になるのは避けられず、入手困難な状態に陥ると考えられます。
それはなぜでしょうか?

それは、結局の所特定の買い占める人間が買ってしまい、その後再流通がされないからです。

世の中には、一定割合で強迫的に不安を敏感に思う人がいて、積極的な買占め行動に出ます。
また、同じく一定割合で、日本では特に多いのですが、同調圧力に弱い人がいて、買占め行動に引っ張られる形で、同じく買占め行動に出ます。
普段は理性的でも、不安に弱い人や同調圧力に弱い人は、現在のような異常自体において、理性的で無い行動に出てしまうのです。

こういった人たちがいる以上、転売を禁止すると何が起きるか?と言うと、再流通がなされずに、メーカーと小売店により再供給がされるまで、本当に必要だけれども入手できない人たちに回らなくなる、という状態に陥るのです。
高くても買える状態があるならば、本当に必要な人(で買える人)には、品物がまわる状態になります。
あくまでも合理的な経済学の上では、それは需給のバランスがとれている真っ当な状態なのです。

なお、不安に弱い人、同調圧力に弱い人たちを見ていると、正直、浅ましいとは思います。
思いますが、これは決して間違った行動(戦略)ではありません。
というのも、本当の極限状況において、積極的に他者を顧みず、自分勝手な行動に出ることそのものは、リアルな生存確率の向上に寄与するからです。
そのため、この種の層の人たちがいることは、人間種の生存という観点でみると、正解と言えば正解なのです。
理性的なことを是とする人間にしてみれば、何ともいえない気持ちになる買占め行動は、一方的に否定するものではないのです。
(私は理性的でありたいと思いますが。)

さて、話を戻すと共に繰り返すと、転売を禁止することにより、朝からお店に行列を作って並んで買占めができる人、言い換えると社会の中で忙しく働いていない人だけが購入でき、その後再流通がされない状態になってしまいます。
何度も繰り返しますが、マスク転売規制はマスク品薄を加速させるのです。
加えて、規制を気にしない国外の転売ヤーグループは活動を続けると考えられる、結局の所、日本という枠組みだけで見た場合に、日本人は誰も得をしなくなってしまうのです。

買い占めは膨大な需要に対して供給が限られている状態、かつ「普段の値段」で販売を行うことで発生します。
つまり、人々の手に適正に入手できるようにするためのもっとも効果的な対応は、需要と供給の状態が安定するまで値段を引き上げることです(需給均衡と言う)

では、なぜメーカーや小売店は「適正価格」にまで価格を引き上げないのでしょうか?

メーカーや小売店が適正価格で販売すると何がおきるか

多くの人は転売ヤーは嫌いだと思います。
嫌いな理由として様々あるとは思いますが、経済学的観点での転売ヤーが嫌われる理由を解説します。
転売ヤーが嫌われる理由を解説をしないと、メーカーや小売店が「適正価格」で販売できない理由を十分に説明できないからです。

なお、道徳とか倫理的な観点ではなく、あくまでも経済学的観点です。
道徳とか倫理的な観点では、私も転売ヤーは嫌いです。

転売ヤーが嫌われる経済学的理由として、「取引効用理論」というものがあります。
「取引効用理論」では、何か品物を購入した時の満足感(全体効用と言う)について次の式で表現しています。

全体効用 = 獲得効用 + 取引効用

獲得効用は、購入した品物自体から得られる効用のことを指します。
取引効用は買った人(消費者)の参照価格(内的参照価格)と支払価格(購買価格)との差によって規定されます。
この内、内的参照価格は、実際に支払わなけばならないと提示されている価格(外的参照価格)から影響される、支払いに至るまでの文脈であったり、消費者の知識量、はては社会的な公平性や倫理的観点などから決定されます。
ようは、取引効用とは「お得感」のことです。

これを転売ヤーが嫌われる理由と絡めて説明すると、転売ヤーから高額マスクを購入した場合、マスクを入手し使用できた、という喜びに対して、支払う価格の不当感の大きさ、お得感の無さから来る不満や怒り、が大きい、という状態になるのです。
もしくは、そもそも獲得効用が得られない(小売店で品切れ)、購入するにも高額マスクしかない、という状態での不満や怒りもですね。
そして、この不満や怒りの矛先が転売ヤーに向くのです。
マスコミから報道があり、SNSで話題にあがるから目立つのです。

ここで考えてみて下さい。
仮にメーカーや小売店、特に小売店が値上げを行うとどうなると思いますか?
今度は、不満や怒りの矛先が小売店に向く
とは思いませんか?
震災などの災害時に「便乗値上げ」という言葉が多く出ましたが、そういう言葉を投げかけられ、企業としてのブランドが低下すると思いませんか?

経済学的な需給均衡から来る値上げは本来、真っ当な行為なはずなのですが、それは、企業のブランドをも守らなければいけない立場としてはできないのです。
社会的に需要に応じて、自動的に価格が変動する、いわゆる「ダイナミックプライシング」が一般的になれば、今回のような転売禁止のような状態にはならなかったでしょうし、マスクの品薄もおきなかったでしょう。

アベノマスクは確かに微妙だが、100%意味不明というわけでもない

ここまで踏まえてアベノマスクを考えてみます。
マスク2枚の全世帯への配布は、確かに微妙で、他にやること無いのか?と思います。
しかしです、忙しくてマスクを買いに行けない、経済的に苦しくて高額マスクに手が出せない、という人たちが世の中には大勢いるはずです。
この人たちにとって、マスク2枚の配布はプラスになる施策と言えます。

また、微妙と思いつつも繰り返し使えるマスクが家にある状態ですと、無理に買占めに出なくても、という心理状態になるとも推測できます。
このことから、不安に弱い人たちは相変わらず買占め行動に出るでしょうが、同調圧力に弱い人の買占め行動は抑制されるはずなのです。
実際にはふたをあけてみないとわからないですけれどね。

世の中の心情として、政府に期待していることと、政府の行動に乖離があるから、不満や怒りが相対的に大きくなってしまうのです。
上述の取引効用理論に似ていますね。
なお、別に政府擁護を無理にしたいわけでもないですし、批判をしたいわけでもないです。

アベノマスク擁護的な上述記載に対して、批判的に考えると次のようになります。
小売店に対して、販売は一人一個や、忙しくても買えるタイミングで買える整理券方式の採用、早朝から並ぶのを防ぐ時間差販売などの方法の提案・協力を早々に要請を出す、という方法や、小売店から「適正価格」にできないのであれば、一律値上げの協力要請を政府から出す、という方法もあったはずなのです(経済学的にはこれが一番正しいと思われる)。
リーズナブル性が高い上に、効果も期待できます。

なんで、こういうことをやらないのでしょうか?

最後に企業としての教訓、特に小売店

転売の不満や怒りの矛先は転売ヤーに向いていますが、残念ながら店舗の現場レベルでは違います。
品物が無いことにより、店舗に立っている現場の方々には、直接的にその不満や怒りがさらされていると聞きます。

現場の疲弊を防ぐと共に、顧客満足度を高め、ブランド価値も高める方法があります。

それは、すでに上に書いてある通り、忙しくても買えるタイミングで買える整理券方式の採用や、早朝から並ぶのを防ぐ時間差販売などの方法を、買占め行動の予兆が見られたときに早々に打ってしまうのです。
迅速かつ的確な行動は、消費者からの信頼を勝ち得るでしょう。
また、顧客貢献・社会貢献という、企業本来のミッション・ビジョンにもかないます。

今回の騒動から、少しでも教訓を得て、次の何かに活かしたいものです。

カテゴリー
経営企画

アフターコロナの世界はどう変わるか?

これまでの感染症の歴史でも示されている通り、今回の新型コロナウイルスをもって世界は激変していくでしょう。
この激変する世界に関して「アフターコロナ」と呼ばれ始めています。
今回はこの「アフターコロナ」の世界について、どのように変化していくのか考えていきます。

リモート化の拡大

現在、各企業においてリモートワーク(テレワーク)が進んでいます。
これは、新型コロナウイルス騒動が落ち着いた後、一定程度は元に戻るでしょうが、以前の姿には戻らないと考えられます。
なぜならば、働く人にとって、リモートワークは既得権益となったからです。

リモートワークによって、不要な会議が減り、不要な残業も減り、純粋に仕事をしていればよい環境になりました。
これが快適な人にとっては、わざわざ満員電車に乗り、不要な些事に再びあたりたいとは思わないでしょう。

リモートワークに対応しない会社は、相対的に採用が厳しくなるはずです。
会社競争力にも変化が起き、旧型企業と変化に対応した企業で入れ替わりが起きると推測されます。

あわせて、今回の騒動で、経営の変動費化が進行すると予想されます。
リアル店舗を中心に事業を展開していた企業のダメージは甚大です。
そうでなくても、固定費が大きい産業は、大きなダメージを受けています。
売上が落ちれば、その分費用が減るわけでなく、利益が減るからです。

オフィス投資は減少(少なくとも、以前のようなオフィス投資の活性化が抑制されるはず)し、固定費用としてウェイトの大きかった、地代家賃や減価償却費の抑制志向が高まるはずです。
あわせて、他の固定費に関しても、事業必須性が低いものに関して、BtoBサブスクリプションサービスの導入などに対応し、変動費化が進むと考えられます。
一方、事業必須性が高い領域に関しては、売上が減っても支出(CashOut)を減らせないサブスクリプションサービスは忌避し、買い切りないしは、スクラッチ開発(自社内開発)が進む可能性もあります。

何はともあれ、今回のような一種の災害に備えて、柔軟に対応し、生存力を高めるような動きが各企業で出て来るでしょう。

経済格差の拡大

リモートワークの拡大にあわせて、仕事をする能力の差が顕著に出てくると予想されます。
リモートワークにおいては結果が全てです。
残業をして、何となく頑張っている風の人たちは淘汰されていくでしょう。

イメージとしては、下記の図のような形になるはずです。

この図は、縦軸に「ビジネスリテラシー」、横軸に「必要ITリテラシー」をとり、どのように格差が拡がっていくかを示したものです。
「必要ITリテラシー」が高い領域に対応できる人たちの中で、併せて「ビジネスリテラシー」も高い層は、その高い生産性から功利的に働き、時間的なゆとりを確保するでしょう。
その空いた時間(空けた時間)を利用し、更に別の領域(副業)で稼ぐ、もしくは自己研鑽に投資し更に稼ぐ力をつけていくでしょう。
Youtubeをはじめとした動画メディアが増えているため、デザイナー、イラストレーター、動画編集者の価値が増えるでしょう。

また、「ザ・モデル」の世界も一層、浸透すると考えられます。
Webマーケッターの価値は増大し、昔ながらの営業の価値が減少します。
Web営業が増え、移動が無い分、営業件数を増やせるため、稼げる人はより稼げるようになるでしょう。
一方、突き抜けた対面営業ができる人は、大きく稼ぐようになる可能性があります。

反面、「ビジネスリテラシー」が低い層では、クラウドソーシングのような低賃金の領域で消耗する方々が増えると思われます。
視聴者が増えない、もしくは競争相手が増えることにより相対的に稼げなくなり、この領域でも消耗勢が増えると考えられます。

「ビジネスリテラシー」が高くても、「必要ITリテラシー」が低い領域においては、その価値は変わらずか、相対的に価値が増大する可能性があります。
例えば医者で、医者が長時間労働のブラック環境なのは誰もが知っています。
そこになりたい人は相対的に減るはずなので、かえってその価値が増えると考えられます。
希少価値が高くなるのです。

「ビジネスリテラシー」も「必要ITリテラシー」も低い領域が非常に厳しくなります。
働き方改革やAIによる自動化の推進により、価値を発揮できない人たちの賃金は減少を続けるはずです。
市場の縮小や同一労働同一賃金の影響も受け、年収が伸びなくなります。
むしろ、正社員の賃金は非正規社員の賃金に近づいていくでしょう。
長時間労働・低賃金で消耗するのに、他の業界で通用するようなスキルも身につかない。
(仮に結婚し、子どもをもうけた場合)子供の将来にも連鎖する状況に陥ります。

ビジネス環境、経済環境の変化

マクロ感としては、モノ消費の傾向の変化があげられます。

まず、不動産の価値の変化が起きるはずです。
田舎の利便性の高い所や、郊外などへの移住・引っ越しは増えるはずです。
ただし、都心のワンルームマンションのような好立地の居住用不動産の価値は変化が無いでしょう。
加えて、売電収入のような不動産投資も安定推移すると考えられます。
一方、リモートワークの増加により、ビジネスエリア、つまりオフィス街の不動産価値は減少すると思われます。

次に、元々減少傾向が顕著でしたが、高級車や高級腕時計をはじめ、従来型の人に見せる物の消費はますます減少するはずです。
増加するのは、高級家具やインテリアなどです。
それは、リモートワークの増加により、今まで見せることの無かった家の中を見せる機会が増えるからです。
内装業のようなビジネスは活性化する可能性が高いです。
会議やWeb飲み会のような場で、インテリア性に優れた室内を見せたい、という欲求が増えるはずです。
賃貸向けのインテリア・サブスクリプションサービスも増加すると考えられます。

インテリアのみならず、在宅の増加により、ECでの販売が増えるでしょう。
ウーバーイーツやスーパー・コンビニの宅配なども、より増えると考えられます。
従来、リアル店舗で働いていた人たちは、この種の物流を担う領域に流入する可能性があります。
リモートワークが増えるため、物流の重要性がますます増大するのです。
リアル店舗は、提供価値の高い一部の事業所を除き、厳しい環境が継続するでしょう。

併せてリアル広告が減り、Web広告が増えるはずです。
上述の通り、WebマーケッターやWebセールスの価値は増加すると考えられます。
広告業界において、従来型のPR会社と、新しい領域に既に入っているマーケティング会社で、入れ替わりが起きると考えられます。
イベントや旅行のキャンセルに関連して起きている、パフォーマンス系に関しては中期での影響は続くでしょうが、長い目で見た時は元に戻るはずなので、今はなんとか耐え忍ぶ時期です。

なお、物流(というか自動車関連)に関しては法改正が進む可能性が高いです。
具体的には自動運転です。
直近で既に、物流業界の負担は大きく自動運転のニーズは高いです。
リモートワークが増えて移動自体が減れば、自動車業界も自動運転をプッシュせざるを得なくなります。
法的に規制が厳しかったこの領域へのロビイングが増える可能性があるのです。

モノ消費の傾向変化に対して、コト消費は変化だけでなく増加すると考えられます。
特に、家庭内でのコト消費です。
上述の「インテリア」は、モノという観点ではなく、人に見せて承認欲求を満たすためのコト消費、と捉えた方が、提供価値が高くなると推測されます。
あわせて、家の中での過ごし方に関しても、消費者が求める領域が増えていくはずです。
まず、エンターテインメントの価値は増大するでしょう。
既に起きている、「消費者の時間の奪い合い」はますます激化するはずです(Youtubeなのかネットフリックスなのか、キンドルなのかなどなど)。

関連して、BtoC系の新しいサービス、特にサブスクリプションサービスが台頭してくると考えられます。

金融環境の変化

金融領域に関しては、まず、上述のモノ消費の変化、コト消費の増大に関連した銘柄・領域に関してお金の移動がおきるでしょう。

加えて、今回の新型コロナウイルス騒動にあわせて、社会貢献系企業へのお金の流入が増加すると考えられます。
従前から、SDGs銘柄への投資は活性化していました。
これが更に促進されるはずなのです。

旅行業、宿泊業、飲食店などが、直接的な大打撃を受けていることは言うまでも無いでしょう。
これに対して、支援をしたい、応援をしたい、と思う人たちが増えています。
直接的な投資は市況環境的に厳しいと思われますが、クラウドファンディングのような仕組みによる支援は、直近から増えていくと予想されます。

逆にいうと、旅行業、宿泊業、飲食店などはクラウドファンディングのような仕組みを活用して、生存を図るべきです。

投資環境としては、分散投資が拡がるはずです。
株式や投資信託のような金融資産は、今回の騒動で災害耐性が低いことが顕著になりました(以前からわかっていたことではありますが)。
ポートフォリオを広げるために、投資対象が広がっていく動きが予想されます。

上述のECや宅配の増加にあわせて、電子決済も一気に普及していくと考えられます。
電子決済が使えないお店は淘汰されていくでしょう。
この点でも格差の拡大が助長されると推測されます。
もしかしたら、信頼性が低下していた仮想通過も、これを機に改めて台頭する可能性があります。

このように金融領域においては変動が激しく、お金に直結する領域であるため、この領域における情報価値は以前にも増して増大すると考えられます。
投資リテラシーを高めるための教育サービスは活性化するでしょう。
あわせて詐欺も増えるでしょう。
情報収集と防御のため、投資家コミュニティの拡大や、コミュニケーションの場が増える可能性が考えられます。

教育の変化

リモートの影響は教育にも及びます。

公立系の学校では大きな変化は残念ながら起きないでしょうが、それでも以前よりはIT対応が進むはずです。
マクロ的には遠隔授業が増えると考えられます。
塾のような教育産業においてもWeb講義が増加するはずで、あわせて対面でしか価値が発揮できなかった講師が凋落し、Web対応にうまく順応した講師が台頭するはずです。
これはYoutubeのような動画メディアにおいても言え、教育領域における動画進出がますます増加すると考えられます。
一部、コミュニケーションスキルに関して危惧した親により、家庭教師へのニーズは増大する可能性があります。

これに併せて、飛びぬけたスペックを持つ子どもたちが出てくると予想されます。
教室でのリアル授業では、飛びぬけたスペックの子供にとっては退屈なものです。
日本は出る杭は打たれる文化でもあるため、飛びぬけようとするモチベーションも下がります。
ですが、遠隔授業が増えるのならば、その心配も減ります。
いじめも減るはずです(そもそも学校に行かなくてよくなれば)。
これまで、日本では見ることができなかった飛びぬけた天才の活躍が期待できます。

その他教育環境として、IT対応が進んだ地域と、進まない地域で、格差が拡がると推測されます。
例えばPTAなどで、新技術に対応した所とそうでない所で、親の負担にも差が出るでしょう。

医療(健康とフィットネス含め)の変化

まず、健康ブームが来るはずです。

健康に対する意識は、今回の新型コロナウイルス騒動で一気に増加したはずです。
健康系の商品やサービスは増加していくと考えられます。
リモートワークの増大にあわせて、「家庭でできる系」のフィットネスサービスも増えると予想されます。
併せて、詐欺に近い似非健康サービスや情報も増えると考えられます。
健康情報に関しては、改めて正しい情報の価値が増える可能性が高いです。
Googleのロジックの進化も目覚ましく、一部健康系キュレーションメディアの没落に関しては、記憶に新しいかと思います。

一方、介護領域に関しては個人の負担が増えると考えられます。
医療保険・介護保険に関して、元々国家財政が厳しい環境から、在宅医療・在宅介護が推し進められてきました。
個人の介護負担が増え、医療保険・介護保険の観点では若干の改善傾向が見られるはずです。
(ただし、保険全体では悪化は続く。少子高齢化は加速するので。)

医療に関しては、遠隔診療や遠隔手術が増えるはずです。
上述の通り、医者の価値は増大するはずなのですが、その中でも特に価値の高い医者は、その価値がますます増加するはずです。
関連して、医療関連の法律も改正が進むと予想されます。

マクロ的な影響

大多数の個人にとっては関係の無い話ですが、世界的に国家権力が増大すると考えられます。
既に、外出者の逮捕など、一部国では「強権」が発動されています。
日本では、法律の絡みで「要請」しかできませんが、これが改正される可能性はあります。
国家権力の観点で考えれば、国の権力を増やし、国民の権力を減らす良いチャンスだからです。
なお、人によっては思想的に思う所があるでしょうが、これは良い悪いの話ではありません。

国家権力の増大と個人で働く人の増加(副業含む)により、マイナンバーと仕事の紐づけは加速するでしょう。
つまり、国家による個人の監視が増加するのです。
決して悪い事とは思いませんけれどね。
なお、上述した、家庭教師の増加や宅配の増加とあわせて、家庭で設置する監視カメラも普及するでしょう。
個人による個人の監視も増加するはずです。

監視社会は決して悪いことでは無く、犯罪抑止効果が期待できます。
リモートワークの増加、宅配の増加により外出も減るので、人対人のトラブルも減るでしょう。
家にいるため、空き巣のような犯罪も減るでしょう。
リモートワーク対応に順応できるひとはITリテラシーが高い層でもあるため、在宅を狙った詐欺被害も増えはするでしょうが、大きな影響は無いと考えられます。

これからやるべきこと

アフターコロナに関しては、切りが無いので、ここまでとします。
大枠としては「リモートワークの増加と併せて起きる変化」です。

最後に企業と個人が対応すべきことに触れます。

企業が対応すべきことはシンプルで「リモート化の推進」です。
既に書いてある通り、リモートワークに対応できない企業は、競争力が低下していきます。
生存のための変化を起こすべきです。
これを機に、変革を推進しましょう。

個人が対応すべきことは、ITリテラシーの向上です。
企業でもそうなように、個人でもリモートワークに対応できるようになる必要があります。
なおこのITリテラシーは、何もZoomのような会議ツールや、Slackのようなチャットツールを使いこなせるようになろう、という話だけでなく、広い意味を含みます。

具体的には、デジタルコミュニケーション能力を磨こう、という話です。
やりとりが文字中心に移行するため、より伝える力が必要になります。
伝えたいことをうまく言語化する能力が重要です。
今まではなんとなく雰囲気で説得で来ていたものが、明確な論拠が必要になってくる点も指摘できます。
情報処理能力、ロジカルシンキングの重要性も高まるでしょう。
これまでは「声が大きい」とか「なんとなく人物的に魅力」のような強みがあった人は、コミュニケーション能力の変化が求められます。
テキスト上で「なんか好かれる人」、つまり新しいモテが台頭するはずです。

モバイルバージョンを終了