新型コロナウイルス感染症の対策の一つであるワクチンが普及しはじめましたが、このワクチンに対して忌避の反応を示す方は一定数存在します。
何故、このような反応になるのでしょうか?
ここには一つのバイアスが潜んでいると考えられます。
そして、このバイアスは日常全般、仕事にも影響を与えている可能性があります。
とある研究の存在
非常に興味深い研究があります。
研究の概要は次のようなものです。
- 28名の健康な男性(21歳~36歳)が参加
- 参加者には固定の報酬に加え、タスクパフォーマンスに応じた変動報酬が与えられる
- 参加者は壺に大きさ(価値)が異なるコインが連続して入っていく画像を見て、その壺の価値(コインの総額)を評価する試験を行った
- 参加者は、壺の総額が同じであっても、最後に大きなコインが入った壺の方を高い価値があると評価する傾向が強かった。
この記事にとって必要となる情報をピックして箇条書きにしましたが、実験ではMRIスキャナーを用いて、脳のどの部位が活性化しているのか?反応のメカニズムは何なのか?という点についても研究・考察がされています。
上述の通り、参加者は、壺に大きさが異なるコインが1枚ずつ連続して入っていく画像を見て、その壺の価値を評価したのですが、最後に大きなコインが入った壺を高い価値があると評価しました。
壺の価値が同じであってもです。
ようは、ここには「終わり良ければ総て良し」というバイアスが存在するのです。
論文では「ハッピーエンドを不当に好む傾向」がある、と指摘しています。
「終わり良ければ総て良し」というバイアス
この「終わり良ければ総て良し」というバイアスは、日常生活の多くの場面に存在します。
例えば、何かしら外食をして、途中で出た料理があまり美味しく無かったとしても、最後に食べた料理やデザートが美味しければ、そのお店を「美味しいお店だ」と高く評価するでしょう。
同様に、楽しいお出かけだったとしても、帰りに雨に降られれば「酷い日だった」と感じるのでは無いでしょうか。
ビジネスでも同様です。
何かしらの投資アクションにおいて、トータルとして利益が出たかどうかが大事ですが、仮に投資リターンが同じであっても、尻すぼみな投資パフォーマンスであるよりも、右肩上がりのパフォーマンスの方が、高く評価される光景は珍しく無いでしょう。
望むと望まざるとに関わらず、意識するしないに関わらず、このバイアスは身近に存在し、私たちの思考に影響を与えているのです。
何故、ワクチンを忌避する人が出るのか?
何故、ワクチンを忌避する人が出るのか?という事に対しても、この研究から一定の示唆が得られます。
これまで長く自粛を続け我慢してきた中、そうは言っても真に安全なのかどうなのかがわからないワクチンを打つという行為は「終わりが良くない」行為と言えるでしょう。
上述のバイアスに囚われているならば、是非にも忌避したい行為となってもおかしくありません。
(もしくは、万が一強い副反応が出たら、それこそ「終わりが良くない」と思うでしょう。
自分だけはワクチンを打たずに、まわりがワクチンを接種して、安全を享受するフリーライダーになりたい、つまり、自分だけ「終わり良い」状態になりたい、という思考も考えられます。)
論理的に考えれば、安全性が非常に高いワクチンであることは、もう億単位で接種が済み数字としてわかっている話なので、忌避する理由はありません。
しかし、mRNAワクチンという新しいタイプのワクチンに対する「何となく」の恐怖感が、思考にエラーを与えている可能性は十分に考えられます。
なお、冒頭で紹介した研究では、壺の価値をニュートラルに評価した参加者もいました。
そのような参加者は、脳の活性化部位から、上述のバイアスに囚われず、合理的に思考を行った参加者であることが考察されています。
論文では、フェイクニュースや様々な広告等による印象操作についても、このようなバイアスが思考にエラーを与えていることを私的しています。
私たちは合理的思考能力を手に入れる必要があり、これらの知見はそのために非常に役立つはずです。
あくまでも慎重な思考のプロセスを辿り、物事のメリット・デメリットを整理し、より賢明な判断を下すことが重要でしょう。
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